2013年01月21日

ショーマンがカントリーの祖に混じる別の例:アンクル・デイブ・メイコン

アンクル・デイブ・マイコン(1870年生まれ)はシンガーでありバンジョー奏者である。Wikipedia米でもコメディアンでもあると記されている。ナシュビル近郊で生まれナッシュビルで育つ。

Uncle Dave Macon - Carve That Possum


え、「Carve Dat' Possum」か?
再び
Harry C. Brown and the Peerless Quartet - Carve Dat Possum


オリジナルのマイナーメロディーがアンクル・デイブ・メイコン版はメジャーに変えちゃっている。
そしてこの曲はミンストレル・ショーの曲だから、メイコンの演奏はなんちゃってオールド・タイム・ミュージックであるわけだ。

メイコンのショーマンぶりをうかがわせる動画
Uncle Dave Macon & his son Dorris


カントリー・ミュージックをアパラチアン・ミュージックにルーツがあるという説に一部ウソであることがこれで分かった。19世紀の以来の(プロの作曲家が書いた)ボードビルやミンストレルの曲が混じっており、レコーディングされないが、ミンストレル・ショーの旅芸人(出身は不明)の影響があると言うことだ。

しかし、今のところバンジョーのフィンガーピッキングでは最も古い録音をしたと見なせる。
Rock About My Saro Jane - Uncle Dave Macon
Record on the 7th of May 1927 by Uncle Dave and his Fruit Jar Drinkers.


1952年に他界するまでさらに録音しているため、YouTubeにはたくさんの曲が投稿されているが、20年代のものはわずかである。

Uncle Dave Macon and His Fruit Jar Drinkers Jordon Is A Hard Road To Travel VOCALION 5153
New York, NY Monday, May 9, 1927 Uncle Dave Macon, v/bj; Kirk McGee, f/v; Mazy Todd, f; Sam McGee, g.
posted by Mondayota at 15:03| カントリー

ビル・ヘイリーとボブ・ウィルス

ボブ・ウィルスはテキサスあたりでジャズビートを取り入れたウェスターン・スウィングというスタイルを確立したわけなのだが、それ自体、間接的にもっとビートをほしいミュージシャンの源泉になったと思われる。

その最大の成功例がビル・ヘイリーであるようだ。1954年に「ロック・アラウンド・クロック」をヒットさせるが、映画で取り上げられたのもあるものの(「暴力教室」)はじめからドラムとベースの位置づけが、プレスリーやチャック・ベリーより鮮明で、ギターやサックスのソロを伴うという、ポップソング志向のロックン・ロールではちょっとあり得ない革新をそのブームの当初から取ったという点にもっと注目すべきである。

シカゴブルースでも、50年代初期はブルースハープ主体で、エレクトリック・ギターをフィーチャーするのは後半である。

おそらくビル・ヘイリ―は、ウェスターン・スゥイングを通じたジャズのスタイルをいち早くポップスに取り入れたバンドとして、ボブ・ウィルスとともにもっと評価されてよいと思う。

1)Bill Haley - Rock Around The Clock (1955)


当てぶりじゃないね。楽器に注目してほしい。なんとペダル・スチールとアコーディオンがいるというカントリーの側面と、ドラムのスネアの明確なオフビートとベースのウォーキングベースライン、そしてサックスとジャズを彷彿とさせるフルアコのギターソロ。何気なく50年間古いロックンロールと思っていたが、カントリーから見るとブルースやジャズとの融合に成功したすばらしいバンドだと言えると思う。

次のは、ボビー・チャールズの曲、シャッフルリズムがもはやカントリーではない。レスポール使っているし。あとはエレクトリックベース(1957年以降)を待つだけだ。
Bill Halley - See You Later Alligator


ボブ・ウィルスの古いもの 素朴だがスィング感があるのが分かる
Bob Wills & His Texas Playboys - Trouble In Mind (1936)


こういうのが勘違い用語「ウェスターン」の起源か?(ボブ・ウィルにカントリーをやっているという自覚がなかったとされる)1944年て第二次大戦終戦の1年前だよ。まったく敵勢音楽だから日本で完全に無視されたのはやむを得ないかもね。ジャズとのクロスオーバーがはっきりしているし、オフビートも強い。
Bob Wills - Home In San Antone - vocal Tommy Duncan - Oct 1944


相変わらず、舞台はウェスターンっぽいが、カントリーに、ジャズを吸収した名演だな。
歌と楽器のソロの交代は古くならないフォーマットだ。
Ida Red - Bob Wills & The Texas Playboys Telescription 1951


「ボブ・ウィルスはなおキング」ウェイロン・ジェニングスとローリング・ストーンズ
Waylon Jennings - Bob Wills is Still the King


The Rolling Stones - Bob Wills Is Still The King - Live OFFICIAL


posted by Mondayota at 09:28| カントリー

2013年01月20日

カントリーは1950年代で死んでいる気がする

なんと、「カントリー・ミュージック・ジャンボリー」Vol.1〜3を入手した。例のCapitl=東芝EMIのものである。単にジャケ写をネットにアップする目的のため借りたのだ。死にそうなのに。
The Country Music Jamboree Vol.1
The Country Music Jamboree Vol.1

The Country Music Jamboree Vol.2
The Country Music Jamboree Vol.2

The Country Music Jamboree Vol.3
The Country Music Jamboree Vol.3

いや君らが聞いて癒やされているとされるJ−POPは同じ水準だよ。その所為で僕がPCに入れている日本人のミュージシャンのアルバムは平原綾香の最初の4枚だけだよ。実は1枚目が一番よくて、結構ジャズっぽい曲が少なくないのだが、「Jupitar」のヒットでポップ化しちゃって、ついに5枚目は放棄。6枚目からポップ・クラシックのアルバムを続けて出すんだが、それはまたそれだ。1枚目が一番よいのには、シンディ・ローパがいる。さすが昨年の震災一周年コンサートはしんどかったな。シンディ・ローパは、1枚目と「12デッドリー・シンズ」しかもってないよ。平原綾香ちゃん、かなりの厚遇だ。

カントリーは、正面から聞いたことがないので、つまりカントリーのLPを持っている友人がいなかったので、今回無理しているわけだ。どう考えてもカントリーの音楽的発展は、ロック化以外の点では1940年代で終わっているというのが正しいと思う。
ハンク・ウィリアムズ、ビル・モンロー、そしてあまり日本人にはなじみがないのだがカントリーにジャズビートを入れたボブ・ウィルスでおしまいである。
カントリーロックとロック化したカントリーと比べたら、やはりカントリーの方が甘すぎる。カントリー・ポップなのである。このポップ化に対してカントリーミュージシャンは何度も反旗を翻すのだが、そこにロックンロールが登場しちゃったんだよ。ロックン・ロールが白人のR&Bのパクリだという説は根強いし、ある程度そうだが、そもそも黒人はアメリカの人口の20%を超えたことがないので、白人にうけるとうけないでは商業的成功の度合いが全然違うのだと言うことは、大和田なにがしのような間抜けに行って置くべきだと思う。まだ公民権運動の前に、黒人の魅力がどっと白人の若者を引きつけたのだから、50年代のプレスリーをけなすのは間違いだよ。パーカー大佐のコマーシャリズムがなかったら、マイケル・ジャクソンの先例のようになることはなかったはずだ。

プレスリーのサンレコード・セッションがそれほど評価できないことについては述べたが、カントリーをさらにお勉強した結果、プレスリーのビートは、ボブ・ウィルスのビートより弱いと言う結論に達した。ただボブ・ウィルスが黒人の曲をカバーすることはなかったと思うけれど。チャック・ベリーの2枚目のアルバムも入手して聞いたが、こちらはまだもろシカゴ・ブルースの曲が入っているため、チャック・ベリーも新次元に至るのは簡単ではなかったと言うことだ。結局、一丸となって何がうけるか相互作用が起こってロックのプロトタイプに結実するわけだね。

1950年以降のカントリーは、激しく動き始めたアメリカ音楽の背後で、可能な限りのろく、どんな爺さんの怒りも買わないようにしか変化しなくなったわけだ。これはNHKの歌謡番組と同じなわけだ。

もう少しかなり大量の本を読んだ後、ジミー・ロジャースの続きを始めるが、残念ながら、1920〜30年代のカントリーのパイオニアの音源にはYouTube以外では出会っていない。と言うことは、カントリーというのは1940年代つまり第二次大戦前後にピークに達しそれきりだと言うことだ。

そういう仮設を抱いて、今後臨むだろう。
posted by Mondayota at 21:45| カントリー

2013年01月19日

ガース・ブルックスはキャピトル=東芝EMI

ガース・ブルックスは、1989年のデビューアルバムと1990年の次のアルバムで全米で600万枚を売り上げ(最終的に2ndは1000万枚超)、後者はポップ・チャート4位にまで入るモンスター・カントリー・シンガーで、おそらく現代アメリカ国内でのカントリー界の超メジャー化の立役者だと思われる。ライブ動員のスタジアム級らしい。

アメリカ人があほで間抜けで(Stupid White Men ...and Other Sorry Excuses for the State of the Nation! by Michael Moore, 2001)独善的だと言うことも理解できないのは保守リベラル問わずであるのが、今日気づいたカリフォルニアのリベラル派の反原発コンサートだった。そういえば、イルカや鯨、喫煙から菜食主義にいたるまで、とんちんかんな主張を繰り広げているのはあほで間抜けなリベラルであると考えれば納得がいくのである。
ジャクソン・ブラウンよりジェイムズ・ブラウンの方が日本では人気がある。

ガース・ブルックスのCDはアマゾンで見ると日本盤は(実は輸入盤もかなり)ほとんど品切れで、日本盤の中古の価格はたいてい衝撃の価格1円である。まだ入手可能なのは「恋はひとりよりもせつない」(1995)「大地の心、僕の歌」(1998)、「ダブル・ライヴ」(1998)でいずれも、EMIミュージック・ジャパンである。

その1000万枚のヒット作のセカンド「ノー・フェンシズ」を聞いているところだが、サウンドの現代性をうまくブレンドした現代人受けするポップなカントリーか単なるポップスである。ガース・ブルックスは、レッド・ネックより高く、甲高くもないマイルドな声である。歌のスタイルは明らかに相当古いものである。1950年代までさかのぼるようなものである。それでも1960年代のように阿呆みたいに甘くはない。

カントリーのクリシェではないアルペジオギター、カントリーではあり得ないピアノ、コーラスをかけたギターやドライブしたスライド・ギター、明らかにマーク・ノップラー風のギター、シックなストリングス、軽いロックのベースとドラムス、それに定番のカントリー楽器である。
ミディアムとスローのバラードがほとんどである。曲の一部には、トリッキーな1980年代的代理コードの使用も見られるがごく一部である。

カントリーに対する偏見を取り除いたと評価されるが、アメリカ以外ではまったく売れなかったのもほぼ事実だろう。2001年家庭問題で引退する。

さて、ガース・ブルックスを出したのはキャピトル=東芝EMIであった。カントリー界ではマイナーな存在だったらしい。

それゆえ、キャピトル=東芝EMIは、まったく冴えない古いカントリー音楽を1991年「カントリー・ミュージック・ジャンボリー」として出してしまったが、日本ではまったく売れるはずもなかったと言うのが実情だろう。ジャケ写も検索できないというのは異常である。

ブルックスは引退した所為で動画がほとんど残っていないが、「No Fences」(1990)時代にすでに禿げ始めている。1962年生まれだから、1989年27歳、それまではローカルなクラブで演奏していたとか。苦労が禿げになり、禿げが故にカウボーイハットをかぶったのがうけたのか?禿げの効用!!!

とにかく1990年以降のアメリカについて語る言葉はないので、これ以上深入りしないようにしよう。
posted by Mondayota at 18:59| カントリー

2013年01月18日

60年代カントリー・コンピレーションCDのジャケ写紹介

The Country Music JamboreeVol.4(1990、東芝EMI-Capitol)
The-Country-Music-Jamboree-.jpg

というものである。東芝が音楽事業から撤退し、EMIミュージック・ジャパンが引き継がなかったため、ウェブ上で名前は出てくるが、ジャケットの画像すら出てこないので、ジャケ写をアップするためにこの記事を投稿する。

1960年代前半のカントリーで、ほとんどが時代錯誤も甚だしいバラード。選曲がひどいのか、時代がそうだったのか、ヒットチャートとつきあわせて検証するほかない代物である。

コンピレーションのライナーノーツを書いた人は他界している。

それを読む限り、カリフォルニアのテレビで人気があったシンガーが中心らしい。よくライナーのサブタイトルを読むと「カントリー・グラフィティーの過激な古さが今新しい−今ここに思い出のキャピトル・カントリーが蘇る!!」だそうだ。
と言うかゾンビだよ。

コマーシャル以前に、いくら何でもバラード集って・・・。確かに例のガース・ブルックスがどれ見てもバラードしか歌っていないところを見ると、ブルックスに引きずられた感じがしないでもないが・・・。1990年ていうのはこんな無駄なCDを出せたバブル真っ最中の時代だったという感想しかない。

それくらいだったら、倒産してCD化が遅れたスタックスやカプリコーンのCD出していれば評価されたのにな。バカじゃないの東芝EMIって、東芝は音楽から撤退したんだな。

iTunesでオリジナルLPは無理かもしれないが、ベスト盤はかなり入手できると思う。しかし、度胸がいるよ。ところでカントリーはなぜだかわからないけれどMCAが強いようだ。

曲目紹介
1 コリーナ・コリーナ ジョー・メイフィス&マール・トラヴィス
2 星をみつめないで ジョージ・ジョーンズ
3 テイク・ジーズ・チェインズ・フロム・マイ・ハート ジョージ・ジョーンズ
4 銀の糸と金の針 ローズ・マドックス
5 オールド・ポンチャートレイン ローズ・マドックス
6 ストレンジャーズ マール・ハガード
7 スインギング・ドアー マール・ハガード
8 メイキング・ビリーヴ ワンダ・ジャクソン
9 ジャスト・コール・ミー・ロンサム ワンダ・ジャクソン
10 大空に投げ縄を放れば スリム・ホイットマン
11 北風 スリム・ホイットマン
12 ハイ・ヌーン テックス・リッター
13 風来坊の唄 テックス・リッター
14 ザ・ワルツ・ユー・セイヴド・フォー・ミー ファーリン・ハスキー
15 メイ・ユー・ネバー・ビー・アローン ファーリン・ハスキー
16 セカンド・ザ・フィドル ジーン・シェパード
17 オハイオの岸辺で ブルー・グラス・ジェントルマン
18 涙の小径 ブルー・グラス・ジェントルマン
19 アローン・ウィズ・ユー ファロン・ヤング
20 カントリー・ガール ファロン・ヤング
21 ハロー・ウォールズ ウィリー・ネルソン
22 ナイト・ライフ ウィリー・ネルソン
23 しろがねの翼 ヘイガーズ
24 二度目の恋 マール・ハガード
25 思い出のグリーン・グラス マール・ハガード
posted by Mondayota at 20:26| カントリー

2013年01月17日

日記の類 「ブルーグラス」は民俗学の博士論文だった

ニール・V・ローゼンバーグ「ブルーグラス 一つのアメリカ大衆音楽史」松拍社2002年、は非常に価値が高い。絶版だけれど。

著者は、インディアナ大学博士論文を1967年頃書くのだが、インディアナ州は中西部だけれど南がケンタッキー州でその少し南がナッシュビル(テネシー)で、おそらくフォーク・ムーブメントから、まだ過去になっていないブルーグラスの祖ビル・モンローとのインタビューを踏まえつつ、民俗学をやるという離れ業をやっている。安易なカルチュラルスタディの解釈過剰とはまるで異なる。

方法論は、まず歴史学(記述資料の批判)であり、第二に民俗学(フィールドワーク)であり、第三に社会学的モデル化である。社会学的モデル化を必要とするのは、「ブルーグラス」というまとまりが、客観的実体か、理想的タイプかにかかわるマクス・ウェーバー学者にしたら当たり前のことである。

最低限次のことは言える。
ブルーグラスという名称は、60年代フォークブームによる発見によってつけられた名称で、自称ではない。ビル・モンロー&ブルー・グラス・ボーイズに由来するが、ケッタッキー州の出身のビル・モンローにとって、ブルーグラスというのは、ケッタッキー州の平地の愛称以外の何物でもなく、ケッタッキー州がその音楽故郷なのでも何でもないと言うことである。
ビル・モンローが偶然家族の中でマンドリンを与えられたことが、彼がマンドリンをプレイし、彼のバンドで名人的技巧を発揮したことが、カントリー・ミュージックにマンドリンが入る本当の理由である。とんちんかんな本には、イタリア系移民の影響とか書かれているものもあるが、誤解である。花形の楽器フィドルは兄たちが弾いたから、と言う偶然である。
ビルの名はスコットランド系の由来だそうだ。
基本的スタイルは30年代にヒルビリー・ミュージック・ブームが広がるもととなったジミー・ロジャーズ(シンギング・ブレーキマン)までさかのぼる。
30年代にビル・モンローは自らのバンドを作って活動を始め、1940年代にナッシュビルですぐ成功する。このとき、ナッシュビルの音楽に対する反発が、アコースティック楽器の高音で速い名人芸的合奏とスタイルになり、歌すら高音で歌うようになったらしい。このバンド、つまりブルー・グラス・ボーイズに、バンジョーの天才的プレーヤーアール・スラッグスが参加して、バンジョーの高速フィンガーピッキングが不可欠となって、ブルーグラスと呼ばれることになるスタイルはほぼ完成する。
そして、フォロワーを生みながら、終始ビル・モンローが商業的にも成功し続け、またフェスティバルを主催し続けることで、コマーシャリズムに犯されないカントリーの音楽性の一つの厳選を供給し続けたと言えるわけである。
この多楽器による名人芸のセッション風の演奏は、全然他に共通性はないのだが、ジャズのコンボ形式に似ている。
日本人が覚えておくべきは、「ブルーグラス」というジャンルは、ビル・モンローを離れて存在しないと言うことだ。逆ではないのである。ビル・モンローが高い声の持ち主だったこともスタイルに大きく影響している。

まあもっと詳しく書いてあって、まだ時間がかかるのだが、少なくともフラット・マンドリンとバンジョーのフィンガーピッキングの起源ははっきりした。1945〜48年にそのスタイルは個人的創造によって誕生したのである。

エレクトリック楽器を使わないため、アメリカポップスの甚だしい流行の変遷の影響を受けていない。エレクトリック楽器は使わないが、マイクは使うので勘違いしないように。

カントリーが嫌いと言っても、かったるくってしょうがないバラードが嫌いなのは分かるが、単に日本の湿度からかけ離れた乾燥した音楽性が嫌いというのなら、マーチン・フリードマンと一緒に演歌聞いているしかない。速弾きは好きでも、マーチンがこういうのが好きじゃなかった可能性は高い。

Bill Monroe - Uncle Pen - Grand Ole Opry Classics


Bill Monroe & his Blue Grass Boys - Roanoke


エルビスのデビュー盤「That's all right」(これは黒人R&Bのカバーだった)のB面の曲はビル・モンローがオリジナルである。
"Blue Moon of Kentucky" - Bill Monroe & The Blue Grass Boys
posted by Mondayota at 17:37| カントリー

日記の類 フライング・ブリトー・ブラザーズなんだが

ブライング・ブリトー・ブラザース自体を聞いたことがこれまでなかったし、ましてグラム・パーソンズ(夭逝する)のソロなど、耳にしたこともない。う〜む、ソロはなあ・・・と躊躇するのであった。

CCR(というかジョン・フォガティ)とグラム・パーソンズを並べるのは全くおかしい。CCRは明らかにブルース(あるいはロックになったR&B)が優れていて、短いカントリー色のある曲がヒットした。「プラウド・メアリ」「バッド・ムーン・ライジング」のような初期のヒットにもカントリー色のあるものが、これらは同時にスワンプ色が強い曲とも言われるだろう。全体に占めるカントリー色の強い曲はアルバムに数曲程度である。同じレッドベリーのカーバーである「ミッドナイト・スペシャル」はカントリーに入らないだろうが、「コットンフィールズ」は入るだろう。特徴的なのはバンドは全然カントリーでないと言うことである。強いて言えば、ジョン・フォガティーがそのような曲で用いるフィンガーピッキングが、サウンドでカントリー風味を醸していると言えるだろう。

それに対して、フライング・ブリトー・ブラザースはブルースやR&Bの要素が皆無で、バリエーションが乏しく、カリフォルニアのバンドとしてはコーラスが不透明で、ようやくペダル・スチールとブルーグラス楽器で、ストレートなライトなロックにカントリー色をつけたとしか思えない。あまりにカントリー寄りになると、1960年代あるいはそれ以前のカントリーと違うのは、ベースとドラムだけとなりかねない。短命だったのはしょうがないと思う。

Flying Burrito Brothers - Avalon Ballroom 1969


Flying Burrito Brothers 11-7-70 Fillmore East


Gram Parsons "Still Feeling Blue" from the album GP (1973)


グラム・パーソンズとウェイロン・ジェニングスの違いは、カントリーロックとカントリーの違いは、ここまでくると声の高さだけになる。確かにカントリー本家の太い声は気持ち悪いのだけれどね。

イーグルスは1973年「ならず者」を出すがヒットせず(リンダ・ロンシュタットのカバーで「ならず者」がひっとするが)、次の「オン・ザ・ボーダー」でドン・フェルダーが加入して、よりロック色を増す方向に転じる。ジョン・フォガティは恐怖の「ブルーリッジ・レンジャース」を出す。これがカントリー・ロックの限界で、明らかにロック化したカントリーが勢いを増すのである。リンダ・ロンシュタットがバディ・ホリーの「It's So Easy」をカバーするのが、1977年。カリフォルニアのロックは別にイーグルスが「ホテル・カリフォルニア」を出さなくてもここが限界で、音楽は一大産業になるのである。つまりどんな偉大なミュージシャンもAKBと同じになるという悲しい現象に陥るのである。歴史的評価にゆだねるほかない。

今評価中だ。

ちなみに
ニール・V・ローゼンバーグ「ブルーグラス 一つのアメリカ大衆音楽史」松柏社、2002年
のp19〜p32がブルーグラス前史であるヒルビリー、オールド・タイム・ミュージックに当てられている。非常に貴重である。その後ビル・モンローによるブルーグラス。ミュージックの創造が分厚く書かれるのだが。

品切れだそうだ。だいたいビル・モンローのCD自体入手が簡単ではない。どうしようか迷っているところだ。

本は全部隅々まで読んでいると、浦島太郎になるので、この本もごく一部しか読まないだろう。
その他、アメリカ・ポピュラー・ミュージックにかんするくだらなくなさそうなのを選んで入手中である。
かなりくだらないものが多いのは、商業音楽だからやむを得ない。
posted by Mondayota at 11:01| カントリー

日記の類 ハンク・ウィリアムズとバック・オウェンスの間

バラードが多いジョニー・キャッシュの後継者はおそらくガース・ブルックスじゃないんじゃないかと思うが、60年代生まれの彼の活躍時期は1980年以降で、扱わないことにする。
1980年は退廃の1990年以降のカントリーのポップス化これは独立に論じた本が出ている。1980年代にはアメリカ白人の保守化が色濃くなり例のキリスト教原理主義が勢いを増す。ブッシュ親子のアメリカが生まれるのである。アフガン戦争やイラク戦争ではカントリー・ミュージシャンが、アメリカ国旗を掲げて愛国心を誇示するまで行った。まあカントリーが死んだ期間と後に呼ばれるであろう。次の本がなぜ書かれたのかいまいち分からない。

カントリー音楽のアメリカ―家族、階層、国、社会
ロバート T. ロルフ
¥ 3,150
アマゾンの内容紹介
本書『カントリー音楽のアメリカ 家族、階層、国、社会』は、目次からも分かるように、様々なカントリー・ソングについてのディスカッションを通して、しばしば見逃される、アメリカの数千万人の姿を描き出すことである。 すなわち、アメリカの労働者階級やミドル・クラスが何を信じ、どのように今の世の中を捉 えているかを浮き彫りにすること。 彼らこそ、カントリー音楽の聴衆の中心をなしている。

カントリー音楽には、いわゆるストーリー・ソングと呼ばれる、物語が描かれる歌が多い。そういう歌を聞き、これらのカントリー・ファンは、まるで自分たちの人生の現実が描かれているかのように感じる。つまり、そこには彼らの価値観が反映されていると言えよう。

『カントリー音楽のアメリカ』で扱われる歌の多くは1990年代と2000年代の作品で、今のアメリカと密接な関係を持っている。さらに、1950年代~1980年代の歌もいくつか登場し、カントリー音楽の歴史的な流れも感じさせるであろう。

本書の読み方は、始めから終わりへ、という順序でなくても差し障りはない。 気に入りのアーティスト、関心のある歌、あるいは章から取り掛かることができる。目次を眺めながら、自由に読み進んでいただきたい。

現代のアメリカ音楽の知識を深め、そのイメージを広げるのにも、またアメリカ社会に興味がある読者にも、役立つことを願っている。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ロルフ,ロバート・T.
國學院大学文学部教授(現職)。駒澤大学文学部教授、ワシントン大学(セント・ルイス市)客員準教授、デューク大学(ノース・カロライナ州)助教授。ハワイ大学、文学博士(日本文学)。インディアナ大学、学士(日本文学)
ロルフ/早苗
ブラフトン大学(オハイオ州)経営学科卒。福岡女子大学英文学科卒(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

さて少しマイナーになるが、冬の時代1960から70年代のカントリー・ミュージックで活躍した人が判明しているので紹介するが、CDは入手の見込みが立っていない。輸入盤で結構入手可能だが、日本盤ゼロ!!!ウェイロン・ジェニングスもだが、売れない売れないとか消費者を犯罪者化するレコード会社・・・YouTube以外音源を知りようがないじゃないか?それと、これらミュージシャンが、カントリー・ロックというのが恐ろしく「ロック」至上主義で、アメリカの60〜70年代のカントリー・スタイルとカントリー・ロックを区別が難しいことをかくしていると分かると言うことである。60年代は髪は短いが、カントリーも70年代は長くなる(ジェニングス、ネルソン)。

しばしば、テキサス出身だが、テキサスはブッシュ親子だけでなく、T・ボーン・ウォーカーやスティー・ビー・レイヴォーンのような偉大なブルースマンも生んでいるなど、複雑である。そしてしばしばカリフォルニアが活動の中心なのは、ポップスに流れるナッシュビルに対し、カントリー復古の流れが「タウン・ホール・パーティ」なるテレビ番組を中心にできたらしい(そのため映像が多数残っているのか?)。だからカリフォルニアのカントリー・ロック出現の前に、ロックン・ロールでダメージを受けたカントリーが、フォークともロックとも直接関係なく、高まりつつあったと言うことである。
むしろ、ディランの「ナッシュビル・スカイライン」は東部エスタブリッシュメントの偏見を体現したものと言えるだろう。
なおここに掲げるミュージシャンらのスタイルをハンク・ウィリアムズ以降、ホンキートンク・スタイルと言うがよく分からん。たしかにハンク・ウィリアムズは酔っ払いであったが。ジャンル論はあまり意味がないのでしない。これらに家族的類似を感じるかどうかである。

ジョージ・ジョーンズ(George Jones) *オウエンスの直接の先駆者に当たる
George Jones - The Race Is On


レイ・プライス(Ray Price) *オウエンスの直接の先駆者に当たる
Ray Price - Heartaches by the Number


ハンク・ウィリアムズ他界後、バック・オーウェンズの流れを作るカントリー冬の時代のミュージシャンたち

ファロン・ヤング
Faron Young - Sweet Dreams 1956


エディ・アーノルド
Faron Young - Sweet Dreams 1956
http://youtu.be/BKy5KA_8kC8

カール・スミス
Carl Smith Hey Joe
http://youtu.be/KHXiZVp0cd8

レフティ・フリーゼル
Lefty Frizzell - Cigarettes and Coffee Blues
http://youtu.be/h26nH1qHglg

Webb Pierce - I Don't Care


これらは自分のためのメモでもある。
posted by Mondayota at 09:36| カントリー

2013年01月16日

日記の範囲 1970年代ウェイロン・ジニンズ(アウトロー・ムーブメント)

レッドベリーを聴きながら書いている。
1970年代長髪でカントリーをやったため頂戴した名を使ってアウトロー・ムーブメントをウェイロン・ジニンズ(つづりのままだとウェイロン・ジェニングスだが米Wikipediaに発音記号でそれが間違いであることが指摘されている)だが、いくらか日本でも知名度のあるウィリー・ネルソンとは違いひどく扱いが悪い。
彼は1937年生まれだが、プレスリーが1953年、バディー・ホリーが1936年なのでロックンロール世代といっていい。しかしバディ・ホリーの死で、キャリアが途絶えてしまい、1960年代はロカビリーナッシュビルのチェット・アトキンスの2ndギターをやるなど成果が出なかったらしい。1970年代に、30歳代半ばを過ぎて、RCAビクターと契約した後、カントリーチャートでヒットを連発するようになるのである。つまり、カントリー・ロックが衰退した後、成功するのである。
「Dreaming My Dreams」(1975年)がヒット曲を輩出したアルバムだそうだ。
イーグルスの「呪われた夜」と同じ年、「グレーテスト・ヒッツ」と「ホテルカリフォルニア」の前年である。「ホテルカリフォルニア」はもはやカントリー色がないので、カントリーロック大好きな人(僕も含め)、カントリーがどうのこうのという余裕はなかった。パンクとディスコ・ブームの方が遙かに激しい流れだったのである。事情はアメリカでも同じらしく、ウェイロンが、ポップ・チャートを賑わすことはない。だがもしチャーリー・ダニエルズがカントリー・ロックなら、なんでウェイロン・ジニンズの音楽がカントリー・ロックとしてカテゴライズされないのかは、死ぬほど疑問である。次が最初のヒット曲である。
Waylon Jennings - Lonesome, On'ry and Mean


Waylon Jennings - Honkey Tonk Heros

2000年代まで続く、カントリーのフォーマットが完成しているのが分かる。

もうひとり、カントリーの革新運動に参加したのがウィリー・ネルソン(1933年でエルビス・より年長)でバンダナまいた長髪は有名だ。1976年に「Wanted! The Outlaws」をジニンズらと出し、80年代に次のようなヒット曲を出した。
Willie Nelson - On the Road Again


ちなみにプレスリーの次の曲は、ウィリー・ネルソンの60年代の作品のカバーである。わるくないじゃないの。
Elvis Presley - Funny How Time Slips Away


かくして若い世代ではなく、ロックン・ロールの世代が1970年代から80年代を牽引するという不思議な現象を確認した。

図書館で検索する際は「ウェイロン・ジェニングス」でないと検索できないので。だが板橋にも北にも豊島にもなく、かの文京区にはLPはあってもCDはないのであった。なので買って聞くほかない。しかし何を買っていいのかさっぱり分からない。ウィリー・ネルソンは近所の図書館にも複数ある。

バック・オウェンスはすでに2枚借りたが、さらに2枚入手できた。

他に謎のジョニー・キャッシュ、クリス・クリストファーソン、マール・ハガードなど、60年代以降のカントリー・ミュージシャンがいる。他にもいるかも知らないが・・・

まあそんなに急ぐと財布がピンチになるので、とりあえず調査だけにとどめておく。YouTubeあっての物種である。
posted by Mondayota at 19:13| カントリー

Going Down the Road Feeling Bad:池袋へ

今日は外出日で、豊島区中央図書館に「ウッドストック69 25周年」を返しに行った。
その後調べたらすべての区立図書館にあることがわかった。なにか検索の時勘違いしたのだろう。
今日は雪が残り道が悪いのでチャリは不可能だったから、池袋に電車で行くのはちょうどよかった。

一昨日借りた「バディ・ホリー・コレクション」は解説がすばらしい。しかし「That'll be the Day」(1957年, No.1)「It's So Easy」(クリケッツ名義、リンダ・ロシュタットがカバー)のような曲が収録されていない。「Not Fade Away」(ストーンズ、グレイトフル・デッドがカバー)「Peggie Sue」は収録されている。というわけで他のベスト盤を借りて探したいと思う。近所の図書館にあったのをちょっとつまんできただけだったのだ。バディー・ホリーはカントリーバンドをやっていて、プレスリーにショックを受けてすぐロックンロールと呼ばれるものに転向したらしい。プレスリーの影響が強いものがあるが、もっとストレートなロックに近い感覚がある。カントリー色はない。むしろフォークロックみたいなものすらある。白人の若い音楽志向の強い層には、甘さのないバディ・ホリーの方がうけたかもしれない。
Buddy Holly - That'll Be The Day


Buddy Holly - Not Fade Away
http://youtu.be/AyTtFNGzFsE

Buddy Holly - It's So Easy
http://youtu.be/rDN58FuBYVc

Peggy Sue - Buddy Holly
http://youtu.be/y6nNRJkh_UQ

これがロックファンにはいいと思う。
ベスト・オブ・バディ・ホリー
バディ・ホリー
¥ 1,709


バディ・ホリーが1957年2月3日飛行機事故で、バンドやツアーの同行ミュージシャンとともに他界し、ドン・マクリーンが「アメリカンパイ」で「音楽が死んだ日」と呼ぶことになる。なお同じツアーに参加していた新人カントリー歌手ウェイロン・ジェニングスは、先輩ミュージシャンに席を譲って搭乗しなかったことは、「コレクション」の解説で初めて知った。

タワレコとジュンク堂書店によって、本は買わず(高いし、くだらない)、タワレコでフライング・ブリトー・ブラザーズのCDが¥1800と安かったので「ブリトー・デラックス」(日本盤!!!日本レコード協会感謝しろ)というのを買った。後のイーグルスのバーニー・レドンが初参加(ブルーグラス楽器が増える)のもので、ミック・ジャガーがフライング・ブリトー・ブラザーズに贈ったという「ワイルド・ホーシズ」(ストーンズで有名になっちゃったけど)や「アイ・シャル・ビー・リリースト」(ディラン=ザ・バンド)が収録されていると話題に欠かない作品。

できは一流とは言えないなあ。バーズ(したがってバッファロー・スプリングフィールド)来のコーラスが結構成功していない。古くはビーチボーイズ、前後するCS&Y、イーグルスのパーフェクトさがない。このコーラスの元がドゥーワップないしは商業的ゴスペルグループにあることを見抜いていないと失敗するのである。

イーグルスのパーフェクトでR&B色の強い「呪われた夜」 
*バーニー・レドン最後のアルバムのタイトル曲

Eagles - One of these nights 投稿者 pepesupersound

そして2CDで¥1000という死者にむち打つような格安の「ザ・ディフィニティブ・レッドベリー」を買ってきた。「ミッドナイト・スペシャル」「コットン・フィールズ」などCCRカバーものや、「朝日の当たる家」の原曲「イン・ザ・ニューオリンズ」も入っている。全部聞いて、これもそうかと言うことがあるかもしれない。まあ本気になったら96曲入りのボックスセットを買わないといけないが、今のところカントリーの枠内で拝聴したいだけなので、そこまでのめり込んでいない。だいたいCCR後回しにしているし。

では、どうもまた図書館で用意された見たいので借りてくるとしよう。歩くのもうくたびれたが。
Goin Down The Road Feeling Bad - The Hill Billies 1926
posted by Mondayota at 16:24| カントリー