2013年02月05日

カントリーで行きまっせ #2 ジミー・ロジャース(カントリーの父)

3人のジミー・ロジャースがいる件で、すでにジミーロジャースを扱った。
1)カントリーの父、シンギング・ブレーキマン、ブルーヨーデルのジミー・ロジャース(Jimmie Rodgers:1897-1933)
2)マディ・ウォーターズ・バンドのギタリスト、シカゴブルースマン、ジミー・ロジャース(Jimmy Rodgers:1924-1997)
4)60年代ポップシンガー、ジミー・ロジャース(Jimmie Rodgers:1933)
似たような名前はさらにいくらでもいると思うが、米音楽界ではこの3人である。
1)と2)は同じくらい偉そうだが、3は格落ちである。

今回は1)カントリーの父、ジミー・ロジャースである。

Jimmie Rodgers.jpg

出身は、アパラチアやその周辺ではない。いわゆるミシシッピデルタの中心部といえるだろう。しかし彼は小作(シェアクロッパー)の息子でもなかった。
家庭の事情ではっきりしないが、ミシシッピ州東部のメリディアンか隣接するアラバマ州西部ゲイガーのいずれかである。父親が鉄道会社勤務で、ロジャースも鉄道への憧憬を持っていたが、早くも13歳で旅芸人のショウを始めた。彼の父親が鉄道の水係の仕事を彼に見つけ、ロジャースはそこで鉄道手やホーボーからギターピッキングを習ったりしたというロマンチックな話が伝えられている。そして彼の兄がつとめていたニューオリンズとメリディアンを走る「New Orleans and Northeastern Railroad」会社の制動手(ブレーキマン)の職に就く。鉄道の話が長かったのは、なぜ彼が「歌うブレーキマン」と名乗ったかで、このフレーズがその後「シンギング・カウボーイ」という用語の元ネタになるからである。
 その鉄道は現在は「Norfolk Southern Railway」に吸収されて残っている。
ロジャースは27歳で結果を患い、鉄道会社を一時辞めるが、そのとたん再び旅芸人ショウをを再開するが、サイクロンでテントをとばされ断念し、マイアミで再び鉄道の職を得るが1年経たずやめ、1927年メリディアンに帰る。

 すでに鉄道が整備されて、それで、旅芸人が巡回ショウやっていたことがうかがわれる。それがミンストレルと呼ばれるのか呼ばれないのか何にも分からない。しかし、ロジャースがさまざまな音楽に接する機会が豊富にあったことを示唆する。これは、通説のカントリーのアパラチアン起源説が、19世紀末以降の物理的交通や、社会的交流などの流動化を媒介にしてない、人的伝搬説であることを示唆する。ロジャースの存在は、鉄道とラジオが、後にカントリーと呼ばれるものに決定的役割を果たしたことを物語るものである。この移動や交流がない場合、音楽は宗教的装いを脱げないわけである。この点は白人も黒人も同じで、ゴスペルと、カントリーないしブルースにスタイル上の違いがないのはこのためである。それにすでに見たようにピアの移動レコーディングのテクノロジーが加わる。これらがすべて、沈黙していたかのような南部の音楽文化の一面を商業的で洗練されたものに変えるようになるのである。ミンストレルが起源であってもなくてもだ。

 そしてロジャースは、ノースカロライナ州アシュヴィルのラジオ局WWNCで4月18日午後9時30分オーティス・カイケンダルと演奏。数ヶ月後テバヴァ・ランブラーズというバンドを「ブリストルで」結成!ジミー・ロジャース・エンターテイナーズとしてラジオ番組を持つ。7月バンド仲間がピアのブリストルのレコーディングを知り、8月3日にブリストルに到着。翌日録音が決まったが夜の議論でバンドは解散。ロジャースだけの録音となった。「The Soldier's Sweetheart」「Sleep, Baby, Sleep」を約二時間で録音してロジャースは100ドルを受け取る。

 レコードは10月7日リリースされまあまあのヒットとなった。ロジャースは11月さらに娯楽性を高めようとニューヨークに行って、ピアとセッションを行い、「ブルーヨーデル」(Blue Yodel)と知られる「Tフォー・テキサス」(T for Texas)が生まれた。ビクターがリリースすると50万枚のヒットとなった。彼は一気にスターとなり、ショウはソールドアウトとなるようになった。

Jimmie Rodgers - T For Texas (1927)


コードはブルース進行を借用しているのは明白だし、次の歌詞の通り、美声とヨーデルにもかかわらず、ブルースである。
T For Texas(Blue Yodel No1.) *必ずしも同じではない。

TはテキサスのT、テネシーのT
TはテキサスのT、テネシーのT
TはテキサスのT、テネシーのT
TはテルマのT
俺を傷つけた女の名前さ
[Yodel]: O-De-Lay-Ee-A-Lay-Ee-O-Ly-Ee

女なんかいらないなら
もめ事とは関係ない
女なんかいらないなら
もめ事とは関係ない
女なんてお客よりたくさんいるから
汽車は汽笛を鳴らすのさ
Yodel

俺はピストルを買いたい
威勢をはるためにな
俺はピストルを買いたい
威勢をはるためにな
俺はかわいそうなテルマを撃つんだ
ただ彼女が驚いて飛び上がるのを見たいから
Yodel

俺はショットを買うんだ
長い縦断のベルトのついた奴
俺はショットを買うんだ
長い縦断のベルトのついた奴
俺の女を盗んだ
牧師を撃ちたいから
Yodel

泥水を飲むくらいなら
人のいないぼろ屋さがして眠るのさ
泥水を飲むくらいなら
人のいないぼろ屋さがして眠るのさ
アトランタに行って
野良犬みたいに扱われるくらいなら
Yodel


彼が、弾き語りで、それまでの主役のフィドルなどマウンテン・ミュージック楽器を使わなかったのは気がつかないが、きわめて新しい。これはレコーディング技術ででかい音の楽器に頼らなくてもよくなったことが大きいかもしれない。
またジミー・ロジャースが、ブルース詩をよく知っていたのは明らかである。自分を捨てた女への恨み節は、まあ多くのブルース歌詞の特徴であるから。ジミー・ロジャースがブルース詩に影響を与えた可能性も否定できない。ハウリン・ウルフは明確にインタビューで、ロジャースのヨーデルをコピーしようとしたできず、ハウルことになったと語った。
Howlin' Wolf - Smokestack Lightnin'


白黒つけたがる人には残念だし、黒人差別が厳然とあったのは本当だが、南部で相互に影響があった可能性はかなり高い。
初期のブルースマンも同時期レコーディング次々やっている。レイスレコードで黒人向けと思うかもしれないが、大半の黒人がプレーヤーを買えるほど恵まれていなかったのだから、録音の動機は曖昧で売れもしなかったらしい。

ジミー・ロジャースは、1928年からコロンビア映画のショートフィルム「シンギング・ブレーキマン」に出演し、その姿を後世に残した。というかビートルズに先駆けること30年余年、世界初のプロモーション動画。

Jimmie Rodgers, "The Singing Brakeman" (1930)



「Blue Yodel No.9」(1930)は、弾き語りではなく、ルイ・アームストロングとの共演である。
http://youtu.be/9BFbY9Vw8DM

人気のある曲のひとつ
'T.B. Blues' JIMMIE RODGERS (1931)
http://youtu.be/kgObKhTzHe4

結核の病気もちだったが、大恐慌後、ツアーを多数こなさなければならず、健康をむしばんだ。次の2曲が35歳1933年他界する直前に録音したものである。前者はマディー・ウォーターズに同名異曲のものがあるというか、「Tフォー・テキサス」同様、歌詞にマディ・ウォーターを読み込んでいる
'Mississippi Delta Blues' JIMMIE RODGERS (1933)


Jimmie Rodgers - Years Ago (The last recording of Jimmie Rodgers)


マール・ハガードがよくカバーし、「 Same Train, A Different Time: Merle Haggard Sings The Great Songs Of Jimmie Rodgers」というアルバムを出した。
Merle Haggard - My Old Pal
http://youtu.be/I0LlR9IJ1tI

Merle Haggard - Hard Times Blues("No Hard Times") Live
http://youtu.be/7FBVw6_kss4

ディランは、1997年多数のミュージシャンのトラックを含むトリビュートアルバムを制作した
The Songs of Jimmie Rodgers, A Tribute


1. Dreaming With Tears In My Eyes - Bono
2. Any Old Time - Alison Krauss And Union Station
3. Waiting For A Train - Dickey Betts
4. Somewhere Down Below The Mason Dixon Line - Mary Chapin Carpenter
5. Miss The Mississippi And You - David Ball
6. My Blue Eyed Jane - Bob Dylan
7. Peach Pickin' Time Down In Georgia - Willie Nelson
8. In The Jailhouse Now - Steve Earle & The V-Roys
9. Blue Yodel #9 - Jerry Garcia, David Grisman, & Jophn Kahn
10. Hobo Bill's Last Ride - Iris DeMent
11. Gambling Bar Room Blues - John Mellencamp
12. Mule Skinner Blues - Van Morrison
13. Why Should I Be Lonely - Aaron Neville
14. T For Texas - Dwight Yoakam

ブルースをナンバーをヒットさせた最初の人であり、ハウリン・ウルフだけでなく、当時の多くのブルースマンにも影響を与えた。イギリス人と違って白人が黒人をパクっていたばかりではないことを示す労働者階級のヒーローである。

Mississippi John Hurt - Let The Mermaids Flirt With Me
http://youtu.be/0Voii1RlWc0

残念だが、カントリーに偏見が多い日本人は、ジミー・ロジャースの功績をまったく評価できていない(僕も知らなかったが)。日本盤のCDはない。

Elton john and Leon russel - Jimmie rodgers dream (2010)
http://youtu.be/Iurh6-IQBxY
posted by Mondayota at 12:59| カントリー

2013年02月04日

カントリーでいきまっせ #1 ブリストル・セッション:カーター・ファミリーとジミー・ロジャースの発掘

1927年7月2日以降テネシー州ブリストル(テネシー州北東端アパラチア山脈すぐ西)で、ビクター・レコードのラルフ・ピアのタレント・スカウト・セッションを行った。すでに言及し、なんとなくCDを買ってしまったブリストルセッションである。

ボックス・セットが販売されているので金満の方はお求めいただきたい。その宣伝動画。
VARIOUS ARTISTS The Bristol Sessions


Bristol Sessions 1927-1928
Various Artists
¥ 14,074


僕が買ったミニチュア盤
Bristol Sessions Vol.1
Various Artists
¥ 841


もう一つバージョンがあるが、内容が分からないのでご紹介を控える。
このセッションで8月1日カーター・ファミリー(Carter Family)が、8月4日シンギング・ブレーキ・マン、ジミー・ロジャース(Jimmie Rodgers)が初めてのレコーディングをした。

ラルフ・ピアは、スタジオ以外の屋外レコーディングのパイオニアで、最初にスカウトしたのはフィドリン・ジョン・カーソンであった。これまで紹介してきた他のすべてが、ニューヨーク録音であった。中には素朴でもすでにコマーシャル化しているミュージシャンも含まれた。
ブリストル・セッションは宣伝をした上で、スタジオ・レコーディングをしたものであった。ちょうどアル・クーパーが1972年アトランタに引っ越してレナード・スキナードらを発掘したのに似ているというか、それ以上だ。

ピアは年俸1ドルでビクターはエンジニアとして雇われる代わりに、レコーディングから発生する印税の一部がピアのものとなる契約をした。彼はピアミュージックという会社を設立。すでにカーソンで成功の確信があったことと、1925年頃の録音技術の飛躍的向上があってピアの大胆な録音旅行に向かわせた。

1930年代のアラン・ローマックスの聖なる民俗学的録音とは異なり、商業ベースだったが、玉石混淆の中から手つかずの宝石の発掘に成功し、オールド・タイム・ミュージックの時代を終わらせてしまう。ただしこの初期のレコーディングのピーク後、大恐慌のため、これまで紹介してきた初期のミュージシャンが引退してしまうことにつながりもするのだが。

以下がそのリストである。ゴスペルとダンスミュージックが大半だが、若干ブルースハープ藪ルースを感じさせる者もいる。本当にカーター・ファミリーとジミー・ロジャースは出色である。
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(25 July 1927)
Ernest Stoneman/M. Mooney Brewer
"Dying Girl's Farewell" "Tell Mother I Will Meet Her"
Ernest Stoneman/Eck Dunford/Miss Irma Frost
"Mountaineer's Courtship" "Midnight On The Stormy Deep"
Stoneman's Dixie Mountaineers
"Sweeping Through The Gates" "I Know My Name Is There" "Are You Washed In The Blood?" "No More Goodbyes" "The Resurrection" "I Am Resolved"
 *ストーンマンの歌はゴスペルのような歌。厳粛さがみじんもないダンス音楽なのは白人も黒人も変らなかったという発見!!!
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(26 July 1927)
Ernest Phipps and His Holiness Quartet
"I Want to Go Where Jesus Is" "Do Lord Remember Me" "Old Ship of Zion" "Jesus Is Getting Us Ready for That Great Day" "Happy In Prison" "Don't You Grieve After Me"
 *バンド名とタイトルでわかるが、やはりゴスペルような歌。厳粛さがみじんもないダンス音楽なのは白人も黒人も変らなかったという発見!!!
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(27 July 1927)
Uncle Eck Dunford/Ernest Stoneman/Hattie Stoneman/T. Edwards
"The Whip-Poor-Will's Song" "What Will I Do, For My Money's All Gone" "Skip To Ma Lou Ma Darling" "Barney McCoy"
Blue Ridge Corn Shuckers
"Old Time Corn Shucking Part 1" "Old Time Corn Shucking Part 2"
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(28 July 1927)
Johnson Brothers With Tennessee Wildcats
"Two Brothers Are We"
Johnson Brothers
"The Jealous Sweetheart" "A Passing Policeman" "Just A Message From Carolina" "I Want To See My Mother (Ten Thousand Miles Away)"
 *素朴ながらスライドギター登場!
Johnson Brothers With Tennessee Wildcats
"The Soldier's Poor Little Boy"
Blind Alfred Reed
"The Wreck Of The Virginian" "I Mean To Live for Jesus" "You Must Unload" "Walking In The Way With Jesus"
 *やはりゴスペルのようである
El Watson
"Pot Licker Blues" "Narrow Gauge Blues"
 *迫力のブルースハープ
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(29 July 1927)
B. F. Shelton
"Cold Penitentiary Blues" "Oh Molly Dear" "Pretty Polly" "Darling Cora"
 *素朴ながら確かなバンジョーのフィンガーピッキングと黒人さながらの無音階
Alfred G. Karnes
"Called To The Foreign Field" "I Am Bound For The Promised Land" "Where We'll Never Grow Old" "When I See The Blood" "When They Ring the Golden Bells" "To The Work"
 *渋い声してポップだけどゴスペル。
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(1 August 1927)
J.P. Nester
"Train On The Island" "Georgia" "John My Lover" "Black Eyed Susie"
 *速いバンジョーのピッキング!!!ロックンロールだな。
Bull Mountain Moonshiners
"Sweet Marie" "Johnny Goodwin"
Carter Family
"Bury Me Under The Weeping Willow" "Little Log Cabin By The Sea" "The Poor Orphan Child" "The Storms Are On The Ocean"** "Single Girl, Married Girl"** "The Wandering Boy"
 *声の美しさがダントツ。カーターファミリーピッキングも一部。オートハープを使っている?**印はぼくのCDに収録
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(2 August 1927)
Alcoa Quartet
"Remember Me O Mighty One" "I'm Redeemed"
 *ゴスペルコーラス
Henry Whitter
"Henry Whitter's Fox Chase" "Rain Crow Bill"
 *ブルースハープ
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(3 August 1927)
Fred H. Greever, John B. Kelly, J. V. Snavely
"When They Ring The Golden Bells For You And Me"
 *たぶんゴスペル
Shelor Family
"Big Bend Gal"
Dad Blackard's Mountaineers
"Suzanna Gal" "Sandy River Belle"
 *マウンテン・ダンス・ミュージックだが、ウッドベース入っている?
Shelor Family
"Billy Grimes The Rover"
 *これもウッドベース入っている?
Mr. and Mrs. J. W. Baker
"The Newmarket Wreck" "On The Banks Of The Sunny Tennessee"
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(4 August 1927)
Jimmie Rodgers
"The Soldier's Sweetheart" "Sleep, Baby, Sleep"
 *うわ、歌唱力に声の良さが際立つ。他の歌手と同時代とは思えない。しかも後者はヨーデル入り。ってたった2曲??(ぼくのCDに両方とも収録)
Red Snodgrass' Alabamians
"Weary Blues"
Tenneva Ramblers
"The Longest Train I Ever Saw" "Sweet Heaven When I Die" "Miss Liza, Poor Gal"
 *マウンテン・ダンス・ミュージック
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(5 August 1927)
West Virginia Coon Hunters
"Greasy String" "Your Blue Eyes Run Me Crazy"
 *マウンテン・ダンス・ミュージック
Tennessee Mountaineers
"Standing On The Promises" "At The River"
 *ゴスペル・コーラス
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次はカーター・ファミリーおよびジミー・ロジャース2回目を扱いたいと思う。

なおブリストルセッションの様子が2000年のジョージ・クルーニー主演「O Brother, Where Art Thou」(邦題「オー・ブラザー」)で再現されている。
George Clooney Singing Country - "Man of Constant Sorrow"


もちろん、口パクだが何か?DVD化されているので、借りれるかもしれない。

オー・ブラザー! [DVD]


サウンドトラックもヒットしたらしい。
O Brother, Where Art Thou?
T-Bone Burnett
¥ 1,163


そしてブリストルは「Birthplace of Country Music」と呼ばれて、近年1994年からフェスティバルが行われるようになったらしい(それまでどうしてた?)。
posted by Mondayota at 19:00| カントリー

カントリーで行くばってん #1 カントリー・スチールの登場

行き当たりばったりやっているので6〜7あたりで番号が怪しくなる。
「カントリーで行くばってん」に変えた。カントリーというのは田舎と言うことだから、いろいろ方言で言うべきなもし。

カントリー・ミュージックにフェレラのラップトップスチールを導入したのは、西海岸で直接フェレラのレッスンを受けたジミー・タールトン(Jimmie Tarlton:1892、サウスカロライナ北中部)とトム・ダービー(Tom Darby)のデュオ、ダービー&タールトン(Darby & Tarlton)だった。タールトンがレッスンを受けたのは1922年頃と言われるが、二人がデビューしたのは、タールトンがジョージア州コロンバスに戻り、ダービーとであった後、1927年であったとされる。
記念すべき、カントリ・スチール・ギター1号の作品

ヒットにはつながらかったが1927年4月最初の録音。スチール・ギターはそれほどフィーチャーされていない。
Darby & Tarlton - Down In Florida On A Hog


20万枚のヒットとなった同年9月の録音。歌はハワイアンみたいだが、スチールがフィーチャーされ、フェレラの影響は隠せないが、後のスチール・ギターの和音クリシェがすでに見られる。なぜかワルツもフィーチャーされる。
Darby & Tarlton-Birmingham Jail


なんとレッドベリーのカバーが存在する
Leadbelly - Birmingham Jail (Down in the valley)
http://youtu.be/1Fnpx6MspBI

Darby & Tarlton-Columbus Stockade Blues


Columbus Stockade Blues ドキュメンタリ


ダービー&タールトンは1927年から1933年の間に、63曲を録音。30年代に印税を巡って対立して解散する。やれやれ。二人とも1935年には引退。地元で再結成したこともあったがレコーディングはしていない。タールトンはフォークリバイバルでも演奏したらいしい。

はやくも白人ブルース・スライドの誕生
Darby And Tarlton - Heavy Hearted Blues(1928年10月)
http://youtu.be/aBiN-OLPnH0

ブルースにヨーデル!
TOM DARBY & JIMMIE TARLTON - TRAVELLING YODEL BLUES (COLUMBIA 15330-D, from 1928)
http://youtu.be/Y8b9qA2P1XM

デュアン、まっつあお!ワルツなんだけど。
Darby & Tarlton- Slow Wicked Blues(1929年4月) 


Darby & Tarlton - Sweet Sarah Blues (同時期)これは本当にブルース。
http://youtu.be/nQ7YeFyDOeA

Darby & Tarlton-Little Bessie (1929年10月)
http://youtu.be/Nsm0IR2LuA8

これ以上のスタイルの発展はみられなかった。


posted by Mondayota at 10:13| カントリー

2013年02月03日

新カントリーで行こう #6 スチール・ギターの伝導者フランク・フェレラ

ポルトガル系のハワイアン・ギタリスト、フランク・フェレラ(Frank Ferera)がアメリカにスチール・ギター(というかこの時点ではアコースティック・スライドギターだが)を導入したミュージシャンだそうである。1915年のアメリカツアー時にコロンビアと契約した(らしい)。フェレラはインストルメンタルでハワインアンを演奏したのであるが、聞く限り、カントリーとの違いは今日から見ればほとんどない。1930年頃になるまでまだ単音での演奏にとどまっている。
ON THE BEACH AT WAIKIKI by Helen Louise and Frank Ferera 1915


Ua Like No A Like - Frank Ferera and Anthony Franchini - Brunswick 2106A
Hawaiian Guitar disc. Matrix 5327. Recorded April 1921.


次は有名なハワイアンの曲なのだが、下手なアメリカ人がアロハを演奏したと言われればそう信じるだろう。
Aloha Oe' - Ferera & Franchini Recorded in 1917



1929年以降は、ハワイアンという名のエンターテイメントとして録音したようで、素朴さはなくなり、名人芸になっている。

え、明らかに西欧風ボレロでテキサスの月?そうローマックスが書いたとおり、テキサスにはスペイン民謡が伝承されていたのだ。もはやハワイアンでも何でもない。ツィターみたいな演奏にも聞こえる。
Frank Ferera's Trio Under a Texas Moon (78rpm dub)
from Okeh 41420 (May 5, 1930)


次はルイジアナである。普通のワルツだが。歌はジャズシンガー、Annette Hanshaw。和音の演奏へのアプローチが聞ける。
Frank Ferera Trio - Lazy, Louisiana Moon - 1930


演奏スタイルが、ラップトップスタイルであるのは次の写真で分かる。
Ferera_Frank.jpg

さて、ブルースでのスライドギターの最初の録音は次だと言われる。
Sylvester Weaver - Guitar Blues (1923)
http://youtu.be/j00yl_EJUGQ

次の1927年の録音が明らかなブルーススライドギターの例で、スライドギターは独学だといわれ、他のブルースミュージシャンも広く録音するようになる。これはブルースハープと同じくベンドをして曖昧なノートを演奏するためと言われるが、ハワイアンとの関係は不明である。しばしばナイフや瓶の首を切ったものをバーとし、カントリーがしばしばギターをねかせたいわゆるラップスチールギターなのに対し、ブルースはギターを抱えて演奏する点で、起源は不明だが別系統で発展をしたと思われる。
Dark Was the Night, Cold Was the Ground - Blind Willie Johnson
posted by Mondayota at 16:19| カントリー

新カントリーで行こう #5 スキレット・リッカーズ

スキーレット・リッカーズ(Skillet Lickers)はギッド・ターナー(Gid Tanner)が1924年組んだバンドで、1931年解散するがメンバーを変え、1934年には「Down Yonder」をヒットさせるが、これは古色蒼然たるフィドル・ミュージックだった。
Gid Tanner & The Skillet Lickers - Down Yonder
http://youtu.be/NyYJ_TccN44

ただし盲目のギターリストのリドリー・プケット(Riley Puckett)とギターのベースラインがその後のブルールラス、カントリーへのベースの導入を暗示しているのだけが新しい!!!

次のようなコメディ音楽が得意で人気があったみたいだが、音楽的にはアパラチアン・フィドル・ダンス音楽で、ある種保守反動である。
Gid Tanner & The Skillet Lickers-Soldiers Joy-1929(w/film clip)


次の歌はディズニーの白雪姫の七人のこびとの歌にクリソツである。「ハイホー」(Heigh Ho)はシューマンの「The Happy Farmer, Returning From Work」というまあピアノの練習曲になっている曲になっている曲に触発されたと言われているのだが。「白雪姫」が1937年の作品というのも信じられんが、とにかくまたパクリを見つけた。「Heigh Ho」の作曲者はロサンゼルスのFrank Churchillというインチキ野郎だ。フィル・スペクターまっつあおである。
Gid Tanner and his Skillet Lickers "Dixie" (1927)


Heigh Ho in the movie "Snow Beauty"(1937)
http://youtu.be/s_Ocix_htP8

R.Schuman - The Happy Farmer, Returning From Work これはディズニーを高級文化に結びつけようとするまったく根拠のない話だ。アホか。
http://youtu.be/I0Kd-H73Wo8

フィドリン・ジョン・カーソンと人気を二分したと言うことで録音が非常に多いが、基本的にカントリーと言うよりオールド・タイム・ミュージックの人気を広めた人と評価すべきだろう。現在でも「The Skillet Lickers : Complete Recorded Works In Chronological Order 」Vo.1〜6が入手可能なほどだ。

まあ違いかもしれないので、根性で調べてほしい。僕は何にも興味が湧かない。それだけだ。
posted by Mondayota at 09:32| カントリー

2013年02月02日

新カントリーで行こう #4 チャーリー・プール:カントリー・フォーマットの完成

チャーリー・プール(ボーカル、バンジョー:1982〜1931)は、ヴァージニアに隣接するノースカロライナの中部でアパラチアンではないとおもわれるが、バンドを組むことになる義兄弟のポージー・ローラー(Posey Rorer:フィドラー)は、ウェストバージニア出身である。ローラーおよびノーマン・ウッディーフ(ギター)とともに1917年"ノース・カロライナ・ランブラーズ"の名前で活動を始める。ニューヨークでオーディションを受け、1925年「Don't Let Your Deal Go Down Blues」をリリース。10万2千枚を売り上げる(当時南部には60万台程度しかプレーヤーがなかった)。
Charlie Poole - Don't Let Your Deal Go Down Blues (1925)


バンジョーのフィンガー・ピッキングをバンド・スタイルに組み込んだ点が受けたのだと思われる。これがブルーグラスの基本的なフォーマットになったと高く評価される点である。またコード進行が、キーGで|E(7)|A(7)|D(7)|Gmajor|というセカンダリー・ドミナントの進行を用いて演奏されている。全部リピートなのはアパラチアンダンス音楽の流れだが、過大評価すればオールドタイム・ミュージックにビートルズ的革命を起こしたと言ってよろしい。素朴すぎて、評価できないと思うが。
同時に録音された曲はそれほど奇抜でないが、バース=コーラス形式を取り、コード進行だけでバリエーションがある。かくして伝統的ダンスミュージックを離れて、カントリーないしはブルーグラスに発展する方向を作ったと言えるだろう。

Charlie Poole-I'm The Man That Rode The Mule Around The World (1925)
http://youtu.be/Ur46m2PvjiE

および
"Can I Sleep In Your Barn Tonight Mister" (1925)
http://youtu.be/g0Um8za5G14
のコードは現在でもあり得るもので、キーCとすると
|C|C|G|G|C|F|CG|C|
というものである。もう一曲は類似だがさらに凝っていて、明らかに作曲の意思が分かる。

Charlie Poole And The North Carolina Ramblers-The Girl I Left In Sunny Tennessee (1925)
http://youtu.be/wpNFAfQGBYw

|C|F|G|C|C|F|G|C|
|C|C|F|C|C|A7|G|G|
|C|C|F|C|C|CG|C|
という「長い」現代的なコード進行を持っている。セカンダリードミナントの他、アーメン終始とドミナント終始の両方を入れている。ボーカルも後世のカントリーシンガーのスタイルにつながる調子があり、単にフィドルが鳴り続けているのがオールドタイム・ミュージックの面影をとどめているだけかもしれない。

翌1926年の録音はほとんど、フィドルのポージー・ローラーが主導のダンスミュージックで、歌が入ったものもその域に戻っている。しかし次の曲はタイトルがいいのかカバーが非常に多い。たぶんブルーグラスの入門曲として親しまれているのだろう。タイトルもいいしね。
Charlie Poole Ragtime Annie (1926)
http://youtu.be/RQARym7g2rQ

次のは同年でバースがブルース進行の変形で、コーラスが大胆にアメリカ的なサブドミナントへの進行を強調した進行になっている。ほとんどロックである。歌もまるでレヴォン・ヘルムが歌っているみたいである。ほぼこれがアメリカ音楽のルーツだと言い切ってかまわないだろう。もしカントリーが単なるポップスになったらここ戻ればいいというスタイルが確立されている。

Charlie Poole - Leaving home (1926)


つぎの曲はシンプルすぎるとおもうが(ブルース12小節進行を変形している)、主題もあって、カバーも多い
Charlie Poole & The North Carolina Ramblers-White House Blues (1926)


曲は単調だがアップテンポでブルーグラスのノリがフィドルに出てきた最初の録音
Charlie Poole & The North Carolina Ramblers - Take A Drink On Me (1927)
http://youtu.be/fTcZbUnH5OU

Charlie Poole-Baltimore Fire(1929)
http://youtu.be/Y7x5AWhT2ec

タイタニック同様時事ネタを歌ったものだが、カントリーに時事ネタを歌う伝統を継承したことになる。カバーが多い。歌のパートでフィドルをやめるように洗練された。
1927年以降は人気が落ちているようだ。それもそのはず、スタイルが確立するとともにマンネリがはじまったのである。つぎもマンネリだが、これはコマーシャルになって西部劇で流れてもおかしくない田舎くささを強調しているのだ。この作られた田舎くささが「カントリー」の核であるとおもわれる。
He Rambled-Charlie Poole (1929)
http://youtu.be/Z9ihlKmaCrw

たった年間しか録音ができず、1931年に心臓発作で他界したチャーリー・プールの最後の録音の一つ。ローリング・ストーンズ級の偉大なるマンネリである。
Charlie Poole-Milwaukee Blues (1931)
http://youtu.be/Mkckcztg6P4

さて、まだブルーグラスの名人技が入っていないので、ビル・モンローとハンク・ウィリアムズの両巨頭に、プールはカントリー・ミュージックのフォーマットを確立して多大な影響を及ぼすのである。また初期のミュージシャンにもカバーされる一方、1960年代のフォークリバイバルブームで脚光を浴び、「ホワイト・ハウス・ブルース」をジョン・クーガー・メレンキャンプが、「Don’t Let the Deal Go Down」をグレートフルデッドがカバー(「Deal」として演奏)したほか、ホットツナ、ジョン・バエズ、ドク・ワトソンによるカバーがある。

冒頭の曲である。
The Grateful Dead - Deal (Rockpalast, 1981) (Don't let the deal go down)


Doc Watson - 1991 - Don't Let Your Deal Go Down


おまけ。チャーリー・プールの末裔ザ・バンドとリヴォン・ヘルムの再現!
Rag Mama Rag - The Band
posted by Mondayota at 20:09| カントリー

新カントリーで行こう #3 ザ・タイタニックのいくつかのバリエーション

アーネスト・ストーンマンが初めて1924年録音した「ザ・タイタニック」は、1910年代に作られたフォークソング(タイタニック沈没は1912年)で20年代のソングブックに収録されているものだが作者については確認がない。

より詳しい調査については次のサイト(英語)を参照のこと。
http://www.potw.org/archive/potw76a.html

タイトルは「The Titanic」「The Sinking of the Titanic」「When That Great Ship Went Down」など歌詞同様バリエーションがある。

 歌詞はもともと巨大な船を作り、貧乏人を冷遇したことへの非難を含む、ゴスペル色のある歌だった。巨大な船への非難は、現在の反原発の間抜けが1910年代のアラバマの田舎者と同程度であることを示している。
 この非難の論調が次第に強くなり世俗化し、また人々が宗教歌を歌ったのが、楽団が演奏したまま沈むなど劇的にもなっている。レッドベリーのバージョンは、彼の創作だとは断定できない。他にも「ジャック・ジョンソン」や「石炭は乗せない」や「イーグルロック」の言葉を持つ音源不明なものがみられるからだ。
 この場合は貧乏人が犠牲になった話が、黒人がタイタニックに象徴される上流社会からそもそも排除されているため命を失わずにすんだ、ラッキーだぜというところまで発展している。
 そのためか、ウッディ・ガスリーのカバーは、スタイルはアーネスト・ストーンマンてきであるが、ほとんどを歌詞を省略している貧相なものになっているため、掲載しない。
その他ベッシー・ジョーンズの歌は、まったく独自のゴスペル・スタイル曲である。

1915・6年年の初期のソングブックのアラバマで歌われた歌詞は次の通りだそうだ。
The Great Titanic
It was on one Monday morning just about one o'clock
When that great Titanic began to reel and rock;
People began to scream and cry,
Saying, "Lord, am I going to die?"
 それは月曜深夜ちょうど1時
 巨大なタイタニックはよろめき揺れ始めた
 人々は泣き叫び始め
 ああもうおしまいだと言った
<繰り返し>
It was sad when that great ship went down,
It was sad when that great ship went down,
Husbands and wives and little children lost their lives,
It was sad when that great ship went down.
巨大船が沈没するのは悲しいこと
巨大船が沈没するのは悲しいこと
夫婦も子供も命を落とす
巨大船が沈没するのは悲しいこと

When that ship left England it was making for the shore,
The rich had declared that they would not ride with the poor,
So they put the poor below,
They were the first to go.
 イギリスを出向し、陸から離れず航行した
 金持ちは、貧乏人と一緒に乗るのはごめんと宣言し
 貧乏人は船底においやられ、最初に命を落とすことになる

While they were building they said what they would do,
We will build a ship that water can't go through;
But God with power in hand
Showed the world that it could not stand.
 タイタニックを作った人々は、それは可能だと言った
 水漏れをしない船を作るのだと
 しかし神はその力でそれが不可能だと世界にお示しになった

Those people on that ship were a long ways from home,
With friends all around they did n't know that the time had come;
Death came riding by,
Sixteen hundred had to die.
 船上の人々は家や友から遠く離れ
 その時が来るのは知らなかった
 死神が一緒に乗り込んだ
 1600人が命を落とした
While Paul was sailing his men around,
God told him that not a man should drown;
If you trust and obey,
I will save you all to-day.
 ポールが男たちと主に航行しているとき
 神は我を信じ従えば
 一人はおぼれず、一日命を救うと言った

You know it must have been awful with those people on the sea,
They say that they were singing, "Nearer My God to Thee."
While some were homeward bound,
Sixteen hundred had to drown.
 海に放り出された人々のは恐ろしいことだった
 彼らは「主よ御許に近づかん」を歌った
 一部は帰郷できたが
 1600人がおぼれなければならなかった *1513人が死亡したというのが通説

Ernest Stoneman's "The Titanic" (Okeh 40288) in September 1924
http://docsouth.unc.edu/nc/titanic/titanic.htmlAudio File (MP3 file, ca. 2.9MB, 3:10 min.)

It was on Monday morning just about one o'clock,
That the great Titanic begin to reel and rock.
Then the people began to cry, saying, "Lord I'm a-going to die."
It was sad when that great ship went down.
 月曜深夜1時頃
 大きなタイタニックはよろめき、揺れはじめた
 「ああ、もうおしまいだ」と叫びだした
 巨大な船が沈むのは悲しいこと

<繰り返し>
It was sad when that great ship went down,
Husbands and wives, little children lost their lives.
It was sad when that great ship went down.
 巨大な船が沈むのは悲しい
 夫婦と子供たちが命を失った
 巨大な船が沈むのは悲しい

When they were building the Titanic, they said what they could do.
They were going to build a ship that no water could not go through,
But God with his mighty hand showed to the world it could not stand.
It was sad when that great ship went down.
 タイタニックを作るとき、我々はならできると言った
 決して水の漏れぬ船を我々なら作れると言った
 けれど我らの神はその力で、それは無理だとお示しになった。
 巨大な船が沈むのは悲しいこと

<繰り返し>

When they left Eng-a-land, they were making for the shore.
The rich they declared they would not ride with the poor.
So they sent the poor below, they were the first that had to go.
It was sad when that great ship went down.
 英国の地を出発し、岸壁を後にした
 金持ちは宣言した。貧乏人とは一緒になりたくないと
 だから彼らは貧乏人を一番下に乗せ、貧乏人は最初に犠牲となった
 巨大な船が沈むのは悲しいこと 

<繰り返し>

When the people on the ship were a long ways from home,
With friends all around them, didn't know their time had come,
For death came riding by, sixteen hundred had to die.
It was sad when that great ship went down.
 船上の人々が家や友から遠く離れたとき
 その時が来るのを船上の人々は知らなかった
 死が乗り込み、6000人が亡くなった
 巨大な船が沈むのは悲しいこと

<繰り返し>


William and Versey Smith's "When That Great Ship Went Down" in August 1927
When That Great Ship Went Down

Oh, they built the ship Titanic, to sail the ocean blue.
For they thought it was a ship that water would never go through.
It was on its maiden trip, that an iceberg hit the ship.
It was sad when the great ship went down.
 ああ、青い海を航海するタイタニックを彼らは作った
 水が漏れることなどないと彼らは考えたから
 船は処女航海に立旅立ち、流氷が直撃した

<繰り返し>
It was sad, so sad.
It was sad, so sad.
It was sad when the great ship went down (to the bottom of the....)
Uncles and aunts, little children lost their pants.
It was sad when the great ship went down.
 それは悲しい、あまりに悲しい
 それは悲しい、あまりに悲しい
 巨大船が沈没するのは悲しい(海底へ)
 叔父や叔母や子供たちは両親を失い
 巨大船が沈没するのは悲しい

They were not far from the shore, 'bout a thousand miles or more,
When the rich refused to associate with the poor.
So they threw them down below, where they were the first to go.
It was sad when the great ship went down.
 陸からそれほど離れていなかった、せいぜい数十マイル
 金持ちが、貧乏人と一緒にされるのを拒み
 貧乏人は船底に追いやられ、最初に死んだ
 巨大船が沈没するのは悲しい

<繰り返し>

Oh, the heroes saved the weak, as the ship began to leak.
And the band on deck played on.
With, "Nearer my God to Thee", they were swept into the sea.
It was sad when the great ship went down.
 船が沈み始めたとき、英雄が弱きものを救う
 そして楽団は「主よ御許に近づかん」を演奏を続ける
 彼らは海に飲み込まれた

<繰り返し>

Oh they built a sister ship, Called the S.S. Kunatah
And they knew it was a ship that would never get very far.
So, they christened it with GOP,
And it sunk with a Ker-Plop!
It was glad when the sad ship went down.
 おおなんと、彼らはS.S.クヌタ号*という姉妹船をつくったが *不明
 その船が遠くまで行けないと分かっていた
 だから洗礼名をGOPとした *GOP、共和党の別名
 そしてそれはボチャンと沈んだのさ
悲しい船が沈没するのは嬉しいこと
 
<繰り返し>


Leadbelly - The Titanic
Captain Smith, when he got his load
Mighta heared him holl'in', All aboa'd
Cryin', Fare thee, Titanic, fare thee well.
 神の御許にいるスミス船長は
 誰でも乗船させると行ったと聞いたかもしれない
 涙する、タイタニックに乗りし汝、乗りし汝

Jack Johnson wanted to ge on boa'd;
Captain Smith hollered, "I ain' haulin' no coal."
Cryin', Fare thee, Titanic, fare thee well.
 ジャック・ジョンソン*は乗船しに行った *実在の当時の黒人ボクサー
 船長のスミスは大声で言う。「この船は石炭は乗せぬ」
 涙する、タイタニックに乗りし汝、乗りし汝

It was midnight on the sea,
Band playin', "Nearer My God to Thee."
Cryin', Fare thee, Titanic, fare thee well.
 深夜海上を走る船
 楽団は「主よ御許に近づかん」を演奏す
 涙する、タイタニックに乗りし汝、乗りし汝

Had them lifeboats aroun'
, Savin' the women, lettin' the men go down.
Cryin', Fare thee, Titanic, fare thee well.
 散らばる救命ボート
 女は男を放り出せと言う
 涙する、タイタニックに乗りし汝、乗りし汝

When the women got out on land,
Cryin', "Lawd, have mercy on my man."
Cryin', Fare thee, Titanic, fare thee well.
 女たちは上陸すると
 神よ我が夫にお慈悲をと嘆く
 涙する、タイタニックに乗りし汝、乗りし汝

Jack Johnson heard the mighty shock,
Mighta seen the black rascal doin' the Eagle Rock.
Cryin', Fare thee, Titanic, fare thee well.
 ジャック・ジョンソンは激しくショックを受けた
 黒いいたずら者がイーグル・ロック*をするのを見たかもしれない *当時流行の踊り
 涙する、タイタニックに乗りし汝、乗りし汝

Black man oughta shout for joy,
Never lost a girl or either a boy.
Cryin', Fare thee, Titanic, fare thee well.
 黒人は歓喜に叫ぶべきだ
 娘も息子も死ななかった
 涙する、タイタニックに乗りし汝、乗りし汝

Hope this helps you Mr. Seed
Consider it a "peace offering"
Your most humble servant - gargoyle
 ミスター・シードよ、これが気味の助けになることを願う
 これは「平和な提案」だと思え
 汝の最も卑しい召使い−ガーゴイル* *ゴシック建築の怪物の彫刻


Bessie Jones - THE TITANIC *アラン・ローマックスによる録音
*この歌はまったく異なるバージョンである
Chorus (Repeated after every stanza):
God moves on the waters
April the 14th day
God moves on the water,
Everybody had to run and pray
 神は水を動かす
 4月14日に
 神は水を動かす
 4月14日に

Titanic left Southampton
With all their sport and game
But when they struck that iceberg
I know their mind was changed
 タイタニックはサザンプトンを出航
 あらゆる娯楽と一緒に
 けれど流氷に衝突
 彼らは恐れおののいたのさ

Their mothers told their daughters
On a pleasure trip they may go
But when they struck that iceberg
They haven't been seen anymore
 母親は娘にはなしをした
 これから行く旅の楽しさを
 けれど流氷に衝突し
 おぼれて亡くなった

One man, John Jacob Astor,
A man with pluck and brain
While this great ship was sinkin'
All the women he tried to save
 ジョン・ジェイコブ・アストルという男
 勇気と知恵のある男
 巨大な船が沈むなか
 すべての女を助けようとした
 
He was warended (sic) by a freight boat
Captain Smith would not take heed
But instead of givin' a warnin'
He ran with greater speed
 彼は貨物ボートを降ろした
 スミス船長は注意しなかったが
 けれど警告しただけ
 彼は最高速でボートを走らせた
 
He kissed his wife a last time
When the boiler did explode
He helped her in the lifeboat
Sayin', 'I won't see you anymo''
 彼は最後のキスを妻とした
 ボイラーが爆発したとき
 彼は妻を救命ボートに助け上げた
 もう二度と会えないと言って
 
The story of the shipwreck
Is almost too sad to tell
One thousand and six hundred
Went down forever to dwell
 船の事故の物語
 それを語るのはつらい
 1600人が
 永遠に海の藻屑となった

Well, the 14th day of April
It was in nineteen hundred and twelve
The ship had a wreck by the iceberg
It went down forever to dwell
 4月14日
 1912年
 船が流氷事故に遭い
 永遠に海の藻屑となった

posted by Mondayota at 11:50| カントリー

2013年01月28日

Bob Wills 折衷的な革新者

Bob Wills "The King of Swing"を聞いた。
彼のキャリアは大変早く、1905年生まれで、しばしばカントリー・ブルースマンより、たとえば1911年生まれのロバート・ジョンソンより年長で、最近バカがネタにしたミンストレルショウやメディシンショウから音楽を始めている。そのため、彼が終生音楽をシリアスなものではなくて、エンターテイメントとしてやっていたことを理解しないと、途中で入る、ソロなどへのはやし声が理解できない。

かれをウェスタン・スイングの元祖だというのは的外れではないだろうけれど、音楽的に完全にクロスオーバーしたかというとしていないというのが結論である。コンボ編成のジャズバンド編成に、フィドルか後にペダルスチールを入れた、2拍子感が強いスイングしたカントリーである。

ウェスタン・スイングやホンキートンク・スタイルと言うジャンルが存在する根拠がないのはボブ・ウィルスやハンク・ウィリアムスのスタイルの変遷から言えることであることがはっきりした。このようなジャンル論をばらまいていたカントリー評論家は死んでしまったので、もうこういういみのないジャンルを持ち出すのはやめたいものである。

そのボブ・ウィルスやハンク・ウィリアムズが第二次大戦中に活動して、ほぼ最後の創造的なカントリー世代となったことは書いた。

ビル・ヘイリーがヒットした最初のロックン・ロールを演奏できた影にはその二人が欠かせない。バンド編成はウィルスのものそのままだし(サックスは新しいかもしれない)、「ロック・アラウンド・クロック」のメロディは、ハンク・ウィリアムスの「Movin' It over Over」そのままである。「Movin' It on Over」自体が、スタイルが明白にボブ・ウィルスのスタイルなのである。

ウィルスは、エンターテイメントだから、はやりのスタイルを取り入れるのにまったく躊躇しなかった。だけれどそれを洗練させるところまではしなかった。もっとフィドルやスチールギターではなく、たまにソロを取るジャズギターをフィーチャーしていたら、その後の評価は全然違っていただろう。クロスオーバーではなく、折衷的だったのだ。しかしその漠然としたスタイルはハンク・ウィリアムスばかりでなく、後のロック、とりわけジェリー・ガルシアへの影響は隠しようがないと思われる。

なお「The King of Swing」(Comlete Country, UK)は新品CDなのに2曲音が跳ぶという品質の悪さ。日本盤は発売されたことはあるが現在は存在しない。iTunesならいくらでもいろいろ買える。しかも、あくまで、ビル・ヘイリーとの関係で歴史的作品として以外聞く価値は日本人にはない。次の事情もあるからだ。

第二次大戦の話だが、戦後の日本人が無視するのは当たり前である。
なんと「Smoke on the Water」は深紫のではない。

SMOKE ON THE WATER by Bob Wills 1945


歌詞の一部は次の通りである。
There'll be smoke on the water On the land and the sea
When our Army and Navy overtake the enemy
There'll be smoke on the mountain where the heathen Gods stay
And the sun that is shining will go down on that day

Hirohito along with Hitler will be riding on a rail
Mussolini'll beg for mercy as a leader he has failed
There's be no time for pity when the screaming Eagle flies
That will be the end of axis they must answer with their lives

水上に煙が上がる。陸上に、海上に
アメリカ軍が敵を撃退するとき。
野蛮な神がいる山に煙が上がる
そして輝く朝日はその日沈むだろう

ヒットラーとともにヒロヒトが進軍し
ムッソリーニはしくじった指導者として慈悲を乞う
叫ぶ鷹が飛ぶとき、哀れむ余地はない
それは枢軸国の終りで、命を持って答えなければならない

と、米英鬼畜の軍歌とあまり変らないのである。
天皇に言及していなければ、よかったが昭和にこの人は事実上放送禁止である。
その他「Stars and Stripes on Iwo Jima」「White Cross on Okinawa」など複数の軍歌が含まれる。

それでも反原発野郎の忌野清志郎よりは歌詞がしゃれているのは否めないな。

posted by Mondayota at 17:34| カントリー

ザ・ブリストル・セッションズ Vol.1

いま「RCAカントリー・レジェンド・ザ・ブリストル・セションズ Vol.1」なる1927年のオールド・タイム・ミュージックのアルバム(Vol.2は所在不明)を聞いているところ。これだけのコレクションとしては十分レコード音楽史上でも古いんじゃなかろうか(ロバート・ジョンスンのレコーディングと同じ頃)。16組18曲が収録されている(ジミー・ロジャースとカーター・ファミリーだけが2曲ずつ)。The Bristol Sessions 1927/28と言うものもでているが怖いのでパスした。ビクターの後援を受けたラルフ・シルベスター・ピーア(フィドリン’ジョン・カーソンをレコーディングした東部のビジネスマン)が、テキサスのブリストルで録音を10日間すると広告し集まったミュージシャンが音源らしい。下層階級したがって黒人は含まれていないと思われる。カントリー音楽に発展する1920年代のオールド・タイム・ミュージックがいかなる状況にあったかが1枚で分かるお得盤。非常に素朴なフィドルから、複数の種類の合奏を含むもの(ブルーグラスの原初的形態)、ジミー・ロジャースとカーター・ファミリーが入っているからその点だけでも安心だ。
Bristol Sessions Vol.1
Various Artists
¥ 810

posted by Mondayota at 10:17| カントリー

2013年01月22日

ホンキートンク・ミュージック(カントリー)とは

いくら言葉で説明されてもさっぱり分からないのが、ウェスターン・スイングとホンキートンク・スタイルである。ともにカントリーの辺境テキサス(ブルースも独自のスタイルをとる)の出自である。

ウェスタン・スイングの典型がボブ・ウィルスで、これがビル・ヘイリーに直接的な影響を与えた可能性があることは述べた。ボブ・ウィルス自体は、日本が交戦状態だったため、まったく日本には紹介されなかった可能性が高い。

ホンキートンクは、もともとテキサスのバーの別称で、ここで演奏するカントリー・ミュージシャンが騒々しい客にたいして歌ったスタイルにゆらいするといわれる。ただし直接の関係はない可能性もある。しばしばアンプリファイしたカントリー・ミュージックがホンキートンク・スタイルであるが、同時域の音楽であるため、フルバンドスタイルか小規模スタイルか以外、ウェスタン・スイングと初期ホンキートンク・スタイルを聞き分けるのは難しい。

最初のホンキートンク・スタイルの曲は次と言われている。現代の耳からすると普通のカントリーにしか聞こえない。ちなみに日本は戦時中である。

Ernest Tubb - Walking the Floor Over You (1943)


初期ホンキートンクスタイルのフロイド・ティルマンである。ジャズともブルースとも共通性が多い。シャッフルや節回。

Floyd Tillman - Slippin' Around  1949


Floyd Tillman - This Cold War With You


第二次大戦後(1945〜)、「冷戦」の言葉がはやったのか?特に意識されることがなかったかのようにウィリー・ネルソンはじめ多数のカバーが存在する。

そうしてホンキートンク・スタイルを確立したのが、偉大なるハンク・ウィリアムズその人である。身体に苦痛を伴う障害があり、そのためアルコールに依存し、1953年エルビス出現を見ることなく29歳で他界する。明るいリズミカルな歌と演奏はみじんもその苦痛を感じさせない。

最初の2曲は戦時中である。戦争でバンドメンバーが徴兵され、障害のあるハンクだけが残って次の2曲を戦時中にリリースする。
Hank Williams Sr - Never Again


Hank Williams - Honky Tonkin'


Hank Williams - Honky Tonk Blues 1948'


Move it on Over - Hank Williams 1948
 どう聞いても「ロック・アラウンド・クロック」のメロディである。それほど新しかったと言うことである。


次の曲がハンク・ウィリアムズはカントリーのメインストリームに入る」。ジミー・ロジャース以来のヨーデルを取り入れており、ひとりでクロスオーバーできる豊かな才能の持ち主であったらしいことがわかる。
Hank Williams..."Lovesick Blues" 1949


このハンク・ウィリアムズのスタイルから、ホンキートンクスタイルはロックン・ロールと勝負せざるをえない。

カントリーでは有名だが一般に知名度のないジョージ・ジョーンズとファロン・ヤングなどがデビュー。なお1959年はロックンロール空白期である。
GEORGE JONES WHITE LIGHTNING 1959
http://youtu.be/WE5pM1HXxlI

Faron Young - That's What It's Like To Be Lonesome 1959
http://youtu.be/HjNAh7KiQfc

スタイルやカテゴリーとして、ホンキートンク・カントリーが存在するとは考えにくい。ソロで、エレクトリック時代に入る頃ウェスタンスイングやメインストリーム・カントリーの長所を取り入れ、ロックンロールの影響も受けた変化するクロスオーバーカントリーの一時期であると思われる。むしろ見た目のイメージの方が大きいと思われる。

これがカリフォルニアのテレビ中心のバック・オウエンスになると、なんとメキシカンまっつぁおの派手な衣装を身にまとう・・・・・

The Rolling Stones - Honky Tonk Women - Live On Copacabana Beach
posted by Mondayota at 08:48| カントリー