2010年12月08日

サールとデリダを並行して読もうかな

Free Speech Act
ジョン・サールが1960年代UCバークレー校で参加したフリー・スピーチ・ムーブメントとサールの地位を決定づけた本『スピーチ・アクト』(発話行為)の両方へのリスペクトをささげて名付けました。


サイトFree Speech Actに、ジョン・サールを含む哲学関連文献すべて掲載しました
Free Speech Act
https://freespeechact.wordpress.com/
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サールの「MiND」は読んだ。これでも僕は素人なので十分だと言いたいところだが、志向性と充足条件に関する議論や、意識の存在論的還元不能性の議論は、常識人にとって優れたものだと思うが、無意識や自己同一性の議論は、社会学をお勉強しちゃった身の上としては、物足りなさを感じる。
ポストモダンやマルクス主義やフロイトが、「発生論的誤謬」を犯しているという議論をしているのだがたった2ページほど(p341〜342)でおしまいでは、いくらなんで哲学的貧民窟の住人はご不満であろう。
「発生論的誤謬」というのは
ある信念があり、他方にその原因があって、原因が信念を十分に証明できないなら、その信念は偽であるという形式

であるらしい。
なにしろ文章が短いので、解釈は様々かもしれない。
まあサールのホームページと言うものが存在するそうなのでそちらをご覧いただきたい。
John Searle
Slusser Professor of Philosophy

http://ist-socrates.berkeley.edu/~jsearle/

john-searle-50-years-at-berkeley_resized.jpg.png

アーティクルのページには未公刊の論文が掲載されていてご覧になることができる。
# What is Language: Some Preliminary Remarks" PDF document
# "Langage, conscience, rationalité: une philosophie naturelle, entretien avec John SEARLE" PDF document
# "Consciousness" Word document
# "The Future of Philosophy" Word document
# "Neither Phenomenological Description Nor Rational Reconstruction: Reply to Hubert Dreyfus" Word document
# "Limits of Phenomenology" Word document
# "Interview With John Searle" By Julian Moore Word document
# "Free Will as a Problem in Neurobiology" (formatted with Unix codes) Word document
# "Refutation of Relativism" (formatted with Unix codes) Word document
# "Biological Naturalism" Word document
# "Why I Am Not a Property Dualist" Word document
# "Social Ontology: Some Basic Principles" Word Document
# "What Is An Institution" Word Document
# "The Phenomenological Illusion" in Experience and Analysis.

太字にしたものは、著作に含まれていない現象学に対する論文や未邦訳のサールの社会に関する考えを表明しているものであるようなので、面白いかもしれないBiological Naturalismは、「MiND」で生物学的自然主義として、サールが自分の立場として表明したものである。

サールは、話をあえて複雑にすることを避ける信条を持っているようで、観念論的な話はまったく省略である。観念論しか取柄がない(あるいは観念論化したマルクス主義=柄谷らのような)日本の哲学者は、サールはひょっとして哲学史を踏まえていないという原因の不十分さを指摘して、サールの主張を全部誤謬とする発生論的誤謬を犯すものと思われる。そうではなく、哲学史の話しかしていないというのが、日本の「思想」の現状だ。
サールについて話をするのが哲学者の仕事だとしたら、これまた発生論的誤謬である(万能包丁だな)。心とはなにか(認知科学から言えば世界とは何か)について、語る以上の2階の哲学に甘んじるべきじゃあないということである。
さて、デリダが「幾何学の起源」を書いていること自体、発生論的問題設定にデリダが最初からとらわれていたことを示唆する。サールのぶった切り風に言えば、デリダ先生は、原因にさかのぼれないためにいかなる信念も正しさが決定的ではないというような議論を延々続けているだけだと言い切れるように思われる。
少なくとも若きデリダ先生の「幾何学の起源」と「フッサールにおける発生の問題」なら、ダジャレがないので、まあ努力すれば読めるかもしれない。「声と現象」以降のデリダ式ダジャレ哲学?をどう相手にしていいのかどうかがわからない。それは現象学とか、ソシュールとか未確立の新思想にかぶれたせいで、大陸哲学が決定的な混乱に陥ったことを考え合わせれば、より慎重であってよいであろう。

発生論的論法を使えば、すべての確立した経験科学は、偽である。なぜならモノや対象が経験的に実在するという未確立の哲学的前提に立っているからである。

しかし話は反対で、このような結論を出してしまう哲学的問の方のどこかに間違いがあるのである。サールの論法はそういう形である。

サールの自由意思や、自己同一性の議論は、倫理や社会の領域に踏み込んでいると思われるのだが、さすがアメリカ人であるため、「自由」に対して懐疑的になることはない(自由意思については十分な議論をしている)。「脳神経科学リテラシー」と言う本でもそうだったのだが、ある心理学(心の哲学)から、買い物をするみたいに自己責任と自由について語るのは無理があるのである。そんなことリベラルについて日本人が語ることと、アメリカ人が語ることと、中国人が語ることは一つとしておなじでないという、日米中語の部屋状態なのかもしれないのである。非常に強くそう思っているため、サンデルの本の読者が信用できない。

サールによれば、認知心理学が、ニューロンの高次のネットワークとして、意識に相当するものにアプローチできる可能性はいまのところないようである。

さて、いろいろ議論は錯綜するが、もう53歳だけれど、21世紀人として物事をとらえたいのである。
20世紀初頭のフッサールやフレーゲ、あるいはラッセル、ウィトゲンシュタインですらもう非常に昔の議論なのである。

新思想が登場することを期待したいところだが、この1年いろいろ目を通しても、最新思想ですらカント、ヘーゲルのへその緒を引きずっている。どう考えてもこの読書離れの時代に、純粋理性批判やら精神現象学を読めと言うのは、常識を欠いていると僕は思う。それくらいなら素朴実在論で十分なのである。道具的理性で十分なのである。

科学的メタファーに頼ったあらゆる新思想は御免こうむりたい。もはや100%それらは間違いである。

サールは、科学的メタファー主義から見るとあまりに正攻法で、まあかっこうよくないかもしれないが、毎日パソコンやら形態をいじっていて、経験科学を否定したり、近代科学と理性を否定するのは間が抜けているとしか言いようがない。

まあそういうわけで次の二冊を並行して読んで見たいと思う。そんで未来永劫、哲学ごっこはもうやめにしたいと思う。

ディスカバー・マインド!―哲学の挑戦 [単行本] / ジョン・R. サール (著); John R. Searle (原著); 宮原 勇 (翻訳); 筑摩書房 (刊)

幾何学の起源 [単行本] / エドムント フッサール, ジャック デリダ (著); Edmund Husserl, Jacques Derrida (原著); 田島 節夫, 鈴木 修一, 矢島 忠夫 (翻訳); 青土社 (刊)
posted by Kose at 15:13| ジョン・サール