2017年07月17日

制度的事実と、意図せざる影響力

社会学がつぶれたのは、前者をおろそかにして(合理的行為)、後者(非合理的間接的影響)に夢中になったせいだ。あるいは両者を混同して同じ間主観的幻想にしたことで、そこには社会学者の思い上がった理性主義がある。

サール先生の社会哲学は前者の集合的志向的行為が、個人主義的にせよ社会実在論(たとえば法律は非個人的に実在する)にせよ、物理的でも心理的でもない社会的実在であることを明らかにした点である。

これは所与の社会的現象が至高の計画者がおらず、自立的に社会的行為が可能である基礎的な分析である。
これは乳児の発達段階での他者の意図法海からコミュニケーションに発達する事実に裏付けられてる。

さて、非合理的影響力は、再帰的に、社会制度で合理的行為に吸収される。これが莫大な社会の構築の仕組みである。

この非合理的影響力にアホ社会学者は、自らの理性で勝利していると思っているのだ。

そうではなく、たとえば実物貨幣が、紙幣に移行するとき、合理性は継承され、偽札という非合理的効果が出るが、それも社会的制度に繰り込まれるのだ。

デリダがバカなのはここら辺のダイナミクスが理解できない静的なものだと考える点である。

もし「社会的現実」という言葉が与えられたとき何をイメージするかわからん。少なくとも近代社会は非常に硬質の社会制度の網で構成されているが、それは現象学的意識に社会的に構成されているというわけではない。

そのとき現象学的社会学者が「社会のイメージ」を先に社会的実在に投影して、「構成されている部分の社会」が社会のすべてだと主張したのである。

サール先生の厳しい分析は、社会的制度には物理的xを社会的yとみなすという構造が見いださなければ、それは実在ではないということだ。これにより単なるメタファーが徹底して排除される。

この方法をギターピックアップや材に適用してみた。それが何学なのか知らないが。ギターのディスコースから物理的xの検討のないメタファーは完全に「ウソ」「売り文句」とみなしていいと評価した。

非常にクラシックからのメタファーが多く、ついで黎明期の希少時代のメタファーだ。

だが、しょうもない事実をいえば、音楽関係者が思うほど、ベニヤだろうがマホガニーだろうが大差はないと予想する。
それは音楽関係者だからという莫大な芸術的形而上学の物理的xがマホガニーであったり、ローズウッドだったりするだけである。
たとえばライ・クーダーが使用したゴールドフォイルというものもメタファーである。わかっている。
ただ中華ピックアップが、まあゴールドフォイルだからある程度売れるだろうという商算で。中身はモダンなハイパフォーマンスのピックアップでありそうな感じするので面白いのである。ゴールドフォイルはメタファーだが、そのモダンな中身は制度的実在である。もちろんライクーダー好きだからゴールドフォイルを好んだというのはメタファーが、その実力はライクダーとは関係がない。
ピックアップアー単純なので、磁力、コイル、ノイズ、周波数特性で物理的に測定できる。
材とピックアップの関係はなかなか合理的でないが、ピックアップ完全に合理的である。
将来は、ピックアップ至上主義で、ベニヤにネックつけてギター作り作りたいほどである。たぶんあるタイプの音色では上手く行くと思う。材なんでどうでもいいのだという実証実験である。
マ失敗すればご愛敬である。

社会的実在には物質的基礎があり、なければメタファーでしかない。

これが今のところ格率である。
posted by Kose at 22:45| 評論

2017年01月13日

森元良太『生物学の哲学入門』における決定論に扱いについて

森元良太『生物学の哲学入門』なのだが。

生物学の概念を分析するのが生物学の哲学だと、エリオット・ソーバーの著作からそう思っていたが、進化の決定論の議論は、生物学にまじめに取り上げられている概念なんだろうか。

心の哲学には明らかにそういう概念は存在する。いわゆる心身問題である。脳のある状態がこころのある状態を一義的に決定しているというのは脳科学者が仮説として掲げるのにはよい概念だと思う。決定しているか決定していないか、今のところ乏しい知識しかないからね。そしてこれについては20世紀後半かなり激しい論争があった。論争はまた局面を変えて続くだろう。

この乏しい知識しかないことを森元はラプラスの悪魔を持ち出して、本当は決定されているのだと主張する。
心の哲学においては、これをホムンクルスの悪魔と呼ぶだろう。実際には「論点先取りの誤謬」である。問いの立て方が間違いである。科学哲学の態度ではない。森元は自分が名声期に理解していないことことを書いたそれだけである。

このタイプの主張と、進化論の対抗バージョンであるインテリジェント・デザインを区別するのは難しい。インテリジェントデザインの場合は神様が決定しているのであって、ラプラスの悪魔ではない。これの別バージョンにはライプニッツの予定調和説がある。今いろいろなことがこのように起こるのは万能の神の意思がそうするようにしているからだというタイプの説明である。ラプラスの悪魔との違いは、わずかである。

そういうことを問題にしているのではなくて、そういう無益な哲学的一般論を「生物学の概念」だと主張することである。生物というのは、曖昧な言葉だが、ひとつのシステム(系)である。分子や原子の振る舞いは別の系である。地球という所与の環境もひとつの系だし、地球が太陽系の第三惑星であるというのもひとつの系である。そしてトランプ大統領のアメリカというのもひとつの系である。

ラプラスの悪魔は、今のところロシアのハッキングによる大統領選の操作ということになるらしい。

事実であれば、そうだが一般的にロシアがアメリカ政治を操作しているという科学的仮説を「陰謀論」と呼ぶ。日本の政治はアメリカが操作しているとか・・・まじめな科学は相手にしないだろう。事実だとしてもそれはニュートン力学の決定論とは何も関係のないことである。

だから生物学の哲学は、生物学者の有益な概念を扱うことまで任務を限定しないと話にならない。
生物学者の有限な知識と、人間一般の能力の限界は同一視できないだろう。後者は形而上学と呼ぶ。

だったら、森元良太はSTAP細胞事件を解決してほしい。

つまり森元良太は、生物学の概念上で自然科学だから決定論という仮説をもって見かけ上非決定な自然探求することを嘲笑しているようにしかみえないのである。

それはヘーゲルやハイデガーやデリダの文学青年の自然科学を見る立場である。まだマルクス主義の方がましである。たしかに歴史的弁証法の決定論に同調する哲学者はもはやマイノリティだろうからである。

一晩ぐっすり寝たはずだが、寝ていても考えているという現象は本当にあるんだな。
posted by Kose at 05:16| 評論

2017年01月05日

常温核融合がまだねつ造だと思っている科学史学者がいたりする件




最近と言っても昨年9月だが、日経が報じている。
米で特許 再現成功で「常温核融合」、再評価が加速
日本経済新聞 2016/9/9 6:30
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO06252800Z10C16A8000000/


物理学会では認知されていないらしいが、三菱重工業が研究を継続していたことはWikipediaに書いてあった。なんとそのチームが東北大に移籍したらしい。昨日の非常識は今日の非常識。東北大に移籍したということはアカデミックに認められるだろうと言うことだ。覚えておけよ。

斉藤憲とか言う学者は日本科学史学会会長に立候補するとほざいているが、十分遠い話以外について歴史家が口を挟めないことがわかっていないのではこの学会は死にそうだな。
斎藤 憲(さいとう けん、1958年1月21日 - )は、科学史学者、大阪府立大学教授。
1980年東京大学教養学部科学史科学哲学卒業。82年同文学部イタリア文学科卒。90年同大学院理学系研究科博士課程科学史科学基礎論修了、「エウクレイデス「原論」における比例論の研究」で理学博士。1992年千葉大学文学部助教授。1997年大阪府立大学総合科学部助教授。2005年同人間社会学部助教授、07年准教授、2011年教授。


ぼくの見聞きするかぎり、一般人がアクセスできるかぎりで、この間のエントロピック力学とか、分子生物学におけるエピジェネティクスとか、進化理論における統計学とかはおそらくパラダイムシフトの最中で、歴史が動いている最中である。

まあSTAP細胞は、類似の事例の蓄積とか理論的予想がないから、頭の固い部外者は信じるか信じないかの話になっちゃうんだけれどね。もし科学史家なら、まあ学者が卑劣で徒党を組んで古い学問を死守するのにどれだけ一生懸命だったか知っているはずだと思うんだけれど。
posted by Kose at 16:24| 評論

2016年12月23日

【産経】妊娠した女性の脳の社会的認知や共感の部位は、シナプス刈り込みで専門化した回路が強化され、小さくなる

産経新聞だから、朝日新聞のフェミニストは、頭ごなしに否定するかもしれない。それ以上コメントはないが、最近『愛が実を結ぶとき』を呼んだ影響で、たいへん面白いと思っただけである。

妊娠した女性の脳は「物理的に変化する」:研究結果
産経新聞 2016.12.22 20:30
http://www.sankei.com/wired/news/161222/wir1612220002-n1.html
 女性の脳は、妊娠・出産を通して一部の領域の灰白質が小さくなることがわかった。子どもに対する共感を強めるための「シナプスの再配線」をしているのかもしれない。
妊娠すると女性の脳の構造は変化し、赤ちゃんに対してより共感できるように適応している可能性がある、という研究結果が発表された。
これは、妊娠前と妊娠後の女性の脳の構造に着目した初めての臨床研究で、女性の脳のさまざまな変化を計5年以上にわたって観察したものだ。バルセロナ自治大学のオスカー・ヴィリャローヤ率いる研究チームは、女性の脳を調べ、前頭皮質中央と後部皮質の灰白質、および前頭前皮質と側頭皮質の一部が小さくなっていることを確認した。これらの部位は、脳のなかで社会的認知や共感を感じる領域と重なる。母親が自分の赤ちゃんの画像を見るときに活性化される部分だ。
研究者チームによれば、この脳の変化は妊娠によって始まり、出産後少なくとも2年続くという。
『Nature Neuroscience』誌に発表された研究論文の執筆者のひとり、エルズリン・ホエクジマは、この変化は、女性の脳細胞が失われるというよりは、「シナプス刈り込み」(必要なシナプス結合だけが強められ、不要なシナプス結合は除去される現象)が行われていると考えている。「弱いシナプス結合が取り除かれ、より効率的で専門化した神経回路網になるのです」
研究チームは、初めて子どもをもった25人の女性19人のMRI画像を、子どもをもったことがない、もしくは妊娠したことがない20人の女性のMRI画像と比較した。妊娠したことがないすべての女性の灰白質に変化は見られなかったという。
この変化は生物学的な理由によるものか、それとも子どもと過ごした時間の長さによるものかは明らかではない。しかし研究者たちは、灰白質の変化は顕著なもので、その変化の有無を見るだけで被験者が妊娠を経験したかどうかを簡単に見分けることができると述べている。
この変化がホルモンレヴェルに関係した一時的なものかどうかを知るためには、もっと多くの女性を対象に、より長期間にわたり研究を続ける必要があるという。
posted by Kose at 19:38| 評論

びっくり!ダークマター存在せず???エントロピック重力理論???

ウヒェー!ダークマターなくてもいいんだってさ。
さも宇宙最後の謎と堂々と物理の本に書いてあったのに。しかも重力とは「物体の位置に関する情報量の変化によって生じるエントロピー的な力である」というエントロピック重力理論に基づくのだそうだ。Wikipediaに翻訳の掲載がある以外、全くネットに記事がない状態である。
その論理は300年以上の論理をひっくり返すような論理で、重力は「物質の位置に関連付く情報」の結果である」と議論している。このモデルは、ジェラルド・トフーフトのホログラフィック原理を持つ重力と熱力学的アプローチを結びつけている。これは、重力は基本相互作用ではなく、ホログラフィックスクリーン上にエンコードされたマイクロスコピックな自由度の統計的振る舞いから創り出された現象であることを意味している。

あくまで翻訳らしいのでさらに何を言っているかわからない。エントロピック重力理論の提唱は、2009年で、論文は2010年のプレプリントによるものだそうだ。2011年にダークマターの説明の可能性を提唱したらしい。5年で観測されたわけだ。STAP細胞もこの調子で行ってほしい。理論じゃないけどね。

ダークマター存在せず? - 「エントロピック重力理論」と観測データが一致
荒井聡
マイナビニュース 2016/12/22
http://news.mynavi.jp/news/2016/12/22/230/
ライデン天文台(オランダ)の天文学者マーゴット・ブラウワー氏らの研究チームは、宇宙における重力分布の測定データを分析し、「エントロピック重力理論(ヴァーリンデ理論)」と一致する結果を得たと報告した。エントロピック重力理論は、2010年にアムステルダム大学の理論物理学者エリック・ヴァーリンデ教授が発表した重力についての新理論。重力とは「電磁気力」「強い力」「弱い力」と並ぶ自然の基本的な力ではなく、実は「見かけの現象」に過ぎないとする理論であり、発表当時、物議を醸した。この理論に立つと、宇宙の全質量・エネルギーの約27%を占めるとされる目に見えない未確認の重力源「暗黒物質(ダークマター)」を想定しなくても良くなる点も注目されている。ブラウワー氏らの研究論文は「英国王立天文学会月報」に掲載された。
研究チームは今回、3万3000個超の銀河の周囲での重力分布を測定し、それらのデータがヴァーリンデ理論による予測値と一致するかどうかを調べた。その結果、観測された重力分布はヴァーリンデ理論とよく一致していることが確かめられたという。
重力分布の測定には「重力レンズ効果」を用いる。銀河の重力によって銀河の周囲の空間が歪むため、歪んだ空間がレンズの役割を果たし、その空間内を通る光の進路が曲がる。これによって手前の銀河のまわりでは背後の銀河の像がわずかに歪む。この歪みを測定することで重力分布を調べることができる。
重力レンズを使って調べると、銀河の周囲では、アインシュタインの一般相対性理論から予想されるより強い重力が、銀河の半径の数百倍に及ぶ範囲に広がっていることがわかる。一般相対性理論に矛盾しないようにこの重力分布を説明するには、見えない重力源であるダークマターの存在を仮定する必要がある。一方、ヴァーリンデ理論では、ダークマターを想定せず、目に見えている天体だけを重力源として計算しても観測結果を上手く説明することができる。
ブラウワー氏は「ダークマターを仮定しても銀河のまわりの重力分布は説明可能である」と指摘する。つまり、今回の研究によってダークマターの存在が直接否定されたわけではない。ただし、ダークマターによる説明では、実際の観測で得られたデータと合致するようにダークマターの質量を決める必要がある。つまり、理論と現実を一致させるための自由変数として、ダークマターの質量が使われている。一方、ヴァーリンデ理論はこうした自由変数を利用しておらず、理論から直接導出した予測値が実際の観測結果と一致するという強みがある。
今年11月には、理論提唱者であるヴァーリンデ教授本人も、エントロピック重力によって「銀河の回転速度問題」を説明できるとする論文を発表した。渦状銀河の外縁部は、非常に速い速度で回転していることがわかっているが、目に見える通常の天体の質量にもとづく計算ではこの速度の説明がつかない。この問題を既存の重力理論の枠内で説明するには、目に見えない大量のダークマターを重力源として想定する必要があった。
エントロピック重力理論では、重力とは「物体の位置に関する情報量の変化によって生じるエントロピー的な力である」と説明される。物体の位置が変動することによって、情報量としてのエントロピーが変化し、この変化が重力という形を取って現れるという。つまり、重力とは、エントロピー変化にともなう見かけ上の現象ということになる。
この主張は、「電磁気力」「強い力」「弱い力」と並ぶ自然の基本的な力として重力をとらえる従来の物理学理論とは大きく異なっている。また、「情報」という概念を使って重力について説明しているところも、エントロピック重力理論の特徴である。三次元空間内の情報はすべて二次元平面に保存されるとする物理学上の仮説「ホログラフィック原理」とも深く関わっている。
posted by Kose at 18:14| 評論

2016年08月20日

懐かしのジェンダー論

バカバカしいから一切書かないが、ジェンダー論は、フーコーが陥った実念論(概念実在論)の誤りである。
まったく話にならない。

LGBTも実念論的カテゴリー化である。
生育時のホルモンバランスがバックグランドにあり、文化的影響もあるかもしれず、境界はわからないが、男女とホモとヘテロの組み合わせから、「演繹」されるものではことは確実である。

それはフーコーや社会構成主義は、ジェンダーが恣意的に権力で作られたものだというアナーキズムであって、これをリベラルとかいうのはてんでおかしい。

少数者だから常にすでに人権が侵害されているとか、デリダか?もちろんスピヴァクが貢献しているのは確かだろう。朝日新聞の論調はこの手のものである。貧困でもジェンダーでもなんでもいいんだ。

概念実在論とデコンストラクショニズムから手を切らないジェンダー論はアメリカでは死んでいると思う。

20年以上前のアメリカの議論である。

「ガープの世界」(ジョン・アーヴィング作1978年、映画1982年)の時代から、このアナーキーな議論はあった。

posted by Kose at 12:36| 評論

2016年08月10日

セミプロ・ブログって

朝日新聞のWebRonzaにSTAP細胞に概念上近接する米独の研究についての投稿(「米国とドイツでSTAP細胞関連の論文発表 不都合な事実を無視するマスメディア」)をした湯之上隆氏が、修正を要求されたうえ、それを投稿は認められた。しかし担当編集者がクビになり、代わって、昨日論理の誤用を指摘した粥川準二の湯之上氏の主張を否定する記事をWebRonzaが掲載したという話がBusiness Journalに掲載された。

要するに二人とも別に細胞生物学のプロではないし、他にもソースがあるので「どうでもいい」ので無視した。粥川準二は論理のイロハもわかってないし。米独の研究がSTAPとは独立しているのも確かだが、STAPと関係ないわけではないし、さほど権威が高くないので、評価が難しいということだ。それだけである。

科学史ではもっと同じ研究を全然別なところで同時行っていて、新発見の栄誉をいずれか、あるいは両方がとるということは珍しいことではない。

ぼくの感触ではSTAPと概念的に同じ現象が見つかっている、というかSTAPのような現象がみつかるのは、トカゲのしっぽなどから、あってもおかしくないということである。

ただ、STAPの話を読む限り、条件が難しく、とくにSTAP自体の増殖能力が弱いことは認められているため、それが確立するのは時間がかかるだろうに、科学誌掲載の要求にヴァカンティ氏が負けて、基礎的研究をおろそかにして、若山にキメラ作らして証明する愚挙に出たのは間違いだっと思う。キメラを科学誌の査読者が要求し続けたのは、それは無理だろうと信じていたからに違いない。麻酔医の発見をプロパーの幹細胞生物学者が容易に認めることはありえないということである。

STAP事件は日本のヒステリーのように思ってきたし思われていると思うが、そうではない。アメリカの幹細胞生物学者のエスタブリッシュメントが、大隅典子を使って、潰しにかかったということだ。彼女らが「日本の科学コミュニティの信頼」を錦の御旗に掲げていたのは、まさに「アメリカのエスタブリッシュメントへの信頼」が念頭にあったのだと憶測している。

そして潰れたが、それは誤って潰したと信じる。

さて個人のブログでどんな阿呆な突拍子もないことを書いても無害である。

だがいくつかのセミプロ個人ブログはひどい。そして朝日新聞のWebRonzaの場合は朝日新聞本体の特定の個人、2014年当時大隅典子とともにWebRonzaで猛烈な反STAPプロパガンダを行った「朝日新聞編集委員WebRonza所属東大物理学科卒、高橋真理子」が上の湯之上記事を粥川記事で潰しにかかったのはほぼ自明であるが、湯之上氏がその編集員の情報をもっていなかったところが情けないというか、お人よしというか。

まあこれはセミプロブログが、結構政治的に裏があって表に出てくるのだということが明白となったひとつの事例である。

セミ・プロブログなんて、よほどでないと普通誰も目に通さないエキセントリックなものばかりが多いんだけどね。そして普通目を通すことはないし、目を通したとして論評に値するものは99%ない。

ブログのいいところは唯一、記録としてウェブ検索対象になるということくらいである。ここには全くランダムな記事がたくさん掲載されているが、希少な情報があり(たとえば、デレク&ドミノスのジム・ゴードンの監獄生活を報じた記事の翻訳や、プレスリーのドーナツの件について徹底して調べた記事ー本当の真相には迫れなかった―日本人DJがラジオで流したデマだった)、ぼくの関知しないところで役にたっているのである。

ぼくの場合は、1%のひらめきが失われる前に、それを書き留めておくという意味くらいしかない。
資料とか集めて完全なものにする能力は99%ぼくにはないのでね(そういう能力があったら違う人生でお金を必要条件とすることができた)。誰か気になったら、あとはやってくれ。
posted by Kose at 06:43| 評論

2016年08月09日

支配の三類型から

憲法、伝統、威厳

これは、マックス・ウェーバーの支配の三類型、合法的支配、伝統的支配、カリスマ的支配を象徴天皇制に当てはまたものである。

政府もマスコミも学者も、憲法と伝統についてはご意見をお持ちのようだ。だが象徴天皇は、たんなる形式だと宮内庁も判断していたように思われる。

だが天皇陛下は、マックス・ウェーバーを学ばれたか知らないが(たぶん精読なされた感じがある)、象徴天皇制が合理的かつ伝統的な支配の形式に過ぎないとはお考えになっておらず、単に形式にとどまらない天皇の威厳の現代的なあり方を実践してきたことにたいする、宮内庁やマスコミや政府や学者の理解の足りなさに、自らの個人的主張として、天皇自身の実践から学べと言われてのだと思われる。

合法的伝統的な形式的理解では、天皇は何もしなくても、その威厳が保てるという曖昧で、腰の引けた理解しかできなかったのだが、天皇は、国民とともにあることを実践の形で示すことで、国民の統合の象徴であることにひとつの形だあるのだということを示されたのである。

先の大戦を経験した昭和天皇は、戦前の威厳というものを継承していたが、そこに同時にタブーも併せ持っていた。

今上天皇は、その威厳もタブーもないゼロからの出発だったのである。ご存知の通り、ほとんどタブーのない威厳をもつことを今上天皇がもつことに成功したと思う。

さてだから、生前退位の問題にすぎないのではないのだ。

天皇の象徴としての威厳の問題なのである。生前退位は、この威厳の継承の問題なのである。合法的伝統的形式に堕することは、永遠の戦後の天皇の威厳の発展を阻害するかもしれないという器具を共有していただきたいということである。この威厳は、右翼思想家が夢想するようなカリスマ性ではなく、天皇が国民とともにあることを日々実践することによってのみ維持される生きた威厳なのであるということなのである。

聡明な識者は今度のご発言をこういう見地で、じっくり考えていただきたい。

平成は、冷戦からナショナリズムとグローバリズムの世紀であった。世界各国がこの以降に大きく揺さぶられている。日本は、比較的その点で静穏な状態を保っている。だがEUにおける排他主義の伸張、イギリスのEU離脱、トランプのポピュリズム、中国ロシアの近大ナショナリズムを伴う古代的帝国主義化、中東での国民国家の崩壊・・・。平静にこの波を単によその国の危機とせず次世代に生かしたいものだ。
posted by Kose at 08:48| 評論

2016年08月03日

都議会と内田茂の社会学(いい加減です)

問題は青島幸男が当選して、都市博を中止し、知事と議会が対立したまま、青島が無能化したことに端を発すると思う。
内田茂が何か実力とかがあるという情報は得られなかった。
千代田区なので定数1なのである。まさしく消滅都市である。この定数1を放置しているため、都議会議員定数が異常に多いのである。
これができないようにするため都議会が特権集団化しているというのがひとつの社会学的結論である。
もっと特殊になぜ内田茂なのかと言えば、青島幸男当選、都市博中止(1995年)の翌年1996年に内田茂が都議会自民党会長になったということである。
1999年までの3年間、知事は無能、都議会と都庁で行政を動かす体制が「偶然」、強調するが「偶然」できたのである。
そしてバブル崩壊で日本も東京もダイナミズムを失い、基本的に都知事選はポピュリズムになったわけである。つまり、都知事を御する社会層が崩壊したということである。
その後の石原慎太郎などすべて、都知事が無能でも動く都議会=都庁体制で、悠々自適に勝手なことを言ってきただけである。
小池百合子はポピュリズムだと自民とか産経新聞は言うかもしれないが、そうではない。アベノミクスで活性化した社会層が、失われた20年の無気力組織層を圧倒したということである。
東京2020オリンピックは石原ポピュリズムの産物なので、選挙のアジェンダにすらならかったことがこれを裏付ける。

以上大雑把に社会学してみました。
小池百合子って大学で社会学かじっているんだそうだ・・・

*ポピュリズムは、社会のどの層も政治的支配力がないとき(エリート、中間層が没落し場合)、無知性な大衆の人気で支配力を得ることである。大衆迎合主義とか民主主義とは異なる。「支配的政治勢力がいない」ことによって特徴づけられるのだ。産経とかしばしば間違える。
posted by Kose at 09:51| 評論

2016年07月17日

【憲法】背中が痛いのでツイッター文から・・・

基本的人権は、キリスト教由来の自然権から派生するため、非西欧国で法哲学的に難しいが、日本国憲法が戦後の国連憲章等に合致するか先行するため(社会主義国を除く)事後的に正当性が強化されたのである。これを放棄する自民党は、国連脱退をまたやる以外道はない。9条は関係ない。


憲法学者が一国憲法主義であるため、憲法の哲学問題を検討する努力を戦後70年年放棄してきたから、安保法制反対なんかバカバカしい。

憲法の根幹は9条ではなく、非西欧国で最も民主的であるとされた憲法全体の評価である。
旧憲法ないし自民党草案は歴史という実在もどきを理念化する「歴主義である」。だが、自然権の立論は、歴史(国とか国王とか)から断絶して、モデルとしての人格に「自然に」権利があり、それにもとづいて社会契約が行われるという筋書きである。後者の議論は西欧でも主に実定法の立場から大いに批判されている。

さて、明治期、国家主権をもっていたのは列強だけである。なので明治憲法は、その内容(プロイセン憲法のパクリ)ではなく、文明国として憲法をもつことを示して、たの植民地化可能な未開国とは日本は違うのだという国際法上の地位を承認させたことには意義がある。その後のドタバタと大量の死人についてはさておく。

さて、日本国憲法制定当時、いまだ国際社会は欧米中心の植民地主義の末期であった。

なので日本国憲法は植民地主義の産物かというというと、そうではない(押し付け憲法論を否定する)。

日本国憲法は、アメリカの占領政策とアメリカの超楽観的な民主主義の合体したものだと思う。
右かなところでは教育委員会は、行政、議会から独立した教育の民主化の機関とというのがアメリカにおける実情である。現行憲法等はこれをそのまま輸入したため、全く機能しない行政の補助機関になり下がっている。まあ同じ目的理念もハビタスによって機能しない典型であろう。

長いので端折ると、日本国憲法には欠陥はあるが、ほとんどが、戦後の国連憲章によってその正当性が強化されこそすれ、自然法や歴主義的解釈が必要だとは思われないのである。大雑把に言って国際法の一部だ。

ここで安倍自民党政権は、自由と民主主義の価値を否定して、国際社会から離脱する気があるのかである。まあ離脱したら軍隊は必要だとは思うが、それは実在の自衛隊とは何の関係もない絵空事である。

まるでイスラム国も真っ青な、独善である。
なんか年表上の歴史的事実を見つけて、それが法源だという。
この場合旧憲法とGHQの介入が「年表的歴史」である。だがそれ法的に何の価値もない。

戦前の腐れ耄碌軍部人脈が自民党から一掃されていることを証明されない限り、9条の改訂は、理念的に法的正しくても認めがたい。

9条は変えるべきだと思うが、その障害は自民党自身である。

哲学的論点を厳してく指定しておくと、理念と実在の関連を法経つ学者真面目に考えろと言うことである。
その折衷案として、国連憲章等は、一部の理念的自然法を国際社会の合意として実定化したと評価すべきだえる。その時代日本は安保闘争とか言ってまるでアホだったのである。

もちろん植民地時代、冷戦時代、ポスト冷戦時代で、解釈にずれが出るとは思うが、ポスト冷戦期に植民地時代の憲法を復古させるなんて、ガラパゴス現象である。

自民党草案を批判するリベラル勢力も、自然権と実定法の矛盾についてもう少し深い見解をもってほしい。
文面上の批判は子供の喧嘩である。

おれは社会学はやっているけど、法学も法哲学も知らん。特に法哲学ないし実践倫理学はくずだと思う。
posted by Kose at 22:03| 評論