2010年02月21日

JEM,ハルツーム、一時停戦合意

わ〜、2年6ヶ月の辛抱が終わりそうな気配・・・

Darfur Rebels Agree to Truce With Sudan
ダルフール反政府勢力JEM、スーダンと停戦協定調印

New York Times - February 20, 2010
http://www.nytimes.com/2010/02/21/world/africa/21sudan.html
By REUTERS
KHARTOUM, Sudan (Reuters) ― スーダン政府はダルフールにおける紛争を解決に資するため、土曜主なダルフール反政府勢力と協定に調印した、とオマル・ハッサン・バシル大統領は言った。
反政府勢力正義と平等運動はヌジャメナで達した合意は最終協定ではなく、もしJEM指導者が、ハルツームのスーダン政府が調印に忠実でないならなお失敗しうる交渉の条項を設定するものであると言った。
バシルは直ちに反政府勢力に所属する囚人に科せられた死刑をキャンセルし、そのうち30%を釈放した。100人以上が2008年ハルツームへの反政府攻撃に参加し有罪とされ、死刑を宣告された。
「今日我々はヌジャメナで政府とJEM間で協定に調印した。ヌジャメナで我々ダルフールにおける戦争を終える」とバシルはテレビ演説で言った。
スーダン政府は7年間の紛争で何度も停戦に合意した。しかしなんどか調印直後破られ、政府と反政府勢力間の不信は深まったままである。
正義と平等運動と政府間の協議は何ヶ月も遅れた。しかし一部のアナリストはスーダンと隣国チャドとの関係改善を背景にこの数日両者間の行動が一斉に動いたと言う。
反政府瀬領はダルフール人に対する補償、援助団体へのアクセス、権力と富の分配の問題を含め、協議で仕上げられるべき分野のリストを含む協定に調印した。
「これは終わりでは」と反政府幹部タヒル・フェキは言った。「これは終わりの始まりである」。
反政府勢力は協定は今週初めカタール、ドーハでJEM指導者ハリル・イブラヒムとバシルとの間で批准されるだろうと言った。
反政府報道官アフメド・フセイン・アダムは停戦は一時的なもので政府の対応にかかっていると言った。
「我々は時間稼ぎや、戦術や、選挙を戦いやすくするための書類に単に証印することに政府が関心を持っているだけなら、ゲームをする気はない」。
posted by Kose at 10:18| ダルフール&スーダン

2010年02月09日

さあ、スーダン・ダルフール研究に行ってみよう

現代思想問題はだいぶ追い詰めた。
もはやデリダとフッサールと現代数学の関係だけだが、明らかにそっちの方が困難である。
こんな問題に、直面したのは、経験的にダルフール紛争をまとめるのが不都合であるため、ある種理論を使わざるを得ないと考えたためであった。21世紀に社会科学理論に頼るのは、なかなか気楽な話ではない。ポストモダンはほら話であるが、グランド・セオリーによい見通しがないのも確かだからである。
理論を扱うにあたって、人類学に依存できないこと、ナショナリズム論が限定的に使用できること、世界システム論とポストコロニアル論を主なフレームワークと使用すべきであることは判然とした。
このごっちゃな「理論」はスーダン・ダルフール問題を扱うに際して偶発的に有為というだけの話である。幾何学における補助線程度である。
エルサディク・エルシェイク「ダルフール:国内化された植民地性」は、もっと強く理論を使っていて、その都度、理論の方を批判しないといけないかもしれない。

たとえばフランツ・ファノンを引用して:
フランツ・ファノンが観察したように、いったん独立が達成されたなら、新たな国家のエリートは、彼らを支配するのに使われた、同じ制度を管理することにおいて、植民地支配者と交代する。それがもたらすただひとつの違いは、抑圧の言語が変わることだけである。


とする。これは、エルシェイクの1つの核心である。もうひとつはネイション=ステイトの非植民地国家の恣意性である。

ここから直ちに、非植民地国家の比較研究と、主権国家の歴史理論が要請される。
ナショナリズム論と世界システム論で、前者はある程度補強されるが、後者は、主権国家の国際法の西欧中心主義がもたらす、非対称な恣意性というひどく大きな話につながる。フェストファリア条約と、その後日本で万国公法として知られる植民地主義国際法と、戦後民族自決論と植民地独立運動と国家主権論を全部相対化しないといけない。

あきらかにグローバリゼーションの初期過程における不均等発展=従属的低開発と、民族自決・植民地国家独立後の近代化ナショナリズムの挫折という、1970年代中ごろまでのプロセスと、その後の東南アジアの発展と、中東のイスラム原理主義化(この差異で従属理論が敗北し、世界システム論に理論的ヘゲモニーを譲った)という大きな物語があり、ポストモダンはそれを説明せず、「オリエンタリズム」や「ポストコロニアリズム」に逃げ込み、西欧中心主義者の自己批判には役立つが、当の東南アジア(アンダーソンのインドネシアを含む)、中東、そして南米は、西欧中心主義批判に収斂しないプロセスを歩むのである。

BRICsの発展の開始と、アフリカの変化は、理論化するにはまだ新しすぎる話であるが、まさにその文脈で、ダルフール紛争は起こったのである。

そのため、「オリエンタリズム」は何の役にも立たないが、「ポストコロニアル」は、文芸批評の理論ではなく、歴史的現実として批判されるべきものとして現れるのである。

さらにポストコロニアルな批判は、文化人類学のフィールドという仮定自体がコロニアルの効果であると実証し始めているのである。

このように理論は、スーダンを説明すると言うだけでなく、スーダンをそして被植民地国家を再調査せよ、と命じることになるのである。

この理論の要請は、国際社会に、ポストコロニアルの効果の清算と、ポストコロニアルな主権国家を僭称するエリート独裁者の清算という、未来に向けた展望を開いているのであるが、それが簡単なことではない、すなわち、東南アジアから、インドから、中東から、アフリカから、南米まで、不均等に偶発的にそれらは清算されるときを忍耐強く待たなければならないと言うことである。

ダルフール紛争はひどく悲惨な悲劇であったが、端的にポスト近代化ナショナリズムにおける「無視」「置き去り」「周辺化」の問題を投げかけたと言うように理解するのが重要だと考えるのである。また線形的発展図式とか、開発優先主義に限界があることも示唆しており、周辺の辺境地域と周辺の自律した搾取構造に即したよくビジョンはさだまらないが、解決と限定的開発が必要であろうことが示唆されるのである。

それを原因とか理由に還元する自然主義者、歴史主義者、経験主義者は、水とか部族とかせいぜいスーダンの国内政治の問題に切り詰めてしまうのである。そのため、ダルフールの部族間和解と、ビジョンのない国外援助による開発という展望しかないのである。

さて、そういうことで、スーダン・ダルフール研究は、きわめて新しい比較研究=理論が必要だと言うことである。そうなるとほとんど過去の議論であるフッサール=デリダ=数学より簡単化というとそうもいえない感じがする。

ここまで断言して、ごく経験的な調査をやっとする気になった。すくなくとも補助線は引けたので、解があるかもしれないのである。

また補助線をかえるかもしれない。たった一つの現実があるというのは視野狭窄を招くのであり、数日後の事態すら目的論的に運動しなくちゃいけないと信じ込むのである。目的論的に運動しても契機がなければ事態は何も動かないし、契機を見過ごすだけかもしれないのである。そういうことでイライラするのは真っ平であるが、変化の兆候を見逃さないためDTやっているのである。

さて、地味な仕事をする時が来た感じがする。やれやれ。
posted by Kose at 17:45| ダルフール&スーダン

2010年01月22日

望み通りの本が手に入ってしまった:E.Elsheikh"Darfur:Domestic Coloniality - the failure of nasion-state model in post-colonial Sudan"


Darfur: Domesticating Coloniality

Darfur: Domesticating Coloniality

  • 作者: Elsadig Elsheikh
  • 出版社/メーカー: VDM Verlag
  • 発売日: 2008/12/15
  • メディア: ペーパーバック



E.Elsheikh "Darfur:Domestic Coloniality - the failure of nation-state model in post-colonial Sudan" VDM 2008
E・エルシェイク 「ダルフール:ドメスティックな植民地:ポスト・コロニアル・スーダンにおける国民国家モデルの失敗」

 ほぼこれまで無い物ねだりしてきたことのほとんどが盛り込まれている本を入手してしまった。
 たったの58pの本である。しかし値段はなんと6,041円である。
高いなんてものではない。ほぼ1ページ100円である。こんなに高い本を買ったのは生まれて初めてである。まあ普通の250ページの本であれば25000円である。たしかにそう言う学術的モノグラフは存在するが、普通大学図書館が買うためのものである。
 タイトル示しているとおり、ポスト植民地のスーダンの国家国家が、植民地的であるというフレームワークで、分析した本である。分析しかない。歴史記述は目的とされていない。だから58ページしかないのである。

紹介の抜粋:
「近年、ダルフール紛争は、紛争のドラマチックな面を強調した前例のない世界的メディア報道を経験したが、スーダン独立以来の低開発、富の不平等な分配、非民主的な政治などの根本原因の真剣な分析はおろそかにされてきた。この本はダルフール紛争を理解するため植民地的効果の文脈における国家形成の検証が重要であることを議論する。さらにダルフール危機それ自体独立以来の、スーダンエリートのイデオロギーと植民地/西欧中心主義の国民国家モデルの失敗を説明することを議論する。・・・」

エルサディク・エルシェイクは、オハイオ州立大学人種エスニシティ研究キルワン・インスティテュートの研究準会員である。エルサディクは人権、社会正義、スーダンやギリシャ、コロンビアやアメリカの反レイシズムに焦点を当てた様々なアドボカシーや草の根組織と活動している。

参考文献を見ると:
ベネディクト・アンダーソン、パウロ・フレイレ、フランツ・ファノン
のような一般的な思想家の著作が挙げられている。スピヴァクもサイードも挙げられていないところが素晴らしい。いわゆるポスコロは本家、フランツ・ファノンだけである。ベネディクト・アンダーソンは「想像の共同体」で有名なのはご存じだろうが、どうも絶版状態みたいであるので読んでいないものの、ナショナリズムの非本質主義的構築を論じたというのは、「ベネディクト・アンダーソン:グローバリゼーションを語る」という本で知っている。その本でアンダーソンは、自分の本が想像もしていないどこにでも引用されて、その本は自分の下を旅立った子供なのだみたいに書いていた。
パウロ・フレイレはブラジルの識字運動で有名になった教育学者である。
識字の問題が、良かれ悪しかれ非常に大きな問題であるのに気付いている可能性がある。人類学者が無文字社会の歴史に熱中している間にである。アンダーソンは出版資本主義とナショナリズムの想像について詳しく述べているらしいが、手元にないのでわからない。この点はまだ考えついていなかった点である。なので嬉しい。
そういうわけで、高過ぎるとわいえ、たぶん「想像の共同体」を古本で買ったら同じ位するだろうから、安いものである。
posted by Kose at 19:10| ダルフール&スーダン

2010年01月17日

R.O.コリンズ「スーダン現代史」、H.J.シャルキー「植民地と生きる」を入手

本来ならば、
Alex de Waal& Julie Flint"Darfur:the new history of long war"
を読み通す方が先なんだが、例のエセ人類学問題で、読む気をなくしたので、しばらく社会科学っぽい現代の論調について遊んでいた。
それは大変有意義であった(ぼくにだけで申し訳ない)。

結局モダンは、終わったようには見えない。

現に例えば抗うつ剤パキシルが重傷には大変良い薬だが、自殺のリスクが高いかも知れないというような議論は続いているし、ウツの記述については、薬物療法の可能性が高まるほどウツ患者が増えるというなんだか社会学的自己予言みたいな現象が本当に起きているらしく、そのため何がウツで何がウツでないか、混乱がこの数年臨床の現場で起こっているらしい。これは大変好ましい事態である。科学的医学が社会の外にないと言うことの査証である。医療情報がマス化すると科学自体に変革が促されるのだから、昔の単調な近代化ではなく、精神医学の、アンソニー・ギデンスの言う再帰的近代化の段階に入ったと言えよう。ぼくの仲間がもっと増えることになればこれ以上嬉しいことはない。

なんだかポストモダンは「大きな物語」の終焉だという説があるが(リオタール)、そんなことはない。

「地球温暖化」が大きな物語以外の何者でもないのは言うまでもないがあまり誰も言わない。これについては意見があるが、なんだか地球温暖化に反対したり懐疑するのは科学者団体では自殺行為に等しいらしい。しかし社会科学的にこう言うのは、許されるだろう。それはヨーロッパの経済的行き詰まりの打開案であると。まずひとつは道徳っぽし、ついで産油国への依存の脱却可能性があるし、最終的に全く新たなイノベーションの機会が生まれると言うことであるが、ヨーロッパと利害が一致しない国は絶対に反対するため、道徳的非難に変わるのである。中国もアメリカも産油国だから、ヨーロッパとは利害が一致しないが、中国は道徳的非難に(まあ何やっても非難されるので)抗体があって、温暖化論争に巻き込まれた欧米を後目に古い大きな物語をやることができるのである。これが非西欧化されたモダンである。

近代化がなにか、解放であると言う意味は先進国で失われたという意味では大きな物語の消滅というのはあるかも知れないが、その片方でBRICsは大きな物語の最中であるし、その辺境の人々はその物語の端緒にも付いていない。

ようするに、大きな物語が複雑化しただけで、大きな物語は全然なくなっていない。

さてぼくの貧しい能力を使って何とかなるのはダルフールだけである。
しかし日本語ではスーダン史すら疑わしいこともわかった。
また人類学の大きなコンテキストで、スーダン全体を扱わないとダルフールはわからないこともわかった。それがデ・ウォールに対する一番の批判になるだろう。ダルフールだけを切り取ると恣意的になる危険があるのである。
また植民地の効果を評価することは避けがたい。スーダン中央政府は、植民地エリートに過ぎず、植民地の遺制を食い物にしているため、周辺の無視というダルフール紛争の公称の原因が主張されたのじゃないかと言うことである。スーダン・エリートは自己決定ができないと言う植民地エリートのジレンマである。日本のエリートにも似たようなところがあるので推測できるのである。

そこで一端退却して、可能な限り現代的なスーダン史を読むことにした。今日2冊本を入手した。

Robert O. Collins "A history of modern Sudan" Cambridge University Press, 2008.
これは、トルコ・エジプト征服以降現代ダルフール紛争(2007年1月まで)までのスーダン史である。南北あわせて書いてあり、アラブ史観に立っていない。結びの言葉は「ダルフール人はアフリカのパレスチナ人になるだろう」である。2850円である。山川のアフリカ史が3700円なのに対してである。

もう一冊は、ポストコロニアル的関心に基づくもので
Heather J. Sharkey "Living with colonialism:Nationalism and cultur in the Angro-Egyptian Sudan" University of California press 2003.
である。たとえばイギリス植民地化でエスニシティより「アラブか黒人か」が最大の区別になったとすぐに書いてあるのを発見できる。またスーダン・エリートはスーダンはイギリス植民地全体であると考えたが、ナショナリティはアラブだと考えたと言うこともすぐ書いてある。
これを確かめただけでも2550円は安いといわざるをえない。

というわけで、もう大口叩いていないで慎ましく、この別に好きでもない国について、細かい話をお勉強する時期が来たようだ。
posted by Kose at 17:30| ダルフール&スーダン

2010年01月09日

Sudan 365 - A Beat For Peace

Sudan 365 - A Beat For Peace
posted by Kose at 12:18| ダルフール&スーダン

2010年01月08日

写真集"Sudan:the land and the people"を買う

写真集"Sudan:the land and the people" photo by Michael Freeman, Thomas & Hudson, \4,622.

を買った。大きな本で26cm×31cmである。
スーダン全土の写真集と言うことだが、実際に撮影されている地域や部族は限られている。解説も多いが、とりあえず写真を見ただけである。
まあ、普通の人が目にすることは99.99999%ないような本である。南北政府の支援の下に撮影されているということなのだが、逆に言えば南北政府が支援できない地域の写真はないと言う意味でもある。
したがってまずヌエル族の写真がない(病院内での写真と河で荷物を運ぶ少年を除く)。
南部ディンカ族とムエル族とアザンデ族、ヌバ山、紅海、ハルツーム、ヌビアは多い。
ダルフールはIDPキャンプしか実質ない。したがってダルフールの諸部族についての情報は欠落している。残念である。

Sudan: The Land and the People

Sudan: The Land and the People

  • 作者: Timothy Carney
  • 出版社/メーカー: Thames & Hudson Ltd
  • 発売日: 2005/10/17
  • メディア: ハードカバー


posted by Kose at 14:43| ダルフール&スーダン

2010年01月07日

ダルフール・トリビューン「SPLMのビジョンとプログラム」のコピペ

【コメント】
本家と同じものを掲載する。ある程度こっちでのデタラメが本家のコメントと翻訳にも生きているからである。
この翻訳で、ダルフール反政府グループの主張がSPLMに依存しており、「ハルツームのマージナライゼイションを非難して」というフレーズが、直接「従属理論」に由来するものであることが、ほぼ見当が付いた。したがってダルフール紛争を世界システム論で分析するのは、まったく正統なことだと言わざるを得ないし、それ故人類学が死んだものとして扱われなければならないことも当然のことであることがわかった。
ダルフール紛争を人類学的に研究している間の抜けた学者はSPLMの認識が認識できない類の視野狭窄だと断定してよろしい。というか、グローバリゼーションにおける解釈学的循環に人類学のフレームワークは耐えられないのである。世界システム論は反社会科学という循環論に対するフレームワークを作っているのに対してである。

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これはスーダン人民解放運動(Sudan People's Liberation Movement:SPLM)の党綱領の拙訳である。15の目的の訳は行わなかった。
 これは故ジョン・ガランの「ニュースーダン」の考えを、おそらく、直接反映したもので来年1月9日のレファレンダムの理解に書かせないものと思われる。
 特徴を要約すれば;
 (1)スーダンの多様性の肯定を、オールドスーダン=ハルツーム・イスラム政権の排他性に対してスーダンの新しい国民性とする
 (2)自由で民主的なニュースーダンの構築による統一か、スーダンの分裂かを問う
 (3)グローバリゼーションの中、従属(depenndency)と周辺化(marginalization)を克服するための基礎として国内政治の変革と国民意識の一新を訴える
というような考えを軸としている。
 この綱領はおそらく2000年の後にJEMを生む「ブラックブック」グループに直接影響を与えている可能性が高く、ダルフール反政府勢力SLMの主張はほぼこの受け売りである。またおそらくハルツーム・エリートは、北スーダンが一枚岩でないとする批判と、スーダン分裂を否定しない確固とした主張のため、和平への道を模索せざるを得なくなった可能性すらある。それならばNIFないの分裂すなわちオールドスーダンとして名指しされたハッサン・ツラビの更迭の一因になったかも知れない。いずれにせよスーダンにおける急進主義を加速した可能性は高い。
 ジョン・ガランが農業経済学博士であり、革命家であることから(学歴参照)、いわゆる従属理論(dependency theory)を柔軟に使っている可能性が高い。あるいは「世界システム論」も消化している可能性すらある。サミール・アミンはエジプト出身の第三世界を代表するマルクス主義者としてその中心となった人である。1998年時点では、東南アジアの発展によって理論的に破産したとされるが、ウォーラスティンの世界システム論に継承される。訳文中の「従属」は"dependency"である。またアメリカでの学歴から強い西欧民主主義へのコミットも理解できる。またそれから反米帝左翼は何か言いたいことがあるかも知れないが。
 かくして、ポスト冷戦時代のより新しい第三世界論を採用しているため、明らかにハルツームのルサンチマン的反植民地主義的メンタリティより本当に「ニュー」である。しかし本当にハルツームの後進性と南スーダンの政治経済社会状況から見ると「新しすぎる」可能性があるのは残念である。
 その5年後ダルフールのジェノサイドがなぜ起こったかをこのSPLM綱領は予言してもいるのである。急進的な多様性の否定である。歴史的皮肉であるがバシルは、そうしてオールドスーダンを急進化し、そしてヒットラーに並ぶ独裁者の地位を占めるに至ったのである。
 ジョン・ガランはマックス・ウェーバーが支配のイデアルタイプで言うところのカリスマ性の強い指導者だった。そのため統一ニュースーダンの希望は、彼の死で終わったも同然であるのが残念だ。
 CPA調印は5年前の2005年1月9日であった。またレファレンダムは1年後の2011年1月9日である。これを2010年1月7日掲載できて大変嬉しい。

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John_Garang_of_Sudan.jpg故ジョン・ガラン(John Grang)
Wikipedia, the free encyclopedia:John Garangより
John Garang de Mabior
1945年6月23日スーダン、ジョングレイ州ボア生まれ、2005年6月30日ヘリコプター事故で他界、享年60歳
1983年SPLM以前のジョン・ガラン学歴
 現ジョングレイ州ボア、ワングレイの貧しい家庭にディンカ族のメンバーとして生まれる。
 孤児となり親戚に身を寄せワウとルンベクの学校に通った。
 第一次スーダン内戦を避けて、タンザニアで大学を卒業し、1969年アメリカのアイオワ州のグリネル・カレッジで経済学のB.A.を取得。勉強熱心で有名で、カリフォルニア・バークレー校で別の学位を取り、タンザニアに戻ってダル・エス・サラアム大学(UDSM)で東アフリカ農業経済学を研究。UDSMで大学学生アフリカ革命戦線のメンバーとなる。その後ガランはスーダンに帰り反政府運動に参加するが、現ウガンダ大統領ヨウェリ・ムセベニと交流を続ける。
 第一次内戦終結で、スーダン軍に統合されたが、アメリカに渡り、アイオワ州立大学で南部スーダンの農業開発に関する論文で農業経済学修士および博士の学位を得る。

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SPLMのビジョンとプログラム日本語訳PDF PDFで見ることもできます。

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SPLM Vision & Programme
SPLMのビジョンとプログラム
Wednesday, 31 January 2007 07:16
http://www.splmtoday.com/index.php?option=com_content&view=article&id=14&Itemid=34


スーダン人民解放運動(Sudan People's Liberation Movement:SPLM)の
ビジョンとプログラム
SPLM政治事務局
YEI AND NEW CUSH, NEW SUDAN
1998年3月


目次

第1章 スーダンの中心的問題
第2章 SPLMのビジョン
第3章 SPLMの目的
第4章 SPLMのプログラム
 序文と背景
 SPLMの15のプログラム
 SPLMの発展と強化
 CANSの確立と強化
 解放と混合経済の戦略の採択
 SPLMにおける民主主義の発展と強化
 グッド・ガバナンスの確立と強化
 戦闘と腐敗の排除
 統一、平和、安全の確立と強化
 リハビリテーションと社会サービスの提供
 国内避難民と難民の再定住
 NDAの資格と現在の政府との交渉
 自治の権利と実行
 国際協力と人権
 OAUと汎アフリカ主義の理念の促進
 新しいスーダン人の国民意識と共通の目的


第1章 スーダンの中心的問題

 スーダンの基本的問題は、歴史的パースペクティブと現代のコンテキストの双方における現実が、1956年の独立以来ハルツームを去来した様々な政府によって遂行されてきた政策と根本的に相反すると言うことである。スーダンを特徴づけるのは、歴史、地理、人びと、文化の豊富な多様性である。
 その歴史において、スーダンは数千年遡る。実際、ヌビア文明の歴史は、エジプト文明と織り合わさって、紀元前3000年に遡る一歩、クシテ文明は紀元前1700年まで高度に発展した。予言者イザイヤ書(第18章)は、エチオピアの山を越える土地として、「河が氾濫した」、エルサレムに使者を送った背が高く、勇敢でなめらかな肌を持つ人びとが住む所として描き、スーダンについて語っている。この土地は中央および南スーダンからウガンダにかけての曖昧さのない記述である。南スーダンはなお氾濫を受けおり、なお、予言者イザヤが約2700年前おなじ背の高いなめらかな肌を持った人びとが住んでいる。
 予言者の時代からわれわれは700年以上続いた強力な文明、キリスト教徒ヌビア人の歴史の回廊に移る。エフェソスのジョンはビザンチンのテオドラ皇帝から派遣された僧ジュリアノスが率いたミッションによって543年行われたヌビア人の改宗を記録したが、キリスト教は4世紀よりかなり早くスーダンに到来し、なおそれよりも早くさえ、同時代のキリスト教徒がスーダンを訪問した。
 さらに歴史の街道を上れば、イスラム教の拡大とスーダン北部へのアラブ半島の人びとの移動が、ヌビア人の最後のキリスト教王国(ソバ、アルワ、マクリヤ)の消滅の日を迎えたのとほぼ同時期、1500年頃起こった強力なフンジ・サルタン国のような様々なイスラム王国の成立につながった。そしてダルフール王国(たった1916年になって始めて現代スーダンに併合された)がある一方、現代の世代はトルコ・エジプト侵略(1820年)、マフディスト国の成立(1885年)、イギリス・エジプト共同統治(1898年)、現在の「独立」スーダン国(1956年)を目撃する。
 明らかにスーダンの歴史はイスラム教で始まったのではなく、アラビア半島の人びとのスーダンへの移動によって始まったのでもなく、トルコ・エジプト侵略やマフディヤや1956年の独立で始まったのでもなく、確かにわれわれの歴史は、全国イスラム戦線(NIF)のプロパガンダがわれわれに信じさせたいと思っているように、NIFの興隆やハッサン・ツラビの1989年の権力掌握で始まったのでもない。見てきたとおり、様々人びとが様々時代に現在の地理的スーダンにおいて移動し、住み、諸王国や諸文明が様々仕方で、われわれの国の土の上で起こり消えたのである。この歴史的動きが現在のスーダンを特徴づけており、その文化とアイデンティティに貢献している。スーダンのこの多様な歴史的特徴は「歴史的多様性」と言われるべきかも知れない。
 二番目の多様性の形は、民族的宗教的多様性からなる、スーダンの「現代の多様性」である。エスニシティは基本的に、アフリカ人とアラブ人というスーダンにおける二つの広範な民族グループを規定する。南部にアフリカ人、キリスト教徒、アニミストが、北部にアラブ人、イスラム教徒がいると言う誤った印象がメディアや様々なプロパガンダによって作られてきた。これは現実の状況のひどい誤った狂言である。植民地体制が行った1956年のセンサスによれば、人口の69%が「アフリカ人」であるのに対し、31%が「アラブ人」と登録された。このセンサスによれば南スーダンの「アフリカ人」(全人口の30%)より北スーダンにもっと多く「アフリカ人」(全人口の39%)がいたことになる。スーダン人はイスラム教徒(人口の約65%)と、キリスト教徒その他伝統的アフリカ宗教を信じるもの(両方で人口の残りの35%)からなるため、宗教はスーダンの現代的多様性の他の要素である。
 それゆえ、スーダンの現実は二つの多様性、すなわち歴史的現代的多様性からなる。しかしこの現実は1956年独立以来ハルツームを去来したすべての政府によって無視され、わきに押しやられた。これら政府は、すべてのスーダン人を含み、すべてのスーダン人がその宗教、人種、部族とかかわりなく分割されない忠誠を誓う、スーダン人のアイデンティティ、スーダン人の共通性、スーダン人の国富を発展させることに失敗してきた。その代わりポストコロニアルのスーダン政府はすべてたったふたつのわれわれの現実の要素、すなわちアラブ主義とイスラム教だけを強調してきた。その上で彼らは国の統一と発展を基礎づけようと試み、試み続け、反乱と戦争に直面するだけだった。
 これはスーダンの根本的問題である。単に1956年以来ハルツームを去来したすべての政府は、すべての市民が等しく属するひとつのスーダンを発展できなかったということがわれわれのSPLMの課題なのである。1956年から現在まで「オールドスーダン」は国政、経済的機会、社会的交流を統治する主な要素としてレイシズムと宗教的偏見によって特徴づけられ、二度の苦い内戦に導いたのはこの不公正のシステムなのである。
 ハルツームのすべての政府が一枚岩のイスラム国家を常に建設しようとしてきたが、スーダンは多宗教社会である。ハルツームを去来したすべての政府が一枚岩のアラブ文化を構築しようとしてきたが、スーダンは、50以上の地域言語を話す、500以上のエスニック・グループからなる他民族社会である。宗教的人種的差別と、南部、フール、ベジャ、フンジ、マサリト、ザガワ、ミッセリヤ、リゼイガトその他置き去りにされた民族にとっての政治権力の一連の欠如は、経済的社会的不平等において、国の発展と富と権力の不公平な配分において、それ故不満と不安定と戦争において日々の生活で歴然となる。
 「オールドスーダン」のパラダイムと体制の下では、それ故スーダンが政治的不安定、戦争、経済的汚職、惨めさの中に沈むのは不可避である。実際レイシズム、宗教的原理主義、党派主義、部族主義、奴隷制、隔離政策、(プロレタリアートの、将軍の、イスラム法学者の)独裁の上で幸福で繁栄した社会を築くことはできない。そのような拘束的な、偏狭な、党派的なイデオロギーの上に築かれたいかなる社会も不可避に、不安定と戦争と事実上の分解を引き起こすファシズムと独裁の形態に発展する。歴史のゴミ箱はそのような例で満ちている。旧ソビエトや人種隔離政策の南アフリカがその最近の例である。スーダンにおけるわれわれが、二度の内戦と血と涙の海を通じてこの教訓が困難な道であることを学ばなければならないと言うのが悲劇である。
 それ故スーダンの中心的問題は、1956年以降のスーダン国家は本質的に人工的な国家であり、民族的宗教的愛国主義、そして1989年以降のイスラム原理主義以降の政治システムと制度枠組みに基づいている。それは大多数の市民を排除する国家である。アフリカ系スーダン人1956年以来権力と富の中心から排除されてきた。そして1989年のNIFのクーデター以降体制はさらに非原理主義的イスラム教徒を排除した。そして女性は常に排除され続けてきた。われわれはこの政治体制を「オールドスーダン」と呼ぶ。それは宗教的人種的ヘゲモニーに基づいた隔離政策的統治形態である。
 現在の全国イスラム戦線(NIF)政府は独立して以来去来したハルツーム政府の政策の総決算である。1989年オールドスーダンは二つに分裂した。「NIFスーダン」とオリジナルな「オールドスーダン」である。NIFスーダンは本質的にオールドスーダンからのファシスト的突然変異である。それはオールドスーダンの最も醜い顔である。オールドスーダンもNIFスーダンも共に人種的宗教的愛国主義に基づいた不公正の制度化されたシステムに基づいている。一部の評論家はスーダンの状況が、人種的宗教的「二重の隔離政策」システムとして特徴づけられると観察させた事実である。明白に、オールドスーダンとNIFスーダン双方の近視眼的ビジョンはスーダンを繁栄と幸福に導くことはできず、これまでやってきたように戦争と悲惨に導くだけである。スーダン人はそれ故NIFスーダンとオールドスーダンを来るべきミレニアムに導くため彼らに代わる正しい道を探らなければならない。

第2章 SPLMのビジョン

 SPLMが1983年設立された時、われわれはスーダンの現実を批判的に分析し、われわれ全員が属する新たなタイプのスーダンのため戦わなければならないと結論するに至った。:統一されたスーダンだが新たな基礎に基づいて統一されないスーダン、歴史的現代的多様性の両方のスーダンの現実に基づいた新しいスーダン人の政治体制。独立後42年の内32年を戦争に費やしたオールドスーダンに対立するものとして、われわれはこの新しい政治体制をニュースーダンと呼ぶ。われわれはスーダンの様々な民族的宗教的グループが、ニュースーダンと呼ぶ正しいスーダン人のアイデンティティの実体を育て進化させるためスーダンの歴史的現代的多様性を利用することができる。さもなければスーダンは少なくとも二つの独立した国家に分裂するだろう。
 SPLMのビジョンはそれ故ニュースーダンのそれである。このビジョンはどのように国民が形成されるかと一致している。国民はひとびとの歴史的移動の産物である。人々は様々な理由で移動する。経済的機会を求めて、宗教弾圧を逃れて、あるいは単に好奇心から、そして彼らは新たな地理的空間にいるのを知る。彼らはその後、時間をかけて交流し、コミュニティになり、社会政治的実体になり、国民あるいは国民国家が出現する。スーダンも例外ではない。スーダンでは、人々は時空を移動し、スーダン人の国の一部となり、この国民の特徴とアイデンティティは、ハッサン・ツラビの空想の上にではなく、現実の 上に、歴史的現代的多様性の上に基礎づけられなければならない。
 われわれが歴史的であり、われわれが現代的である自らを評価することなくわれわれはいかに偉大な国民であり得るだろうか、偉大な人民であり得るだろうか。そしてニュースーダンの概念と実現を通ずることなく、正しいスーダン人のアイデンティティ、実体、運命を他でもなく発展させられるだろうか。これらの現実の真摯な評価なくして、「国家建設」と「国民統一」のスローガンは虚しいスローガンになる。実際国家あるいは国民国家の概念と現実は分解し、一部の最も悪名が高く破廉恥な地元エリートや、殺し屋、無法者の盗賊がナショナリストの仮面をかぶって政治権力を掌握するのを可能にするメカニズムに堕落し、彼らは人々を略奪しいわゆる国民国家を持たないものにするだろう。
 要するにそれ故、スーダン病に対するSPLMのビジョンと対応がニュースーダンである。われわれはニュースーダンを社会政治的突然変異、オールドスーダンからの質的跳躍、ひとつの国としてスーダンが生き残るための必須の条件と規定する。われわれは明確にオールドスーダンのパラメーター、すなわちレイシズム、宗教的不寛容、歴史的近視眼、結託した経済的崩壊を取り除かなければならない。現在NIF体制が代表するオールドスーダンは明確にわれわれを行き止まりへ、地獄の縁に追い込んできた。
 選択肢は二つである。国がいくつかの独立国家に分裂するか、人種、部族、宗教、性別に関わりなく分かつことのできない忠誠と同盟を誓う新しいスーダン人の社会経済的実体、ニュースーダンの設立に同意するか。新しいスーダンの一般市民は排除でなく、内包を求める。新しいスーダンの政治体制は彼と彼女の能力を発展させ実現するためすべてのスーダン人に等しい機会を提供する。スーダンにはすべての人々にとって公正と機会の均等がある。民主的スーダンはひとびとの意志と法の支配に基づく。ニュースーダンは憲法によって宗教と国家が分離される。ニュースーダンでは特定の民族グループによる抑圧や覇権は排斥される。スーダンではすべての社会的、文化的人種的覇権の制度は解体される。スーダンでは普遍的人権が尊重される。
ニュースーダンはそれ故その中で、隣人と共に、他のすべての人類と共に平和に生きるスーダンである。それぞれ1956年と1989年の事件であったように、いかがわしいアジェンダを掲げた少数エリートが上から科されたオールドスーダンとは異なり、これら条件の下、われわれは、ひとびとの自発的自由意志によって統一され、自己決定の権利の行使を通じて達成される強いニュースーダンを実現する。われわれはスーダン全土の、自らの国を大切に思う愛国的スーダン人が、ニュースーダンを達成するためこのビジョンとゴールにわれわれの中に加わるよう求める。

第3章SPLMの目的

 SPLMのビジョンに基づいて、スーダン人民解放運動(SPLM)の原則的目的は次の目標を達成することにある:

1.ニュースーダン

 SPLMは少数派、すなわちあらゆる形態のオールドスーダンの抑圧的党派体制の完全な破壊と自由意志に基づく、そしてニュースーダンの人々全員が参加する自由で公正で民主的で世俗的な統治システムを構築するニュースーダンに置き換えることを目指す。

2.自己決定の権利

 SPLMはオールドスーダンの現在のNIF体制の終焉の前あるいは後に、あるいはニュースーダンの目的の達成のためハルツームの現在の政府との何らかの和平協議において、ニュースーダンの人々のための、ニュースーダンの人々による自己決定の権利と実行を達成することを目的とする。

3.国民意識と共通の目的

 SPLMは政策決定と開発の中心に個人をすえる根本原則にニュースーダンの国民意識と共通の目的を発展させることを目指す。SPLMのビジョン、目的、そしてプログラムは幸福と自己実現の追求と自由のためあらゆる形態の政治的経済的社会的自然的強制からの個人の解放であり、平持続的な個人と社会の発展に必要な平和と安全と安定を作るため、市民の間でこの目標を推進し調和させるため社会と国家が組織されることをこの目的とする、運動の根本的原則と目標に基づいている。

第3章 SPLMのプログラム

1.序文と背景
 SPLMのビジョンで示したとおり、「オールドスーダン」によって代表されてきた独立後のスーダン国家は、深く破綻し改革できない。それは解体されなければならず、「ニュースーダン」が構築されなければならない。これは記念碑的企てであるが、いくつかの政治的経済的社会的プログラムを前提にしている。
 他のアフリカ諸国や第三世界の諸国と同様スーダンは、貿易のずっと悪化し続ける関係を伴う経済の従属症候群とひずみを被ってきた。国家の基礎とグッド・ガバナンスに関して国内政治的問題を解決したそれら第三世界の諸国は、増大する経済とその付随物のグローバリゼーションと世界市場における増大する周辺化の皮肉な矛盾と取り組む件粉基盤を持っている。それらの国のいくつかは国内及び地域市場を拡大させるため地域的貿易圏を形成し、他の世界と構想力と貿易の関係を改善しようとしている。
 しかしスーダンにおいては、一般的な第三世界の従属と後進性の問題に直面しているにもかかわらず、われわれは国内の政治問題を解決してこなかった。われわれはわれわれが誰で何者かというアイデンティティの問題を解決してこなかった。出現しつつあるニュースーダンの人々はそれゆえ残忍な伽藍の解体、すなわちオールドスーダンの解体と同時にグローバリゼーションと周辺化の新たな国際的秩序の基での後進性と発展の問題の解決の二つの課題に直面している。
 これが、われわれのこの42年の歴史が示してきた通り、他の問題の解決を不可能とすることなく、基本的な国内の政治問題を解決するため、SPLMの最初の目的が「オールドスーダン」の完全な破壊したのと同じ場所での「ニュースーダン」を構築する理由である。しかし、われわれは戦争が終わり、その後ニュースーダンを構築することを待つことができない。ニュースーダンの構築は解放の戦争の恥部でなければならない。これは武装闘争が進むに従い、状況が展開するに従い、ニュースーダンのパラメーターを実現することを意味する。SPLMはそれ故国民のコンセンサスがニュースーダンを達成する中で構築されうる政治プログラムを展開させた。

 ニュースーダンを達成するためのSPLMの行動プログラムは15のポイントで構成される。運動は解放戦争の中そしてその後われわれがもっと良い可能性を持った時それを履行し続けるつもりである。

(1)SPLMの発展と強化
(2)SPLAの発展と強化
(3)ニュースーダンのための行政当局の確立と強化(CANS)
(4)解放と混合経済の戦略の採用
(5)民主主義の発展と強化
(6)グッド・ガバナンスの確立と強化
(7)汚職との闘いと排除
(8)統一と平和と安全の確立と強化
(9)社会サービスの復興と提供
(10)国内避難民と難民の再定住
(11)NDAでの積極的な役割の遂行
(12)自己決定の権利と実施
(13)国際協力と人権
(14)OAUと汎アフリカ主義の理念の促進
(15)ニュースーダン国民意識と共通の目的の促進
posted by Kose at 20:23| ダルフール&スーダン

2010年01月06日

栗本英世のスーダン史を批判する

栗本英世については、スーダンのジュバ・アラビア語に関する不見識について既に批判した。

「世界各国史 10 アフリカ史」山川出版、2008

は異常な本で、人類学と、考古学と、前近代までの王朝史チャンポンで、敢えて植民地時代で、歴史を終わらせる蛮行に出ている本で全く使い道がない。

これは編者の西アフリカ人類学の第一人者の川田順氏の「無文字社会の歴史」史観に大きく影響された結果であろう。

おかしいのは無文字社会の歴史も結局なんらかの王朝史を再構成することに焦点が置かれる、いわゆる文字のある社会の歴史化作業への変換が行われていると言うことである。このプロジェクト自体、西欧各国史という歴史モデルをアフリカに投影することにしかなっていないのではないかという強い疑いが残る。

そして植民地時代までしか、アフリカ各国史はこの本には「存在しない」。これは歴史の本ではなく、博物学の本みたいである。どこにでも見られるナショナルなものへの曲がりくねった歴史はきれいさっぱり削除されている。西欧の植民地主義が歴史を奪ったとしても、アフリカの歴史は彼ら学者の手によって奪われることがない権利を持っているはずである。

また各国史の枠組み上、不当にも北アフリカとサブサハラの交渉史が削除されている。この点については、スーダン史がエジプト史から切り離されて書かれることについて昨日苦情を書いたとおりであるし、たとえばスーダンで言えば、フール国ばかりかフンジ国ですら、ナイル系ではなく、西アフリカ経由のイスラム化である可能性が排除されるという陥穽が生じている。マフディストはたとえばスーフィーズムなので、これはエジプト・アラブのスンニー派ではなく、西アフリカ起源の別のイスラム運動であることがわかるが、そんなことも書いていない。

さてスーダン〜エジプトの北東アフリカの担当者が、いわく付きの学者栗本英世である。

なるほど比較言語学や、考古学については広い見識を持っているようであるが、比較言語学を主観的に評価した失敗はジュバ・アラビア語で示したとおりである。

彼は北東アフリカの方法論上の問題として、「セム史観」「ハム史観」という西欧中心の優越人種観にたいする批判を行っている。

1.セム史観、アラブ・ユダヤ人
2.ハム史観、黒人より白人に近い優越した黒人

というイデオロギーが前批判的アフリカ歴史観に浸透しており、それがルワンダやエチオピアの支配構造に反映していることは、批判的に指摘する。
また彼は歴史研究における民族集団に関して注意を喚起し
・・・「言語=民族集団」という概念を使わざるをえないが、その際には十分亜注意が必要である。なぜなら「集団」は中心的な概念に関するものであると同時に、認識の落とし穴であるからであるからだ。「集団」概念の否定的側面は二つあり、ひとつは移動に関するものである。私たちは、ある系統の言語の話者たちが、政治的に統一されたひとかたまりの「集団」として、比較的短い期間の間に移動したと考えがちである。しかし実際には、個人、家族、あるいは親族からなる人々の集まりが、別個に長期間をかけて移動したと考える方が妥当であろう。もうひとつの問題は、集団間の関係にかかわるものである。「集団」という概念は、、その境界の明確性を前提としているが、植民地化以前と以降の民族関係が明らかにしているのは、そもそも民族集団間の境界は曖昧であり、ひとびとのアイデンティティはひとつの集団に固定されたものではなかったことである。多くの人々は他言語の話者であり、また、個人は民族集団に基づく農耕民、牧畜民、狩猟採取民の境界を越えることが可能であった。つまり家を失った牧畜民が、農耕民や採集民になる(べ「集団」の視点からすると別の民族集団のメンバーになる)ことや、その逆、つまり家畜を獲得した農耕民や狩猟採集民が牧畜民になることは、ごく当たり前に実践されていたのである」。


しかしである。スーダンの記述になるとこうである。
ヌビアのアラブ化とイスラム化は、数百年かけて徐々に進行した。・・・
 アラブ人、およびアラブ化したヌビア人を始めとする土着スーダン人、南方だけでなく、西方のコルドファン地方、ダルフール地方、さらには現在のチャドやナイジェリアまで拡大していった。これらの人々は、アラブ人としての正統性を主張するため、アラビアに起源を求める出自を名乗った。代表的なものに、ジュハイナとアッバース朝との血縁を主張するジャアリーンがある。それぞれ、様々な氏族と部族を含む、「超部族」のようなカテゴリーであり、現代のスーダンでアラブ人としてのアイデンティティをもつ人々のほとんどは、いずれかに属している。


セム史観、ハム史観批判をエチオピアに関して行った栗原が、スーダンに関しては、この場合アラブなのでセム史観批判を全く怠っていることは、この本の中だけで明らかである。

また既に紹介したR.S.オファヘイのアラブ人系譜に関する批判をこの一文は受け入れていない。
ダルフール:歴史的現代的局面
R.オファヘイ、ジェローム・トゥビアナ著(拙訳)
http://darfur-tribune.up.seesaa.net/image/DARFUR-HISTORICAL-AND-CONTEMPORARY-ASPECTS.pdf
アイデンティティの問題
1920年代政治的文化的に北スーダンのナショナリズムの出現以来、スーダンのアイデンティティの問題は最重要の問題だった。北部スーダン・エリートにとって、スーダンはアラブ・イスラム教国である。言い換えれば彼らはマクミシェル(MacMicheal:下を見よ)によって描かれたアラブ系譜「地図」を国民的地位に翻訳した。アラビア語を話すほとんどのイスラム教国は必然的にアラブでなければならず、その参照点は必然的にイスラム教とアラビア語でなければならなかった。SPLM、フール族、べジャ、ヌバなどにとって、スーダンが多文化国であるのは自明なことだった。イデオロギー的分割を理解することは現代スーダンの理解にとって根本的である。

1. アラブ・グループは推定上のアラビアの祖先へ遡る系譜上の家系によってアラブ人だと彼らのアイデンティティを主張する。ほとんどのダルフールのアラブ人はその祖先を、諸部族のジュハイナ(Juhayna)グループの推定上の祖先、アブダラー・ジュハイニ(Abdallah al-Juhayni)に関連付ける。広範な結びつきでスーダン(ダルフールだけではない)におけるアラブ・グループを位置づける精巧な系譜「地図」がサー・ハロルド・マクミシェル(Harold MacMichael )によってその記念碑的労作「スーダンにおけるアラブ人の歴史第2巻;ケンブリッジ、1992年」(注;タイトルは「における」(in)であり、「の」(of)ではない!)で集大成された。15世紀からその地域にアラブ・グループが物理的にいたことを否定するものではないが、より現代的な学者(Hasan, Cunnison, Spaulding, O'Fahey & Braukamper)は今日出回っている系譜を18世紀と19世紀に起源を持つものとして、またほとんど歴史的、あるいは証拠的価値の無いものとみなす。文化人類学的用語で言えば彼らは遥か遠いほとんどフィクションの過去に言及することによって広範なグループ化の中で現在のグループを結びつけるようデザインされた「系譜上の諸権利」である。

2. ほとんどの非アラブ・グループは遥か遠いアラブの祖先を同じように主張する。;実際これは大きな意味を持たない。例えば、ダルフールのケイラ(Keira)・サルタンはアバシド(‘Abbasid descent)の子孫(すなわち、預言者の家出身)だと主張したが、彼らにとって大した意味はなかったと思われる。しばしばそのような主張は方便に基づくものであった;ブルー・ナイルにおけるセンナールのフンジ族のサルタンは、当時東スーダンにあると主張された(アバシドの子孫と主張した)オットマン(Ottiman)に対する独立の主張としてウマイヤド(Umayyad)の子孫(ウマイヤはアバシドと対立する初期アラブ・イスラム王朝であった)だと主張した。
参考文献
H.A. MacMichael A History of the Arab Tribes in the Sudan. 2 vols., Cambridge 1922.
Hasan (ed.), Sudan in Afria, 186-96. Khartoum, 1968.
Cunnison "Classification by genealogy: a problem of the Baqqara Belt", in Yusuf Fadl Hasan (ed.), Sudan in Afria, 186-96. Khartoum, 1968.
Spaulding,J The Chronology of sudanese arabic genealogical tradition, 2000.
U. Braukamper Migration und Ethnischer Wandel. Untersuchungen aus der Ostlichen Sudanzone. Stuttgart, 1992. I.
R.S. O’Fahey State and Society in Dar Fur. London 1980


栗本は、マクミシェルが編纂した偽造された系図の研究を言及無しに事実として書いているのであるが、オファヘイは、それが18〜19世紀に起源を持つこと、つまりエジプト=トルコ征服記以降に作られたものであるという批判的研究を全く参照しておらず、スーダンにおけるセム史観というテーマを設定するのを「なぜか」回避しているのである。

それ以外にも、スーダンの近代スーダンのナショナリズムの起源が、イギリス植民地による奴隷制禁止に基づいており、非奴隷人種から奴隷人種を区別するよりどころとしてアラブの出自が利用されたと言う簡単な批判すらしていない。

また、マフディスト国を、お決まりのように、銃を持ったイギリス軍に、素朴な武器しか持たないマフディスト軍が勝ったと書いているが、これは本当に批判的に検討された歴史記述なのかかなりの疑問である。

既に昨日指摘したが、マフディストの勝利は、単にムハンマド・アリー朝の終末が背景にあり、またサルタン国が奴隷兵を持っていたことも書かれていない。

それがスーダン・ナショナリズムの輝かしい記念碑的事件だったとしても、それだからこそ当然しばしば美化される傾向にあるナショナリズムを批判する見地から、もはや書かれなくてはないのではないか。

さらに、各国史の王朝列伝主義は、すでに神話的なヌビアについて長々書きながら、当然そこにいるはずのスーダン南部のディンカ族にもヌエル族にも何にも言及しない、ひどく偏った無文字社会の歴史をでっち上げているとしか言いようがないのである。

この本が、専門家のディシプリンの入門のために書かれ、アフリカの国歌国史を知りたい一般を対象としていないのはかなり明らか
ただし、ディシプリンの入門書としても、少なくとも栗本英世のスーダン史は誤解と偏向がひどいのでまったくお勧めできない。

ただ図書館で借りたことは本当に良かった。

PS
栗本英世 (大阪グローバルコラボレーションセンター長、教授)
1957年生まれ
学歴
* 1980.3 京都大学文学部卒業
* 1982.3 京都大学大学院文学研究科修士課程修了
* 1985.3 京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了
学位
* 1990.1 文学修士(京都大学)
主要職歴
* 1987.4 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手
* 1992.4 国立民族学博物館助手
* 1993.4 国立民族学博物館助教授
* 1993.4 総合研究大学院大学文化科学研究科助教授
* 2000.4 大阪大学人間科学研究科助教授
* 2001.4 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科客員助教授(〜2003.3)
* 2003.4 大阪大学大学院人間科学研究科教授
* 2003.4 国立民族学博物館地域研究企画交流センター客員教授(〜2005.3)
* 2007.8 大阪大学グローバルコラボレーションセンター長
専門分野
* 社会人類学、アフリカ民族誌学
研究主題
* ナイル系諸民族集団の民族誌、政治人類学、歴史人類学
キーワード
* 紛争、戦争、難民、国家、民族間関係、植民地主義
所属学会
* 日本アフリカ学会、日本ナイル・エチオピア学会、日本文化人類学会
posted by Kose at 11:29| ダルフール&スーダン

2010年01月05日

スーダン・ダルフールに関するたくさんの疑問

とにかく、いくら本を探しても出てこないのが次のような視点である。

1.スーダンの政治に対するエジプトの強い影響
 まずトルコ=エジプトに征服をされたのは、オスマン・トルコが勢力を失いつつあり、ムハンマド・アリー朝がエジプト総督としてほぼ独立する形で成立してからすぐ後であり、それは北スーダンに限定されたこと。この時代はまだ奴隷が交易の対象だったこと。
 マフディストがムハンマド・アリー朝のイギリスへの完全な敗北時に起こったこと。
 大英帝国全盛期イギリス領エジプト下の植民地になったこと。
 ニメイリ政権が、エジプトやリビアのアラブ社会主義やアラブ民族主義のマネであること。
 ムスリム同胞団の影響を受け、イスラム原理主義の素地が作られたこと。
 ただし現在のムバラクとバシルは親米反米で対立した関係になっているのだが。

2.サハラ交易網の中でのフール王国の出現あるいは機能
 スーダン史の中では、ダルフールは19世紀に突然出現するが、おそらく16世紀オスマン帝国が地中海を全面的に支配した後、西アフリカからダルフール〜フンジ王国まで、すなわち歴史的スーダン地域に貴重品や奴隷、あるいは塩などを交易するルートができ、フール王国を含むサルタン国が成立したと思われる。またフール族がスフィーイズムであることから、イスラムがナイルから南下したのでなく、西アフリカ経由で伝搬したであろうことは、文脈から明らかなのだが、それを詳述する資料は少ない。
 この視点から見ると、ナイルのヌビア系の歴史と、サヘルの東西の歴史は別であることがわかるのである。ダルフールからは40日の道と言われる独自のエジプトへのルートがあったほか、現リビアのクフラのオアシスを通る交易ルートもあったものと思われる。
 このため、いわゆるラクダ遊牧民のサヘル地帯における重要性が推測されるのだが、その民族的位置づけは全くわかっていない。ただベドゥインというのでは意味はないのである。
 この時代そのベドゥインの帰属や、サヘルベルトの人口の移動は大変大きかったのではないかと思われるである。
 地中海経済の余波をサヘル地帯が受けていたとすると、それは初期西欧資本主義の影響でサルタン国が出現し、流星を保ったのではないかとも予想できるのである。
 そこで、フェルディナン・ブローデルの地中海に接続することもできるのである。周辺かもしれないが。

今夜はこれまで。
posted by Kose at 22:00| ダルフール&スーダン

2009年12月12日

欠陥法律としてのジェノサイド条約

ジェノサイド条約が欠陥だらけなのは明らかだ。

国際法条では、ジェノサイドの罪の法源として参照されるだけである。
ジェノサイドの罪が認められる場合は、当然人道に対する罪が成立するため、いったいジェノサイドの罪が必要なのかどうかよくわからない。
オッカムのカミソリ的に言うと「ジェノサイド条約は不要」である。
ジェノサイド認定が人道的介入を帰結するかどうかは、もっと専門的な話である。締約国の国内法か、国連安保理の第7章の下の措置かにかかわるだろう。
アメリカのコソボへの軍事介入に対する批判も多いのもまた事実である。
つまり、進行中のジェノサイド認定に一義的な結論はないと考えるべきであろう。

次のジェノサイド条約の欠陥は、ナチスの犯罪、ホロコーストないしニュルンベルク裁判への直截な言及がないことである。それは制定時には自明だったかも知れないが、60年後も自明であるとは限らない。文明世界という意味不明な語が全文に入っているのも、いかによく考えずにこの条約を作ったかがわかる。たぶん、翌日採択される「世界人権宣言」と対になっているのかも知れない。

ナチスに対する勝利は、全体主義に対する民主主義の勝利と考えられたであろうからである。そのようにジェノサイド条約は、非常にコンテキスト依存的で、文面から法源を取り出すのは、無理である。

ジェノサイド条約の特徴は、集団の概念と、意図であるというのが学説であるようだ。それがないと人道に対する罪と違いがない。

まず抽象的に定義された集団の概念は、明らかにユダヤ人を抽象的に表現した結果でしかないように思われる。

ユダヤ人は、キリスト教徒との対で排除された集団で、いったい宗教に由来するのか、民族に由来するのか、人種に由来するのか、国民性にゆらいするのかよくわからない。国民性に異議を差し挟むかも知れないが、既にシオニズム運動はあり、日本語だとわからなくなっちゃうが、ナショナリティ=国民性・民族性は認められたと思われる。

つまり、その抽象的属性で、ジェノを特定できるかはなはだ疑問である。

意図がそんなに強調されるべきものなのかも不明である。

この場合の「故意に」は、組織性や計画性があることを意味するように思われる。それほどのことを規定するのであれば、そのように規定するべきであるから、その「故意に」が、たとえばベトナム戦争中、あるいはアフガン戦争中、民間人の一部を損傷したのは「過失で」であったと解するのと対照的に定義されるべきものだと言うことを暗に示唆するのだろうか。

明らかにその一文を強く読むのは常識に反していると、まあ、それだけ自転車乗りとして言っておく。

ジェノサイドの認定はユーゴかルワンダくらいしか実定的にはないらしい。それは、発行されてから40年以上後の話である。

そういうわけで、ジェノサイドは、メタファーの罪である。別にそれを適用したからと言って何も罪は増えない。

しかし、それは国連存立の中心にあるのである。最も重たい罪である。

それは国内における国際犯罪なのである。だから国連憲章第7章の対象であり得る。

逆にそれ故、国連に実力介入組織はないので、いったい誰が介入するかよくわからないのである。

「国連憲章第7章の下でジェノサイドを認定する」このプロセスが可能性としてあっても、実際はないのである。

ダルフール紛争が「常識的にジェノサイド条約に照らしてジェノサイドだ」というのは、あまりに明白である。

進行中のジェノサイドを認定するのは、あまりに重いものなのである。

したがって、ジェノサイドが進行中である限り、とくにヨーロッパから遠い所では、ジェノサイド認定を見合わせることにしよう、ということだ。アフリカ黒人の殺し合いが終わるのを待ってから考えようと言うことである。

ICCは、別段国連憲章第7章の下での介入と関係がなく、単に個人の責任を問うだけなので、評判の悪い介入のオルターナティブとして機能することを今実証している所である。

それでも進行中のジェノサイドへのICCの介入は、やはり評判が悪いのである。

いったい、自国民を皆殺しにしている時、国際社会はどのようにコミットすべきかはよくわからないのじゃないか?

その国家指導者がはなはだ無責任で、適当なグループを場当たり的に皆殺しにしている場合、それはジェノサイドであるのか?ないのか?

それはジェノサイドと呼べそうにないのである。

ダルフールはその可能性も含んでいる。

じゃジェノサイドとそのような無責任で場当たり的な皆殺しを区別する必要があるのか?

どっちが非文明世界的であるのか?
posted by Kose at 19:08| ダルフール&スーダン