2017年03月15日

イーグルス再結成!?

米ロックバンド「イーグルス」、メンバーの“死”乗り越え再びステージへ!
cinemacafe.net 2017.3.14 Tue 16:15
http://www.cinemacafe.net/article/2017/03/14/47818.html

「イーグルス」が再びパフォーマンスを行うようだ。

2016年1月にメンバーのグレン・フライが他界後、2度とパフォーマンスをすることはないと話していた「イーグルス」だが、その決意を覆し、今年ニューヨークとロサンゼルスで行われるフェスティバル「クラシック・ウェスト&クラシック・イースト」への出演に向けて準備を進めているという。

関係者の1人は「The Sun」紙に「『イーグルス』は再びステージに戻ってきますよ」と話す。

とはいえ、このステージ復帰は金銭的な理由ではないようで、同関係者は「軽い気持ちでした決断ではなく、自分たちに会いたいと願うファンたちからの要望が強いことから気持ちに変化が現れたのです」「誰もお金を必要としていません。『イーグルス』はショーが敬意を表すトリビュートになるような内容にしたいと考えています」と続ける。

また、グレンの後任については「『イーグルス』はまだグレンの後任問題を抱えていて、何人かのパフォーマーと密かに話をしてしています。ですが、その何人かでグレンの役をシェアする案も話していますね」と説明した。

「ホテル・カリフォルニア」「テイク・イット・イージー」などの大ヒット曲を持つ「イーグルス」は、このショーで400万ポンド(約5億円)以上を稼ぐと見込まれている。

「イーグルス」が昨年2月のグラミー賞で「テイク・イット・イージー」のパフォーマンスを終えた後、メンバーのドン・ヘンリーは今後イーグルスがパフォーマンスすることはないとしていた。「本当に難しく、本当に動揺したんだ。実際僕らはもう少しでやらないところだったよ」「あれが最後のフェアウェル。また僕らが再びパフォーマンスする姿をみることはないと思うよ。おそらくそうだと思う。あれが適切なフェアウェルだったね」。
posted by Kose at 13:16| Music Story

2016年08月30日

【産経】「天国の階段イントロ問題」

問題の部分は
Im|ImM7|Im7|VI7(9)|
というルート音が半音ずつ下降するコード進行で、これは通常クリシェとして知られる一般的なものである。
これ自体はパクリでもなんでもないし、少しコードの知識があれば、マイナーコードで、ルートが半音下降するとどんな風かな、というのだ誰でも思いつく。
ただし鍵盤楽器だとなんでもないが、ギターだとmM7は押さえやすいとはいえず、このクリシェ以外ではあまり弾かないんじゃないか?ジャズなら違うかもしれないが。
問題はできた一部が聞くと似ているということだ。

Led Zeppelin - Stairway To Heaven


Spirit - Taurus


重要なのはこのクリシェをさらに曲に展開するのに明らかにツェッペリンは成功している。つまり他のコード進行への展開が見事である。楽曲として、スコッツ=ケルティックな音楽的背景(ツェッペリンにはたびたび登場する)に引用しているのに対して、スピリッツの方はどちらかと言うとプログレ風なんであろう。この曲の壮大さは、途中で完全なハードロックにさらに展開し、最後は元のクリシェに戻る。もしハードロックになってそのままフェイドアウトしていたら、最初のイントロは解決していなかったことになるかもしれない。
ちなみ、記事で参照されているクラプトンさんの「Let It Grow」(461オーシャンブールバード)も同じクリシェである。自伝で後から同じコード進行を使ったこと知ったと弁明しているが、以前に書いたが、ジョージ・ハリスンの「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」が完全に同じでないが、マイナーコードのルートが下降するアイディアではもっともはやくロックで成功したものだと思うのである。
まったくくだらない。

クラプトンさん


ジョージ・ハリスンさん *ギターソロはクラプトンさん


「天国への階段」イントロは平凡? ジミー・ペイジ勝訴、ジェフ・ベックのコメントは「ラッキー」
産経新聞WEST 2016.8.30 11:11
http://www.sankei.com/west/news/160830/wst1608300002-n1.html
 ロック史上、最も有名なフレーズの一つ『天国への階段』(1971年、レッド・ツェッペリン=英国)のイントロ。盗作疑惑が持ち上がり訴訟になったが、作曲した元メンバーのジミー・ペイジ氏は否定し、勝訴した。「昔からある珍しくもない旋律。盗むというほどのものでもない」というのが認められた主張のあらましだ。その平凡な旋律は、年間10億円規模の著作権収入を生むとされ、盗作を訴えた原告側はあきらめていない。

確かにそっくり

 元祖『天国への階段』として浮上したのは、60年代に活動した米国のロックバンド、スピリットの楽曲『トーラス』(67年)。同バンドのギターリスト、故ランディ・カリフォルニア氏(本名ランディ・ウルフ)が作曲した。
 訴訟は2014年にロサンゼルスの裁判所に提起され、大きな注目を集めた。米CNNは実際に2曲をギターで弾き比べて紹介。いずれも和音(コード)を分散して弾くアルペジオという手法で、本当によく似ている。法廷でも当然、2曲が流された。
 ロイター通信によると、原告側は、ツェッペリンとスピリットの両バンドは、『天国への階段』が発表される前に、一緒にツアーをしたことがあると指摘。ペイジ氏は『トーラス』を耳にしているはず、と主張した。
 今年7月に出廷したペイジ氏は『トーラス』から旋律を盗んだり、ヒントにしたりしたことはないと否定。同曲を収録したスピリットのレコードは持っているが、訴えを起こされるまで「ほとんど聴いた覚えがない」とした。

よくあること

 ペイジ氏はしかし「確かに2曲のコード進行はとても似ている。どこにでもあるものだから」とも述べ、64年のミュージカル映画『メリー・ポピンズ』の曲にも「似ている」とした。ペイジ氏側の弁護士が証人として呼んだ専門家は、これらのコード進行について「300年もの昔から多くの大衆音楽で使われている」と述べた。
 場外からも「そんなのよくあること」との声が。
 ハードロック界のカリスマ、オジー・オズボーン氏は米ローリング・ストーン誌のインタビューで、そっくりな曲はほかにもあるとして具体例を挙げた上で「訴えたりはしないものだ」と原告側を批判した。
 ペイジ氏、エリック・クラプトン氏と並び、三大ギターリストの1人と称されるジェフ・ベック氏は、米ビルボード誌のインタビューでチクリとやった。問題のコード進行は「これまでもたくさん使われてきた」としながら「あれほど象徴的に使われたことはなかった」。『天国への階段』はお手軽に作った曲とでも言いたげで、ペイジ氏の勝訴を「ラッキー」と表現した。

2匹目のドジョウはいなかった

 原告が求めたのは『天国への階段』の作曲者クレジットにカリフォルニア氏の名前を入れること、そして当然、お金だった。
 業界誌の推計によると、同曲のロイヤルティー収入は08年時点で累計5億6千万ドルに上る。昨年1年間で、ツェッペリンの元メンバーと遺族らは9百万ドル(約9億円)以上の収入を得たとみられている。
 実は『天国への階段』訴訟を扱った裁判所は昨年、別のヒット曲で盗作があったことを認定し、巨額の賠償を命じた評決を出している。
 原告はソウルシンガー、マーヴィン・ゲイ氏(故人)の遺族ら。13年最大のヒット曲とされるロビン・シック氏の『ブラード・ラインズ』は、ゲイ氏の『ゲット・トゥ・ギブ・イット・アップ』(1977年)の盗作だと訴えた。
 米メディアなどによると、シンク氏とプロデューサーのファレル・ウィリアムズ氏側は「子供の頃からゲイ氏のファンだった。しかし曲が似ているのはジャンルだけ」などと訴えたが、かなわず、原告側は740万ドルを勝ち取った。
 『天国への階段』訴訟で、原告側は2匹目のドジョウと期待していたかも知れない。甘くはなかったが、抗告し巻き返しを図る姿勢だ。一方、ペイジ氏らは訴訟費用の負担を求めて訴えを起こした。戦いは続く。
posted by Kose at 12:58| Music Story

2016年08月21日

ブラジルおめでとう!

ブラジルの水彩画
ジョアン・ジルベルト、カエタノ・ベローゾ、ジルベルト・ジル


この曲は、オリジナルは、アリ・バホーゾだけど、世界的に有名になったのはディズニー・アニメ「ラテン・アメリカの旅」(1943)。


Saludos Amigos (Aquarela do Brasil) 投稿者 pezhammer
posted by Kose at 08:37| Music Story

2016年08月06日

Isto Aqui o Que é?(オリンピック開会式のサンバパレードの時の曲) 追加:翻訳付

カエタノのジルとアニータ(ファベーラ出身でグラミー賞取った若手らしい)が歌ったのは
「Isto Aqui o Que é?」
アリ・バホーゾの古い曲(Ary Barroso 、1942)。

カエタノ・ヴェローゾ版


ジョアン・ジルベルト版


開会式会場の壁はファベーラを意識して、そこからパレードが下りてくる感じを表現したもんだね

日本語訳
これはね
小さなブラジル
ブラジルは歌い、そして幸せ
彼らはほんの一部
煙ど怖がらず、あきらめない人々の

ほら 彼女の腰の動きをごらん
彼女のダンスをごらん
ほら 彼女の腰の動きをごらん
彼女のダンスをごらん
僕を堪らない気持ちにさせる すてきなモレーナ
銀のサンダルを履いて
サンバしにおいで
僕を堪らない気持ちにさせる すてきなモレーナ
銀のサンダルを履いて
サンバしにおいで

ポルトガル語
Isto aqui, ô, ô
É um pouquinho de Brasil, Iaiá
Desse Brasil que canta e é feliz,
Feliz, feliz
É, também, um pouco de uma raça
Que não tem medo de fumaça, ai, ai
E não se entrega, não

Olha, o jeito, nas cadeiras,
Que ela sabe dar
Olha, só o remelexo
Que ela sabe dar

Morena boa
Que me faz penar
Bota a sandália de prata
E vem pro samba, sambar

ファベーラ/モーホの嘆き トム・ジョビン モーホ=丘=ファベーラ


posted by Kose at 14:30| Music Story

2016年06月19日

今日は池袋行く気満々だったが

マンドリンのことばかりやって、興に乗って結局時間が過ぎて行かなかった。

しばらくマンドリンだけで相当時間がつぶれるからいいのだ。

ライ・クーダーは全部聴いたが、散漫になってしまった。

チキンスキンミュージックあたりで、レゲエの影響が出て、スライド・サイドではいかにも80年代のダンスビートやシンセやスラップベースのような影響が見られ、結局それがライ・クーダーのソロキャリアの限界になったみたいに感じた。ゲット・リズムは、すでに過去のものになったソロ・キャリアの総集編のように聴こえる。

アメリカ白人が、ブルースを含む、エスニックな音楽にアプローチする際の特権意識やエキゾチシズムにかなり敏感になったということだ。

2000年代に2作ソロアルバムを出しているみたいだが、どうなんだろう?音楽的発展はあるんだろうか?ネットで見る限り、音楽自体よりもストーリーの方が重視されているみたいだ。

70年代のライ・クーダーを聴くというのは、70年代に1920年代の音楽を聴くのと同じ間隔だ。1920年代に、たとえばロバート・ジョンスンらが貴重な録音を残している。おそらく1920年代というのは金ぴか時代として知られているが、まだラジオ局が設立されるかされないかのころで、20年代の音源はニューヨークのビジネスマンが南部テネシーとかに録音旅行にきてレコードを作ったものが主に残っているんじゃないかと思う。30年代になると大型ラジオ局、とくにナッシュビルのラジオが大きな影響力をもつようになって、カントリーブルースとカントリミュージックとジャズを商業的にジャンル化する最初の歴史が始まったと思う。
40年代は第二次大戦のため音楽的に不作であるが、ビッグ・バンドが衰退して、コンボ・ジャズに一気に流れが変わったのは大戦のためである。バップジャズの誕生と大戦は奇妙な関係がある。またカントリーを洗練してロックンロールの先鞭をつけたハンク・ウィリアムズは病気のせいで従軍できなかった。バンドの他のメンバーが軍隊に行ったためハンク・ウィリアムズはほぼ独力で、ウェスタンスイングとカントリー音楽をまぜヒットを出した。ハンクのある曲が、ロック・アラウンド・ザ・クロックにほぼパクられ、ロックン・ロールの中でも最も人気の一部になった。
これは、ロック・ジャズ的、あるいは坂本龍一白人至上主義から見た言い方なんだが、戦後直後は、まずキューバ=メキシコのポピュラー化したラテン・ポップスの方が大きなブームであった。その拠点はメキシコだった。ボサノヴァも含めてアメリカ白人の勝手なエキゾチシズムで相当いい加減なものが出回ったみたいだけどね。
おさらいとして、フェンダー・プレシジョン・ベースが出るまで(1960年ころ)、基本的にベースはダブベースである。当時のラテン音楽やロックンロールやシカゴブルースのオリジナルにエレキベースが入っているのは「おかしい」。後からダビングしたか、再録音したかである。
また基本的に大衆はラジオで聞くか、ジュークボックスで聞くかで低音がどうなっているかについて「何の関心もなかった」。実際CD化されてもよく聞こえない。
フェンダープレシジョンベースの登場で、1960年代初頭にポップスのサウンドが一変した。それがサーフィンミュージックであり、ビートルズなんである。1960年代はフォークブームでエレキ嫌いという白人エリート層の反発もあったが、結局エレクトリックサウンドのあらゆる実験が行われ、まったくつまらないものになった。そこでライ・クーダーが1970年前後一気に脚光を浴びるのである。もちろんストーンズにも影響を与えた。ほぼ最初からある程度スタイルを確立していたし、残りの17年のソロキャリアでとんでもない飛躍をするということはなかった。だから1970年代のライは1920年代のロバート・ジョンスンと同じく輝かしい。

ギターは某楽器店が若干安いので通販で買うかもしれない。国内有名ブランドの最新モデルなのでひどい目には合わないと思うから。いつか分からない。マンドリンが済んでからじゃないだろうか?


posted by Kose at 22:20| Music Story

2016年06月18日

マリンバの最初は「JAZZ」?

" The Pearls / Tia Juana "  Ry Cooder from JAzz 1978


たぶん西洋マリンバかビブラフォン。この後の1980年のアルバムから脇役で使われるようになる。

"The Dreem"(YouTubeなし)、"In A Mist"、"Davenport Blues"、"Shine"(下)の方が大きくフィーチャーされている。







"We Shall Be Happy"のイントロはたぶんチターとマリンバ?

posted by Kose at 21:43| Music Story

2016年06月17日

「アクロス・ザ・ボーダーライン」の歴史

Across the Borderline アクロス・ザ・ボーダーライン : Ry Cooder ライ・クーダー
一緒に歌える 洋楽ブログ (FC2)
http://onemusic1.blog133.fc2.com/blog-entry-181.html
より

ジャック・ニコルソン主演の映画「ザ・ボーダー」のサウンドトラック


びっくり、マリンバ+アコーディオンが主体の伴奏じゃないの!

ちゃんと調べていればよかった。
映画「ザ・ボーダー」はここをクリック

パイオニア、ロンサム「カー」ボーイのための別バージョン(1981)


Get Rythmeバージョン パリス・テキサス主演のハリー・ディーン・スタントンがスペイン語部分のボーカル


激レア、画像悪い。
ライ・クーダー本人の「アクロス・ザ・ボーダーライン」のライブ演奏 Ry Cooder Auckland Nov 16 2009
posted by Kose at 11:35| Music Story

2016年06月11日

エリック・クラプトンの健康

ERIC CLAPTON’S HEALTH
Discover Music
http://www.udiscovermusic.com/eric-claptons-health
Eric-clapton.jpg
イギリスの新聞の報道は、エリック・クラプトンが神経の不治の病を患っていると言う。そのため彼はギターを演奏することが困難となっている。エリックによれば「私は昨年からものすごい痛みを感じてきた。それは腰の痛みから始まり、末梢神経相がと呼ぶものに変わった。それは足まで電気ショックをくわえられたみたいに感じる。
Reports in a British newspaper say that Eric Clapton has incurable damage to his nervous system which has made it difficult to play the guitar. According to Eric, “I’ve had quite a lot of pain over the last year. It started with lower back pain, and turned into what they call peripheral neuropathy - which is where you feel like you have electric shocks going down your leg.

71歳のエリックは言う。「ギターを弾くのは困難だし、それが良くならないだろうという事実と折り合いをつけなければならなかった。私はアルコール中毒と薬物依存からは回復しているので、それをまったく生きることは偉大なことだと考えている。ちゃんと遥か昔にバケツをけ飛ばすべきだった。いくつかの理由で私は地獄のあごから救われもう一度チャンスを得たんだ」。
Eric who is 71 added, “[It’s] hard work to play the guitar and I’ve had to come to terms with the fact that it will not improve. Because I’m in recovery from alcoholism and addiction to substances, I consider it a great thing to be alive at all. By rights I should have kicked the bucket a long time ago. For some reason I was plucked from the jaws of hell and given another chance.”

彼はクラシック・ロック・マガジンに語った。「私はまだプレイはできる。つまり時々難しいんだ。身体的側面が、まあ単に老人だということだが、それが厳しい。私がどれくらい生きれるかわからない。70歳だからね。私をセント・ポール(ミネソタ)の病院に飛行機で運んだことがあった。明らかに私は死にかけていた。私は三つ潰瘍がありそのひとつが出血していた。ブランデーを三本のみ、手にいっぱいの鎮痛剤を飲んでいた。そして私はチェックアウト寸前だった。私がまだここに本当にいるっていうのは驚くべきことだ」。
He told Classic Rock Magazine, “I can still play. I mean, it’s hard work sometimes, the physical side of it - just getting old, man, is hard. I don’t know how I survived - the Seventies especially. There was one point there where they were flying me to hospital in St Paul [Minnesota] and I was dying, apparently - I had three ulcers and one of them was bleeding. I was drinking three bottles of brandy and taking handfuls of codeine, and I was close to checking out. It’s amazing that I’m still here, really.”

「けれど、私はまだプレイしたい。ギターをもって居間の隅に座って、朝プレイし、午後は休む・・・人生は最高だ」。エリックは23枚目のアルバム「スティル・アイ・ドゥー」をリリースしたが、そのよいニュースうぃファンはお別れと考えてはならない。われわれはみなエリックが健康かつ幸福でであり続けることを願い、彼の音楽に感謝する。
“But I love to play, still. I sit in the corner of our front room with a guitar, and I play in the morning and I rest in the afternoon... Life is good.’ Eric released his 23rd album, I Still Do, but the good news is fans should not consider it a farewell. We all wish Eric continued health and happiness and thank him for his music.

すこしヤードバーズとともに始まった彼のキャリアに目を通そう。その後彼はジョン・メイオールのブルース・ブレーカーズ、クリーム、ブラインドフェイスに移り、デレク・アンド・ドミノスにつながった、ジョージ・ハリスンとともにデラニー&ボニーと活動し、その後多くの脚光を浴び、多くの偉大な楽曲を生んだソロ・キャリアの活動をした。
Meanwhile we can look back on a career that started with The Yardbirds before Eric moved onto John Mayall’s Bluesbreakers, then Cream, Blind Faith, before working with Delaney and Bonnie with George Harrison, which lead to Derek and The Dominos, and then a solo career that has produced so many career highlights…and so much great music.

ヤードバーズ


ブルースブレーカーズ


クリーム


ブラインドフェイス


デラニー&ボニー エリック・クラプトン、デイブ・メイスン、ボビー・ウィトロック


デレク&ドミノス


And .....










ERIC CLAPTON Live at Budokan, Tokyo, 2001 (Full Concert)


Bye Bye EC!
posted by Kose at 20:47| Music Story