2014年01月24日

南スーダン評論家ではありませんから

南スーダンに関するスーダントリビューンの記事を翻訳してますが、日本の外信記事、あるいは英米仏(BBC、AP、AFP)の記事に帝国主義的偏見が混じっているので、中和する意味で、スーダンで敏感な問題に関するニュアンスをご案内するため、翻訳してます。

民族という概念は、ユダヤ人とポーランド人の場合にもっとも適合する概念として、第一次大戦後レーニン=ウィルソンによって作られました。

その後1960年の国連決議で「セルフデタミネーション」(self-determination)の宣言がされて、基本的に独立していなかった、英仏を中心とする植民地の自然的なまとまりに独立権があるという意味でそれを民族として日本語でセルフデターミネーション=民族自決という誤解の多い翻訳後が出来ました。

スーダン内戦は1960年以前イギリスが植民地経営から手を引く形で1957年スーダンが独立して、すぐ始まりました。なぜかというとスーダンというまとまりはイギリスが勝手に作ったもので、自然なまとまりなどないから色々形容できますが、内戦になったわけ。

この植民地経営はイギリス植民地の常套手段の分割間接統治の手法で、植民地の地元民を超適当に色分けし、そのうち読み書きのできる官僚や商人階層を形成して、イギリス人自身は直接荒っぽいことには手を染めないという手法を取りました。

そこで、イギリス人がいなくなったあとで、その分割されたまとまりが民族と解釈され、間接統治の優位な人のまとまりが支配民族と解釈されるわけです。

これはポストコロニアルとかかっこいいものではなくて、まったくの幻想です。

だいたい黒人のイスラム教徒のスーダン人をアラブ人と呼ぶという形容矛盾は上のような間接統治の支配の担い手をアラブ人と呼んだからアラブ人というだけの話です。

いかなる自然的まとまりも存在しない。

ダルフール紛争の反政府勢力となったフール人、マサリト人、ザガワ人も、イスラム教徒の黒人です。母語はアラビア語じゃないかもしれません。

この場合、そもそも西スーダンの低開発に対する反発をアラブ人(どちらかというと遊牧生活をする人たちのまとまり)とアフリカ人(どちらかというと農耕生活をする人たち)に分割して、アラブ人にアフリカ人を殺させるという方法が取られました。

このようなある人々が支配の都合で幻想によって作られて、実際に殺し合いになることを無神経な読売新聞とか東京新聞は、「民族対立」とか「民族紛争」とか言うのです。

たぶん、字数制限で編集長が長い文章を「民族」に変えちゃうのでしょう。死ねばいいんだ。

しかし、実態は観察できません。だれか国勢調査をやったのですか?どうやったらできるのですか?国勢調査に帰属民族を書かせることは「差別」の原因とならないのですか?

要するに権力闘争で支配的な視点で要約するという表現による暴力以外の何物のでもない。何が表現の自由だか?

まだ「ポスト」のほうが可愛いものだ。正義づらしやがって。

本当にやめてほしい。
posted by Kose at 18:19| ダルフール&スーダン