2013年02月13日

カントリーで行きまっせ 中間考察

カントリーが好きかどうかは、趣味の問題だからどっちでもいい。僕はたまたま中学生の時好きになったロックバンドがしばしばカントリーがかっていたので好きな方に入るけれど、実際大半のカントリーは聞くに堪えないと確信している。
坂本龍一のカントリー評価の間違いは、つぎのとおりである。
彼はワールド・ミュージックというフランス人とか日本人とかが1990年頃発明したエセ民俗相対主義の文脈で、カントリーとかハワイアンとかを評価しているのだが、間違いである。
彼がスペインの音楽とカントリーの関係を問うのだったら相当高い見識があるとみなしてもいいが、彼の評価の仕方はそうではなく映画音楽のヘンリー・マンシーニ・オーケストラ的評価なのだ。
つまりまあ多くの知識人が引っかかることなのだが、ベネディクト・アンダーソンがナショナリズムを論じたときに、エスニックな起源がねつ造されるまさにそういうものとして、エスニシティを感じなくてはいけないのである。
明らかに、カントリー・ミュージックは今のところ、わずかなパイオニアを除いてひどいコマーシャリズムの中ででっち上げられた音楽である。でっち上げが悪かったらハイブリッドあるいはクレオール的となんとでも呼んでかまわない。
まだ扱ってないが、結論からいえば、カントリー・ミュージックはチャック・ベリーにおいてシカゴブルースの典型的なシャッフルリズムから離脱させ、カントリー的な速い2ビートを作曲させる材料になり、ストレートな8ビートという決定的なスタイルを作る触媒となったということである。
「アフター・スクール・セッション」その他50年代のチャック・ベリーのアルバムには流行しなかったさまざまなリズムの実験が、シカゴブルースバンドとともに録音されている。ラテン音楽のリズムも相当実験されている。バンドが入らず、ほとんど作品にし上がっていないものもある。
Havana Moon - Chuck Berry


ザ・バンドのリヴォン・ヘルムによるカバー


これも「アフター・スクール・セッション」の収録曲である。次は完璧にカントリーでしかないかなりデタラメな曲であるが、これがシカゴ・ブルースからのチャック・ベリーの離脱の意思の現れである。ピアノは3連符だが、チャック・ベリーのカントリーとは言えないギターソロはストレートな8ビートである。
Chuck Berry - Thirty Days. 1955


しかし同じリズムの「Maybellene」はロックンロールにしか聞こえない。ボーカルラインが8ビートなのである。ギターはそれほど明確に8ビートではない。
Chuck Berry - Maybellene 1955


Blue Sweed Shoesが1955年なんだが、リズムはシャッフルしているのである。
Carl Perkins - Blue suede shoes


Elvis Presley 版


そんでビートルズがぱくった1956年でベリーの傑作は完璧に8ビートのギターを弾いているのである。バンドがついてこないのはこんな速い。ベースはまだアコースティックだ。


これでわかったと思うが、ストレートな8ビートの創始者はチャック・ベリーであり、それはバンドがカントリーライクな2ビートを演奏していながら、ボーカルとギターで速い8ビートを演奏するという形で実現したと言うことである。これにはチャック・ベリーによる白人のカントリーのパクリを通じて実現を見たのである。

ビーチボーイズもストーンズもビートルズも黒人の曲はただだと思っていたクソ連中である。そしてそれに直接影響を受けているのにカントリーが嫌いだと豪語する坂本龍一はさらに悪質な泥棒だということである。

チャック・ベリーほか50年代の黒人が白人に文句を言える立場でもなかったのは明らかである。しばしば印税すらレコード会社や出版会社に搾取されていた。その事情は、ネヴィル・ブラザーズ自伝に詳しい。

原発に文句があるなら等しく北朝鮮にも文句を言え、と故吉本隆明なら言うであろう。

posted by Mondayota at 20:52| カントリー