2013年02月07日

カントリーで行きまっせ #6 カーター・ファミリー(4)変遷とヒットソング

僕が買ったCDは2枚組で50曲も入っているのだが、これを全部聴くのはさすがに退屈である。しかしオリジナル・カーター・ファミリーは、APとセイラが1936年離婚し、セイラがAPのいとこと結婚した1944年解散する。
それに先立ちメイベルはクック・ファミリー・シンガーズに惚れ込み、ツアーをともにしたり、1939〜40年のレコーディングにはAPとセイラの子供と、メイベルの子供も参加するなどサウンドが変化する。このため1939年以前あるいは1936年以前がオリジナル・カーターファミリーと言うことになるだろう。この時期はラジオ番組を持つようになっていた。
なお1933年にはブリストル・セッション同期のジミー・ロジャースと乗れコーディンをしている。
メイベリンは娘たちとカーター・シスターズの名称で活動を続けチェット・アトキンスとレコーディングもしている(つまりナッシュビル録音をしたと言うことだ)、セイラも別に子供たちと1950年代活動した。1960年APが他界するが、メイベルのカーター・シスターズは、カーター・ファミリー名義で活躍することになる。映像が残っているのはメイベルのグループである。

今ひとつAPの影が演奏面で薄いが、彼はトラディショナルの蒐集を友人の黒人ギタリスト、レスリー”エズリー”リドルとやったり、オリジナルを作曲をして、大量の曲をセイラとメイベリンに提供したものと思われる。

重大なのはカーター・ファミリーがヒットしたと言うことである。ジミー・ロジャースとともに基本的にギターをバッキングにしたソロボーカル(およびシンプルなコーラス)のスタイルが人気を集めたと言うことである。コーラスは二の次だし、ギターピッキングも二の次である(この点で日本のWikipediaの記述はデタラメである)。これ以降、やかましいフィドル・ダンス・ミュージックややかましいゴルペル・コーラスは時代遅れになったのである。これは録音音楽の勝利である。
1930年代にはラジオ局が各地に開設されるため、マイクを通した演奏が一気に広まる。その基礎を築いた点において、プレスリーやビートルズより偉大なのである。そう聞こえなくてもだ。

代表曲のひとつ。完全にセイラの高音のソロとメイベルのギターだけである。
Wildwood Flower


かなり、南部訛りの強い低めの声でドスをきかせて歌うセイラ
Meet Me By The Moonlight Alone (Prisoners Song)


ゴスペル的3パートハーモニーを生かしたもの。こういうコーラスの場合はほぼゴスペルの可能性が高いというお約束なのである。この点ブルースと黒人ゴスペルの関係に等しい。ブルースでハーモニーというのはない。逆に黒人のゴスペルではソロは分厚いコーラスに飲み込まれるのである。これは共同体と個人のアメリカの根本的な文化を象徴している。カーター・ファミリーの場合は両方できたと言うことで、浅はかなフォークソングファンが言うように単にレパートリーとして、いろいろやりましたと言うだけではないのである。
Can the circle be unbroken
http://youtu.be/qjHjm5sRqSA
寒い曇った日、窓辺に立ち
私のママを運ぶ 霊柩車が来るのを見た

絆は永遠に途切れない さようなら、主よ、さようなら
よりよき家が待っている 天上に、主よ、天上に
(以下略)


スライドはメイベルだそうである。こういうスタイルと言うことは世俗の歌だと言うことだ。こういう場合、躊躇なくラブソングを歌うのである。
Little Darling Pal Of Mine
http://youtu.be/gX0za9bG1qg
琥珀色の空の夢を見ながら
あなたが眠っている夜
ため息を聞きながら 
貧しい少年は胸を痛める

愛しの人よ、愛する人よ
言葉では言い表せないほど
あなたは心の中で、他の人を愛している
愛しの人よ、私の友よ
(以下略)


これもほとんどソロなので、世俗の歌である
Forsaken Love
http://youtu.be/5YWiPshxH7k
月夜、門の脇に立つ人々
さよなら愛しい人、あなたが待っているのは分かっている
彼女が涙で泣いたり笑ったりするのが分かっている
ずっとずっと本当に愛していると言うことも

明日夜明け 彼は遠くへ旅立つ
彼は彼女を抱きしめ、結婚を誓い
彼女にも誓いをもとめる
(以下略)


タイトルからラブソングと勘違いしてはいけない。これはスタイルがゴスペルで歌詞を見てもゴスペルなのである。
Anchored In Love
http://youtu.be/6Q4r9ej0bCQ
私はとうとう麗しの日の光輝く天国と
天上のイエス様を見出しました
主の御手はやさしく私に投げられ
やさしく主の愛を語ります
(以下略)

このまったくコーラスの入らない歌は歌詞を見るとほとんどブルースであるが、宗教的でもあるが、明示的にゴスペルではない
I Aint Gonna Work Tomorrow
http://youtu.be/PHLmOLCUGNA

・・・・・
悲しくて首を吊るだろう
首をつって泣くだろう
悲しくて首を吊るだろう
愛しい人が見向きもしないから

明日はもう働かない
その次も働かない
明日はもう働かない
雨の日でびしょ濡れだから


これもブルース的だが、宗教的でもあるものの明示的にゴスペルではない
Will You Miss Me When I'm Gone?
http://youtu.be/Uyb1GCuCy2I
死が瞼を閉じるとき
この心臓が鼓動を打つのをやめたとき
人々が私の体を横たえ
花を供えて黙とうするとき

あなたはさみしく思うの?(私がいなくてさみしく思うの?)
あなたはさみしく思うの?(私がいなくてさみしく思うの?)
あなたはさみしく思うの?(私がいなくてさみしく思うの?)
あなたは私がいなくなっててさみしく思うの?
(以下略)


これは全くのゴスペルで、ゴスペルのほうが陽気。個人で現世の辛さを受け止めるほうが悲しくなるのは白人も黒人もないというわけである。Jordanはジョーダンではなくて、パレスチナのヨルダン河のことである。
River Of Jordan
http://youtu.be/_sxUljhkYkg
ヨルダン川に行くところ、オーイェー
ヨルダン川に行くところ あともう少し ハレルヤ
ヨルダン川に行くところ
ヨルダン川に行くところ あともう少し


これは全くのノベルティソング。保守的って、これかなりエッチだし、不道徳だと思うだが、気のせいか?
Chewing gum
http://youtu.be/4HGkyBomjIA

ぼくは思春期になったけど、ママは早く大人になれといった
僕はかわいい女子に恋をして、大人になる気はなくなった

チューインガムをかみかみ、チューインガムをかみかみ
チューインガムをかみかみ、チューインガムをかみかみ

最初彼女は桃をくれた、つぎに彼女は梨をくれた
次に50銭と暮れて、階段でキスしてくれた

ママはぼくに笛を吹かせてくれない パパは僕に歌を歌わせてくれない
二人は結婚なんか許してくれない 僕は二人みたいに結婚するんだ

僕には弁護士なんかいらない、なぜだか話そう
そいつが口を開くとき、大嘘ばかりつくからさ

僕には医者なんかいらない、なぜだか話そう
国中を回って、患者をみな殺すからさ

僕には百姓もいらない、なぜだか話そう
なんたって大食いで、パンプキンパイに目がないからさ

昨晩彼女を教会に連れて行った。彼女どうしたと思う?
彼女は牧師の目の前まで歩いていき、チューイン・ガムをかみかみしたのさ


次の歌はトラデショナルで、1894年死刑になった鉄道員ジョン・ハーディのことを歌った時事ネタの歌
John Hardy Was A Desperate Little Man


かくして、歌詞も含めてみると、フォークソング=カントリーを敵視する根拠のないリベラズムが、カーター・ファミリーの革新性をまったくゆがめて評価しているとしか言えない。基本的にカーターファミリーなしに白人女性ソロ弾き語りシンガーは「なかった」というべきだから(ジョーン・バエズも含め)、どれだけ革命的だったか、フォークソングやカントリー・ミュージックの屑のリスナーは、せいぜいワルター・ベンヤミンでも読んでから評価をし直せ。アホども。

次は、ジミー・ロジャースとの珍しい共演である。髪をリーゼント風に撫でつけているロジャースの写真は間違いである(1960年のポップ歌手の方)。
The Carter Family with Jimmie Rodgers - Why There's A Tear in My Eye


そんで坂本龍一は二次情報で音楽を評価しているということがよくわかった。パクリを容認するのは二次情報でなんでもやっているロッキング・チェア・ミュージシャンだからだな。
posted by Mondayota at 17:45| カントリー