2013年02月06日

ネヴィル・ブラザーズのCD持っていない

いつだったか、中野サンプラザのライブにも行ったくらいなのだが、赤貧でCDを手放してしまった。アアロン・ネヴィルの「ゴスペル・ルーツ」(2枚のゴスペル・アルバムを1枚に編集した日本限定盤)はもっているけれど。「アヴェ・マリア」も「アメイジング・グレイス」もは行っているからね。リンダ・ロンシュタット借りて二人のデュエット曲も入手したが。「ブラザーズ・キーパー」というアルバムが印象に残っているなあ。そのうち買おう。というのも今日買ったネヴィル・ブラザーズの本がとてもおもしろいから。

マック・レヴェナックは、ニューオリンズの人種問題については書けなかったのが、彼の自伝の内容におかしな点が生じた理由だと思う。ネヴィル・ブラザーズはその点がんがん話しているから、そこもおもしろい。彼らは11歳の幅があるから一概には言えないのだが、50年代にティーンネージャーになっており、まだ露骨な差別の中、ファンキーな生き方をするわけだ。

今までのところ一番音楽的に興味深かったのは、天使の歌声と知られるアアロン・ネヴィルの歌い方なんだが、あれは彼が西部劇が好きで、ヨーデルをドゥーワップに入れられないかと研究して獲得した歌唱法らしい。まあ歌唱法はどうでもいいんだが、黒人が絶望してブルースを歌うというのはまったくの白人とかばかな日本人の思い込みで、彼らはSFが好きだったり、科学が好きだだったり、西部劇が好きだったりした普通の子供が、絶望的な状況でタフに生きる糧として音楽を愛好するということだ。大人がファンキーだから子供もファンキーになるわけだ。50年代はぴしっとスーツを決めるのがファンキーだったのだ。

さて、プロフェッサー・ロングヘアは偉大だが、同じくらい偉大なミュージシャンはたく三ニューオリンズにおり、たとえばタワレコのニューオリンズ・コーナーは間違っているというわけだ。マック・レベナックの解釈は一つの見方であり、たとえばネヴィル・ブラザーズの連中は、ジャズ、ブルース、R&Bその他なんでも掛け持ちで、ニューオリンズのコーナーをブルースのサブジャンルに位置づけるのは間違いだと言うことだ。

まあ数日で読み終わると思うので、また書くけれど。

posted by Mondayota at 21:18| Music Story