2013年02月05日

カントリーで行きまっせ #3 カーター・ファミリー(1)

カーター・ファミリーは、夫アルヴィン・プリーザント・デレーニー・カーター(A.P. Carter、1891-1960)、妻サラ・ダウアティー・カーター(Sara Carter、1898-1979)、娘メイベル・アディントン・カーター(Maybelle Carter、1909-1978)の3人からなる。
1927年7月31日ブリストル・セッションで演奏するまで、演奏活動はしていないヴァージニアであった。
一家の出身地ヴァージニア州メイセス・スプリング(Maces Spring)はヴァージニアの最南西部で、テネシー州ブリストルのわずか20〜30km北西の山間部である。現在メイセス・スプリングを走る州道614号線はA.P.カーター・ハイウェイと呼ばれている。それ以外ほとんど何もない。まったくブリストルでなければカーターファミリーが出かけることはなく、アメリカ・ポピュラー音楽はかなり異なったものになったのは、ブリストル・セッションの他のグループと比較して明らかである。
メイセス・スプリング−ブリストル地図
http://goo.gl/maps/f2GFm

他のコーラスグループは、おそらくキリスト教の集会でゴスペルと称して娯楽を提供したものが大変多い。あるいは世俗的なグループはフィドル・ダンスのバンドであった。例外はあったが、今日の水準でジミー・ロジャースとカーター・ファミリーだけが、ソロボーカルをフィーチャーした、ギター伴奏だけの音楽を聴かせることを目的とする(宗教やダンスと関係ない)ミュージシャンだったと言うことである。カーター・ファミリーはゴスペルもレパートリーにしたかもしれないが、Wikipediaの記述は他のグループの極端な保守性と比較して記述していないため的外れで間違ってさえいる。

この宗教や伝統的ダンスへの音楽の拘束があったため、エンターテイメント目的の音楽が、メデスン・ショウやミンストレル・ショウという、共同体外部の旅芸人にもっぱらゆだねられてきたということである。この点を見ずに、19世紀の音楽を語るのはばかげており、またブルースとカントリーが分化するのが、レコードとラジオの普及する20年代後半以降、本格的には30年代となると考えるべきである。そもそも南部では教会は人種別だったので、ゴスペルといってもまったく交わることはなかったと思われる。このためブリストル・セッションは、白人ゴスペル・グループが閉鎖的で、そのご発展を見なかったことも確認できる(黒人ゴスペルグループは50〜60年代R&Bを取り入れ世俗的になる)。逆に言えば現代カントリー・ミュージック・ファンのサイレントマジョリティが、白人ゴスペルグループの面影を追っている可能性があるということだ。

親指でベース音とメロディーの両方を弾き、人差し指で高音のコードを弾くいわゆるカーター・ファミリー・ピッキングのギターは娘のメイベルのテクニックである。

コーラスだが、明らかに多人数のこれまでおそらく人前で歌ってきたゴスペル・グループとは異なる。家族内でしか、演奏していないため、大きなしばしばうるさい声を出さないスタイルができていたのである。またリードが独立していていて、ハーモニーが副次的なのも異なる。

次のブリストル・セッションの曲はハーモニーがない。ギターもシンプルなものである。曲の由来が一切分からないので歌詞を訳す。
Carter Family - The Wandering Boy (1927)
THE CARTER FAMILY - The Wandering Boy

Out in the cold world and far away from home
Somebody's boy is wandering alone
No one to guide him and keep his footsteps right
Somebody's boy is homeless tonight
家から遠く、冷たい世界で
少年がひとりさまよう
誰も彼を導きはしないし、足取りを正しはしない
少年が今夜も家もなく

Out in the hallway there stands a vacant chair
Yonder's the shoes my darling used to wear
Empty the cradle, the one that's loved so well
How I miss him, there's no tongue can tell
玄関の椅子に座る人はいない
私の坊やはいた靴
あれほど愛したゆりかごは空っぽ
どれほど彼がいなくて寂しいか、語る言葉はない

Bring back my boy, my wandering boy
Far, far away, wherever he may be
Tell him his mother, with faded cheeks and hair
At their old home is waiting him there
我が息子よ帰れ、さまよう少年よ
遠く遠く、たとえどこにいようとも
やせこけた母のことを彼に語れ
昔の家が彼を待っていると

Oh, could I see him and fold him to my breast
Gladly I'd close my eyes and be at rest
There is no other that's left to give me joy
Bring back my boy, my wandering boy
ああ、彼に会えたら、彼を私の行きでくるめたら
嬉しくて目をつむり、じっとする
私を喜ばせる他のものはない
我が息子よ帰れ、さまよう少年よ

Well I remember the parting words he said
We'll meet again where no sad tears are shed
There'll be no goodbyes in that bright land so fair
When, done with life, I'll meet you up there
別れ際に彼が言った言葉を覚えている
悲しい涙を流すことのない場所でまた会えると
そんなすてきな場所ではサヨナラはいいらない
人生を終えたとき、天国であなたと会える

Bring back my boy, my wandering boy
Far, far away, wherever he may be
Tell him his mother, with faded cheeks and hair
At their old home is waiting him there
私の息子を帰して、私のさまよう少年
遠く、いくら遠く、たとえどこにいようとも
やせこけた母のことを彼に語れ
昔の家が彼を待っていると

これは確かに若干宗教的な部分がある。"up there"が「天国」だとわかる日本人は多くないだろうけど。それすら1920年代の南部のエクスキューズだとみることができる。
そして母と息子の話のように読むのが普通だが、sonという言葉は出てこず、my darlingという言葉が当てられていたりする。要するに、これは失恋ソングと意味をくむことが可能なのである。
つまり隠れブルースであって、ジミー・ロジャースと相通じるものがあるのである。

時代と土地に由来する保守性をカーターファミリーに帰するのは「間違いだ」。このように女性がソロで歌うことの方が「革命的」なのである。

いわゆる「フォーク・ソング」ファンはそろいもそろって今までバカだったのか???



posted by Mondayota at 18:56| カントリー