2017年05月13日

第二次大戦とレオ・フェンダー

現代カントリーの父、ハンク・ウィリアムズが、脊椎の病気で兵役を逃れ、他のウェスタン・スイングのバンドのメンバーが徴兵されて、結果的にソロで、デューして、「ジャンバラヤ」など古典的ヒット曲で成功したことはだいぶ前に書いた。
なんとフェンダー・ギターの生みの親、レオ・フェンダーは片眼の視力がなかったため、真珠湾攻撃後の徴兵を免れ、ラジオの修理が増えた頃、マグネッティック・コイルの中を通す新しいピックアップのアイディアを得る(スプロで残った)。フェンダーが最初に作ったのは、ラップ・スチールではなかった。戦時で物資が乏しく、ネックに小さなボディがついただけの、小型のラップスチールみたいな「エレキギター」だった。これが歴史的にソリッドボディのエレキギターの誕生である。しかしそのピックアップはラップスチール向きだと判断される。そして戦争の間、他の楽器メーカーが生産を中止していた中、戦争が終わると軍の腹下げの真空管やコンデンサーを使って新しいピックアップを使ったラップスチールギターとアンプの製造かかったのであった。1946年3月には製品化され、K&F社のライセンスでレオ・フェンダーの最初の商品化されたラップ・スチールが5000台作られたらしい。だがそれはそもそもソリッド・ボディのエレキギターのアイディアが込められていたのだ。ここがリッケンバッカーやギブソンと違うのである。
『フェンダー大名鑑』は、すごい本だ。板にピックアップをつけて、弦を張ればソリッドボディだろうと考えるのは後知恵である。ギターは、スパニッシュギター(クラシックギター)のことであって、そのボディを板にすると言う考えは存在しなかったのである。またその板がマホガニーがいいとかアルダーがいいとかそういうアイディアも素材しなかった。フェンダーの板はパイン(普通の家具の材木)であった。
かくして鬼畜米英の戦争を起こした日本が、ロック音楽の一つのきっかけを作ったのは間違いない。
右翼はフェンダー弾かない!!!
なんかそういう感じするよね。
右翼はギブソンを弾きそう。
確かに!


posted by Mondayota at 17:17| My Music