2016年12月31日

若山照彦考

ロックフェラー大学からの引き抜きについては書いた。
CDB創設時2001年、同大ペリー氏と同時に就任した。
この点、理研の「不透明な」採用と呼ばれるものが最初からあったことに伺われる。
いったい若山氏が引き抜かれたのか、コンビが引き抜かれたのか、ペリー氏の引き抜きに若山氏が使われたのか、今となってはよくわからない。
ペリー氏は2010年満期で理研を離れている。
なぜ、若山氏が2010〜2012年度理研に残ったのかは誰も問題にしないが、少なくとも理研の調査報告では、2012年度はすでに理研の席を失っており、客員研究員であったことが伺われる。
2011年度がどういう位置づけなのかよくわからない。
さて2012年は何の年か記憶しているだろうか?
山中伸弥博士のノーベル賞受賞年である。
ジョン・ガードン博士と山中博士が同時受賞したのだが、ガードン博士のカエルのクローンから山中博士のiPS細胞の間には、有名な羊のドリーにくわえ、ドリーの再現実験にあたる若山氏のクローンマウスの成功などクローン研究の成功が山のように、ガードン〜山中の間にあるというのが歴史である。
これが意味するのは、若山氏だけではないが、ガードン=山中の受賞は裏返すと、哺乳類クローン研究はノーベル賞から除外されたと言うことである。
だから、小保方手記で、山中ノーベル賞受賞で若山氏の様子がますますおかしくなったという証言をしているのはこの背景で了解できる。
世界的研究成果を残しながら、正式の所属が決まらない浪人生活中で、ノーベル賞から見放されるという結構きつい状態に当時彼がおかれていたと推測するのは無理とは言えない。

小保方氏が若山研に単にハーバード論文あるいは小保方博論の一部としてキメラマウスの依頼をしたのは2010年7月20日であると記されている。博論中のキメラは完全なものではないと読み取れるが、塊でキメラマウスに成功するのは2011年11月以降である。

動機理解としては、微妙である。任期切れまで数ヶ月である。これ以降小保方氏は、若山氏がいなければ、キメラマウスないし「幹細胞」の樹立は不可能になったと証言している。

ぼくは、まあ神業みたいなもので独立にキメラマウスができていてもおかしくはないと思う。だいたい生物学の再現(小保方氏も含む)は、何年もかかっても不思議はないので、小保方=若山間でもそれは同じだ。

山中iPSがすぐ再現されたように言われているが、論文が2006年8月、イエニッシュ博士の再現が2007年4月である。

STAP細胞事件は1月末に始まったが、2〜3月にマスコミが再現できないと騒いだのは無知のなせる技だった。まあ大隅典子やポール・ノフラーらの学者政治に踊らされた面があるのだろう。

そういうわけで、キメラマウスが若山氏なしではできないのは理解できる。
だがSTAP幹細胞は、STAP細胞特異の培地を樹立して「からならず」STAP細胞に「無限の」増殖能を与えるものでなければならない。だから、キメラはできても幹細胞はできないというSTAP糾弾派が想定していないケースが存在し得るのである。この場合において、幹細胞は十分条件だが、キメラマウスは必要条件である。さらに言えば幹細胞の重要な必要条件はSTAP細胞特異な「培地」である。この培地を小保方氏は渡され、実験したが成功せず、増殖率グラフのねつ造につながったものと見なせる。ここで「必要条件」がひとつ「ない」のである。
詳しいことはわからないが、小保方博論=ハーバード大論文には十分な実験が行われたと見なせるが、2012年の浪人時代、若山氏はそれ以上のことをやったのは確かである。

若山氏が不正を行う動機の背景はこれでわかった。不正はしてないかもしれない。不正をしていないならすでに山梨大に席を得た若山氏は、科学者の良心に基づいて、せめて1年程度は再現が行われないことをもって、とことん小保方氏をかばうべきであった。

ぼくは若山氏の夫人が事件の真犯人の一人だと考えているが、それと若山氏の良心と不正の問題は別である。若山氏の良心と不正を疑う必要がないのは、若山氏が英語が事実上できず、論文に何が書いてあるか本当にわからないのでパニックになった場合だけである。こちらのケースもある。若山氏が幹細胞培地を明らかにし、英語ができないことを白状すれば、彼は白であると見なせるとおもうのであった。
posted by Kose at 08:09| STAP