2016年10月12日

眠れないシリーズである、誤変換には気をつけたい

まず社会的存在論の本をちびちび読んでいて進まないのだが、次のことは簡単に導ける

1)女性は共同行為しする社会集団か

明に異なる。1の場合が「社会的に実在する」レベルである。

2)女性は子育てとキャリアを継続することを望んでいるということを示す確実なアンケートがある

これは社会的現実ではない。これは報道側の(政策側の)、目的に相関した議事客観性である。どこに実在性があるかというとぼくは世論調査にほとんど否定的なんだが、客観性はあるが実在性はない。

サールの存在論的分類はこんな感じである(ちゃんと本を暗記してないのでいい加減である)
一人称依存的認識 一人称独立的認識
一人称依存的存在 一人称独立的存在

ほとんどすべての頭の悪い社会学者や評論家が自分が主張していることがいったいどのマトリクスに入っているか深刻感考える必要がある。

ジョン・サールの社会的存在論にも弱点はたくさんなる。たとえば高次の副作用をもらたらす多数な愚劣な政策や社会的論説への地保を固めていないし、だいたい非歴史的であるし、むしろゲーム理論とか社会構成主義のような懐かしの20世紀の社会理論には直接有効かもしれないが、「僕らの知っていると信じている」社会現象の分析にはあまりに微力な気がする。

だがある個人のペアが行動をする構造を、第三者が社会的に構成されているというなんというか岡目八目的な社会学者は腐りきっていると思うので、あまりに技術的だと思うが社会の哲学をバカなな日本人社会学者もやるべきだと思う。

フェミニズムの主張は社会は色眼鏡で見ていることを暴くが、それは彼女らが社会を色眼鏡で見る限りにおいてっである。

その場合、「女」という考えに、すべての女が理解が一致させることができ、ほとんど非組織手な男どもは、相手にしないと言うことである。というのもたいていの男はやっかいであるにせよ特定の女性たちを実際に「実際」相手と「実在的」経験をたいていもっているからである。もちろんたいていの男は諸女性の心中についてまるでわからないのだが、まあ信頼できる場合もあればできない場合もある。このようにちゃんと社会学的調査を行っていけばフェミストやジェンダー論はもろくも崩れさり、自称インテリの肥大化した事故妄想を論文や本で発表し、誰も読まないと言うことである。

つまり女性は男性もだがブラウン運動であり、所与の条件であたかも客観的研をもっているように誤解されるようなアンケート調査というリアリティの定かでないものの評価を社会学者が怠っているというだけである。

ぼくが全然社会学の本は読まないでマイナーな社会の哲学を苦労して読むかというと20世紀の社会学全部を破産に追い込みたいためである。

posted by Kose at 21:32| 日記