2016年08月27日

Free Speech Actへのリンク復活させました

Free Speech Act
ジョン・サールが1960年代UCバークレー校で参加したフリー・スピーチ・ムーブメントとサールの地位を決定づけた本『スピーチ・アクト』(発話行為)の両方へのリスペクトをささげて名付けました。



思いのほか、ぼくの論理の学習の成果が有効であることが分かったため、なぜ有効であるかの傍証として、私的なジョン・サール先生の研究サイトにするつもりの「フリー・スピーチ・アクト」サイトへのリンクを復活させた。

別にぼくが「哲学」がわかっていると主張するつもりは一切ない。むしろ、ほとんどの哲学は邪魔臭いとしか思ってないほどだ。サール先生の全部を理解しているとか、全部を受け入れているとかそういうこともないが。

腰痛や睡眠の乱調のため中断している間に、ちょうど小保方晴子さんの『あの日』が出版され、その後こちらがメインになった。たまたまだ。本来の私の意図はよくわからない。最も多いコンテンツはたぶん音楽とLinux関連だが、両方とも大したことはない。

大学の専攻は、社会学で、日本の農村の人類学的フィールドワーク、ぼくの担当は選挙違反について価値中立的に記述することだった(選挙違反は悪いという判断は留保するということ)。学部の3年くらいの報告書の僕の部分だけ井出孫六等「秩父―峠・村・家 」(岩波グラフィックス)1984/3、に取り上げてもらった。すごく大変だった。選挙違反の話をしゃべりだすまで酒飲みに飲んでべろべろに毎日なりながら聞いたんだから。

卒論は、専門職の社会学で、そのときすでに、ロースクールやメディカルスクールの成立史を調べていた。まさかSTAP細胞事件でその知識が生きるとは考えてもみなかった。引用システムなどはそのときすでに調べていた。しかしそのテーマは、タルコット・パーソンズの社会システム論の一番弱い部分で、現在ではコンフリクトセオリーと言われる一派が攻撃をかけている部分を死ぬほど洋書読んで紹介したのだ。こういう学歴システムは、国により全く異なるため、一般論がない。日本の法科大学院はあきらかにロースクールを誤ってまねした失敗の制度。俺に聞いてくれれば止めたのにねえ。

スーダン・ダルフール紛争のキャンペーンで(超有名な人権擁護団体とも連携した)、ニュースソースがあまりに日本にないものだから、スーダン・トリビューンを中心にナマのスーダン人発信の英語ニュースを4年翻訳し続けた。しかし南スーダン独立で、国際社会の関心が失われたためにやめた。その過程で国連総長潘基文のダルフール紛争は気候変動が原因というジェフリー・サックスの説を大批判したし、日本のアラブ学者のスーダンのアラブ人の説明が全く間違いであることを指摘した(19世紀作られた系図をそのまま事実と誤解した)など知的なこともやった。
密かに公開していた「ダルフール・トリビューン・アーカイブ」(seesaaでのコンテンツを移したもの)のリンクも加えました。


南スーダン情勢について、南スーダン諸部族は政治的統合が希薄で、ディンカとヌエル(あるいはロウ・ヌエル)が戦闘しているという民族紛争だとかジェノサイドだとかは全くの誤認だと指摘した。第一に南スーダン内戦軍内部の対立の表面化であり、その他地方の反政府勢力は、孤立した武将(内戦のため武器が蔓延しているため生じる)であり、一番重大なのはジョングレイ州および周辺での伝統的な牛泥棒の戦いが武器の蔓延と食糧危機で激化したことなど背景は多様なのである。最後の問題について最近国際的取り組みが行われるというニュースを読んだ。

というわけで、何の専門家でもないが、誰も専門としていないことについてアドホックに専門的にやることもあるというのが、私の性癖だと理解していただきたい。

母が私のこういう性癖に気づいているとは思えないし、話してもない。
posted by Kose at 12:56| ジョン・サール