2016年07月17日

【憲法】背中が痛いのでツイッター文から・・・

基本的人権は、キリスト教由来の自然権から派生するため、非西欧国で法哲学的に難しいが、日本国憲法が戦後の国連憲章等に合致するか先行するため(社会主義国を除く)事後的に正当性が強化されたのである。これを放棄する自民党は、国連脱退をまたやる以外道はない。9条は関係ない。


憲法学者が一国憲法主義であるため、憲法の哲学問題を検討する努力を戦後70年年放棄してきたから、安保法制反対なんかバカバカしい。

憲法の根幹は9条ではなく、非西欧国で最も民主的であるとされた憲法全体の評価である。
旧憲法ないし自民党草案は歴史という実在もどきを理念化する「歴主義である」。だが、自然権の立論は、歴史(国とか国王とか)から断絶して、モデルとしての人格に「自然に」権利があり、それにもとづいて社会契約が行われるという筋書きである。後者の議論は西欧でも主に実定法の立場から大いに批判されている。

さて、明治期、国家主権をもっていたのは列強だけである。なので明治憲法は、その内容(プロイセン憲法のパクリ)ではなく、文明国として憲法をもつことを示して、たの植民地化可能な未開国とは日本は違うのだという国際法上の地位を承認させたことには意義がある。その後のドタバタと大量の死人についてはさておく。

さて、日本国憲法制定当時、いまだ国際社会は欧米中心の植民地主義の末期であった。

なので日本国憲法は植民地主義の産物かというというと、そうではない(押し付け憲法論を否定する)。

日本国憲法は、アメリカの占領政策とアメリカの超楽観的な民主主義の合体したものだと思う。
右かなところでは教育委員会は、行政、議会から独立した教育の民主化の機関とというのがアメリカにおける実情である。現行憲法等はこれをそのまま輸入したため、全く機能しない行政の補助機関になり下がっている。まあ同じ目的理念もハビタスによって機能しない典型であろう。

長いので端折ると、日本国憲法には欠陥はあるが、ほとんどが、戦後の国連憲章によってその正当性が強化されこそすれ、自然法や歴主義的解釈が必要だとは思われないのである。大雑把に言って国際法の一部だ。

ここで安倍自民党政権は、自由と民主主義の価値を否定して、国際社会から離脱する気があるのかである。まあ離脱したら軍隊は必要だとは思うが、それは実在の自衛隊とは何の関係もない絵空事である。

まるでイスラム国も真っ青な、独善である。
なんか年表上の歴史的事実を見つけて、それが法源だという。
この場合旧憲法とGHQの介入が「年表的歴史」である。だがそれ法的に何の価値もない。

戦前の腐れ耄碌軍部人脈が自民党から一掃されていることを証明されない限り、9条の改訂は、理念的に法的正しくても認めがたい。

9条は変えるべきだと思うが、その障害は自民党自身である。

哲学的論点を厳してく指定しておくと、理念と実在の関連を法経つ学者真面目に考えろと言うことである。
その折衷案として、国連憲章等は、一部の理念的自然法を国際社会の合意として実定化したと評価すべきだえる。その時代日本は安保闘争とか言ってまるでアホだったのである。

もちろん植民地時代、冷戦時代、ポスト冷戦時代で、解釈にずれが出るとは思うが、ポスト冷戦期に植民地時代の憲法を復古させるなんて、ガラパゴス現象である。

自民党草案を批判するリベラル勢力も、自然権と実定法の矛盾についてもう少し深い見解をもってほしい。
文面上の批判は子供の喧嘩である。

おれは社会学はやっているけど、法学も法哲学も知らん。特に法哲学ないし実践倫理学はくずだと思う。
posted by Kose at 22:03| 評論