2016年06月19日

今日は池袋行く気満々だったが

マンドリンのことばかりやって、興に乗って結局時間が過ぎて行かなかった。

しばらくマンドリンだけで相当時間がつぶれるからいいのだ。

ライ・クーダーは全部聴いたが、散漫になってしまった。

チキンスキンミュージックあたりで、レゲエの影響が出て、スライド・サイドではいかにも80年代のダンスビートやシンセやスラップベースのような影響が見られ、結局それがライ・クーダーのソロキャリアの限界になったみたいに感じた。ゲット・リズムは、すでに過去のものになったソロ・キャリアの総集編のように聴こえる。

アメリカ白人が、ブルースを含む、エスニックな音楽にアプローチする際の特権意識やエキゾチシズムにかなり敏感になったということだ。

2000年代に2作ソロアルバムを出しているみたいだが、どうなんだろう?音楽的発展はあるんだろうか?ネットで見る限り、音楽自体よりもストーリーの方が重視されているみたいだ。

70年代のライ・クーダーを聴くというのは、70年代に1920年代の音楽を聴くのと同じ間隔だ。1920年代に、たとえばロバート・ジョンスンらが貴重な録音を残している。おそらく1920年代というのは金ぴか時代として知られているが、まだラジオ局が設立されるかされないかのころで、20年代の音源はニューヨークのビジネスマンが南部テネシーとかに録音旅行にきてレコードを作ったものが主に残っているんじゃないかと思う。30年代になると大型ラジオ局、とくにナッシュビルのラジオが大きな影響力をもつようになって、カントリーブルースとカントリミュージックとジャズを商業的にジャンル化する最初の歴史が始まったと思う。
40年代は第二次大戦のため音楽的に不作であるが、ビッグ・バンドが衰退して、コンボ・ジャズに一気に流れが変わったのは大戦のためである。バップジャズの誕生と大戦は奇妙な関係がある。またカントリーを洗練してロックンロールの先鞭をつけたハンク・ウィリアムズは病気のせいで従軍できなかった。バンドの他のメンバーが軍隊に行ったためハンク・ウィリアムズはほぼ独力で、ウェスタンスイングとカントリー音楽をまぜヒットを出した。ハンクのある曲が、ロック・アラウンド・ザ・クロックにほぼパクられ、ロックン・ロールの中でも最も人気の一部になった。
これは、ロック・ジャズ的、あるいは坂本龍一白人至上主義から見た言い方なんだが、戦後直後は、まずキューバ=メキシコのポピュラー化したラテン・ポップスの方が大きなブームであった。その拠点はメキシコだった。ボサノヴァも含めてアメリカ白人の勝手なエキゾチシズムで相当いい加減なものが出回ったみたいだけどね。
おさらいとして、フェンダー・プレシジョン・ベースが出るまで(1960年ころ)、基本的にベースはダブベースである。当時のラテン音楽やロックンロールやシカゴブルースのオリジナルにエレキベースが入っているのは「おかしい」。後からダビングしたか、再録音したかである。
また基本的に大衆はラジオで聞くか、ジュークボックスで聞くかで低音がどうなっているかについて「何の関心もなかった」。実際CD化されてもよく聞こえない。
フェンダープレシジョンベースの登場で、1960年代初頭にポップスのサウンドが一変した。それがサーフィンミュージックであり、ビートルズなんである。1960年代はフォークブームでエレキ嫌いという白人エリート層の反発もあったが、結局エレクトリックサウンドのあらゆる実験が行われ、まったくつまらないものになった。そこでライ・クーダーが1970年前後一気に脚光を浴びるのである。もちろんストーンズにも影響を与えた。ほぼ最初からある程度スタイルを確立していたし、残りの17年のソロキャリアでとんでもない飛躍をするということはなかった。だから1970年代のライは1920年代のロバート・ジョンスンと同じく輝かしい。

ギターは某楽器店が若干安いので通販で買うかもしれない。国内有名ブランドの最新モデルなのでひどい目には合わないと思うから。いつか分からない。マンドリンが済んでからじゃないだろうか?


posted by Kose at 22:20| Music Story