2016年03月24日

亀とアキレスのパラドクスについてもあっちにあげようかとおもったが・・

ルイス・キャロルの「亀とアキレスのパラドクス」をあっちに上げようと思って、整理しようと思ったが、これは形式的推論に関するたぶんフレーゲまで侵食するレベルの話だと思うのでやめた。そこまで挑発する気力も体力もない。今日も寒くてよく眠れなかったので、そのお仕事をしたのだが。

ナンセンスでない推論を扱う場合、「推論規則が正しい」ことを疑うのはなかなか難しいので、ナンセンスな推論を扱う。野矢茂樹の中公新書『論理』の事例は実はナンセンスな類の推論である。

O・ヘンリーから

P(病室の窓の外に見える木の最後の一葉が落ちる)なら、Q(彼女は死ぬ)
P(最後の一葉が落ちる)
ゆえに
Q(彼女は死ぬ)

これは命題P→Qがナンセンスなので、推論はナンセンスでる。
したがって、推論が妥当かどうかは、命題内容の妥当性にのみ基づく。
以上。

野矢茂樹の例はこうだ
P(明日晴れる)なら、Q(遊園地に行く)
P(明日晴れる)
ゆえに
Q(遊園地に行く)
*別に行くべき十分な理由も必要な理由もない。

この場合、P→Qは親の子に対する「約束」である。「約束」なのである意味ナンセンスであってもいい。

P(この馬券が外れた)なら、Q(賭け事はやめる)
P(この馬券が外れる)
ゆえに
Q(賭け事はやめる)

この場合も約束であり、意思の問題である。
おそらく何があっても、単純な条件で賭け事はやめることはできない。そもそも必要条件Qがナンセンスなのである。

多くのまじめな論理学者は、規則の自明性(おそらくウィトゲンシュタイン由来だと思う)をもとに論じているが、そうではない。推論の妥当性は命題の実質的妥当性によって評価されるというだけである。様相が絡むとモーデス・ポネンス、前件肯定の推論は怪しいとは最低限言えるが、それは論理空間というものがまず普遍的現在を前提にしているからかもしれない。

お疲れである。もちろん実質的に妥当な推論なら、「ゆえに」は不要である。

プログラムの例
X=2
Y=10
Xが0でないなら、Z=Y/X
Z=5
*推論はない。手続き規則があり、暗黙でも何でもない。単にZ=Y/Xが実行されるだけである。

めんどくさいので、この件については先送りするつもりで、あっちには掲載しない。

亀がアキレスに語ったこと
"What the Tortoise Said to Achilles"PDF

posted by Kose at 09:30| 哲学社会科学エッセー