2016年01月13日

『逆さまになった言葉』とスマップ解散

Free Speech Act
ジョン・サールが1960年代UCバークレー校で参加したフリー・スピーチ・ムーブメントとサールの地位を決定づけた本『スピーチ・アクト』(発話行為)の両方へのリスペクトをささげて名付けました。


サイトFree Speech Actに、ジョン・サールを含む哲学関連文献すべて掲載しました
Free Speech Act
https://freespeechact.wordpress.com/
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ジョナサン・カラー"On Deconstruction"(邦訳『ディコンストラクション』岩波書店(岩波現代文庫)で未だ入手可能)に対するジョン・サールによる批評である。

ディコンストラクションは因果的図式の階層的対立を逆転する。原因と結果の区別は論理的に原因を起源にし、時間的に先行させる。結果は二義的因果に由来し、依存する。この階層の理由ないし含意を探求することなく、対立内で働きつつ、ディコンストラクションが特性の交換を生み出すことによって、階層を逆転させることに注意しよう。結果が原因を引き起こす原因を引き起こす場合、原因でなく、結果が起源として扱われなければならない。原因を高める議論が結果を支持するため用いることができることを示すことによって、人は階層化の修辞的操作の責任を明らかにし、取り消し、重要な置き換えを生み出す[p. 88;私のイタリック]


2011年に岩波書店がさらに新しいジョナサン・カラーの『文学と文学理論』(原著2007)を出版したことにとにかく驚く。

上の文は、カラーがニーチェに倣って因果関係を逆転することを主張する部分である。
イタリックの部分に該当する文章をサール先生がこの後の行論で多数引用する。

「結果が原因を引き起こす原因を引き起こす場合、原因でなく、結果が起源として扱われなければならない」。

「引き起こす」も「原因」もおなじ「cause」である。「引き起こす」を「原因する」にかえるともっとばかばかしさが伝わる。

結果が原因を原因する原因を原因する場合、原因でなく、結果が起源として扱われなければならない。

これを出版した岩波書店が頭がおかしいのは確実だろう。

大意としては、「原因を発見するには、結果がきっかけとして先だってなければならない」から「原因の原因は結果だ」というすごい理屈である。

まだこれから読むけど、文学部の教授も学生も岩波書店編集部も「原因の原因は結果だだから、原因の結果が本当は原因だということを信じているのである。ディコンストラクションに聞こえるかもしれないが、まず原因についていろいろ考え方があるのがわかっていない。そして単純な話だが、存在論上の原因と結果と、認識論上の感覚・表象と実在の関係を取り違えていることまではサール先生は解説してくれない。

ニーチェは、たくさん混乱があり、その中には重力の魔というものと、存在物の永劫回帰がある。確かに両方とも因果関係を、観念論のパラダイム内部で否定しようとしたものと思う。だから正直に言って、ニーチェは間違っているのだ。そしてニーチェの解説者たとえば永井均とかジル・ドゥールーズのような合理的深読みは間違いである。自信をもって言える。それは時空が直観の形式だというカントが誤りで、物の場の即物的な性質だと20世紀の誰でも「例外なく」学ばなければならないのと同じである。またニーチェは「権力への意思」を完成することができなかったのである。なぜならまったくの誤りだからである。だがもっと初期の「道徳の系譜」で書かれた力の見解はある程度本当である。物事を対立させて自分ではないものを「悪い」というのは、水戸黄門的通俗的心理学的な普遍性のあるハビトゥスだからである。別名を勧善懲悪と言う。反原発とか反安倍とか反権力というのは典型的な勧善懲悪である。何も知る必要がなく、何も考える必要がないからな。

さすがソーカル、ブリクモンもあまりのばかばかしさにデリダを取り上げなかったのがわかる。デリダの文章はもっと持って回った言い方だから、デリダの後光を仰ぎ見つつ、その簡単な解説としてこういうとんでもない文を読むと、ジャグラーやクラウンのしかめっ面を見逃すのである。

さすがアメリカのあほ文学部で、このようなアホ文学理論が安易に流通するようになると、デリダ自身は「ディコンストラクション」を口にしなくなり、とんでもなく意味不明なことを「本」にし、バカな日本の出版社と学者はそれを訳すのである。原理的にデリダにテキストの編集権はあるはずはないから、商品の購入者が深読みすることに責任はすべてあるのである。

この責任を「コミットメント」と言う。

珍妙な理屈を岩波書店がどう訳しているかちゃんと検討する時間も作りたい。
もっと進んだら何か書くかもしれない。

さてスマップは解散することを前提として、すでに事務所もメンバーも納得済みだと思われる。
問題はテレビ局である。
つまりスマップ問題は、タモリ問題とほぼ同じである。
40歳でアイドルって異常事態だと思うのだが、企画力がない一部のテレビ局がさんまとかタモリとか所ジョージに依存しっぱなしであるのと同様に、大御所に頼らないと視聴率が取れず責任問題になるので、惰性で番組を続けている問題である。
あとはテレビが忙しすぎて、CD不況に対応できる楽曲をもうスマップは出せないのである。
キャリアとしてはメンバーは十分だから、グループである必要はないということも了解済みであろう。
そこでマネージャー退社で全員辞めちゃうと、別事務所でスマップを続ける余地ができてしまう。それは元の事務所の悪い例になるだろう。引き抜きともいわれるだろう。
だから、一人元の事務所に残って、他は独立することで、絶対に復活できない方法を考え出したわけだ。
問題はテレビ局がどのように対応するかまでは、詰まっていないだろうということだけである。
だから4月の番組改編に間に合わせるように今リークされたのである。

社会学的にみるとたぶんこうだろうと思われる。
posted by Kose at 19:54| ジョン・サール