2014年10月20日

「鼻にしわを寄せる」の意味

なんかウェブで質問が出ていても、誰も答えられていない表現。

これは日本語の表現ではなく英語の言い回しで
crinkle (up) one's nose
という表現で次で調べることができる。
Weblio
http://ejje.weblio.jp/content/crinkle+one%27s+nose
crinkle (up) one's nose
鼻にしわを寄せる 《当惑・不賛成などの表情》

こんなトリビアルなことを書いたのは、サールの「心、言語、社会」に
winkle one's nose at
という表現が出てきたから。まあ文脈から「顔をしかめる」と当座役を当てた。文法的にどうなのよ的文章だが。
It ought at least to make us wrinkle our noses at the thought of epiphenomenalism.
少なくとも、随伴現象説の考えは歓迎すべきものとはいいがたい。

難しい"epiphenomenalism"は、(意識などの主観性が)脳神経の発火の「随伴現象」だという説。「随伴現象説」。これだと「手をあげようと思って手をあげる」が「手をあげる一連の反応の随伴現象が手をあげようと思うこと」にひっくり返る。「歯が痛いと感じる」のはある程度「随伴現象」的である。それについてはウィトゲンシュタインの私的言語の不可能性も参照のこと。意識を受動的に捉えるケースをモデルとする脳神経生物学者が陥りやすい錯誤。ウィトゲンシュタインが「論攷」を放棄したのは、「商品による商品の生産」(貨幣の労働価値説を否定)の著者スラッファとウィトゲンシュタインの間の次のエピソードによるとされる。

「言語と実在が、実物と画像のように対応している」とするヴィトゲンシュタインのいう〈論理形式〉は、スラッファがヴィトゲンシュタインとの会話の折りにナポリの人にはよく知られている軽蔑をあらわすのに使われる、片方の指先でアゴを外側へこする仕草をしてみせて、「これは何の論理形式なのかね」という疑問をつけ加えたことで、ヴィトゲンシュタイン自身にも疑わしくなってしまった。スラッファの挙げた例は、ある命題とそれが記述している事柄とが同じ〈形式〉を持たねばならないとすることには、ある種の不合理がある、という印象をヴィトゲンシュタインに植え付けた。後にヴィトゲンシュタインの『哲学的探求』に集約される、日常言語学派の分析哲学はそこから出発したという。


「鼻にしわを寄せる」という身体表現の論理形式も同様であるらしい。そもそも「鼻が曲がるほどものすごく臭い」仕草から「歓迎していない」と言う命題が派生したらしい。

そういうわけで「鼻にしわを寄せる」とか「顔をしかめる」より「歓迎できない」(ウンチの匂いは嗅ぎたくないというような意味)という方がわかりやすいと考えた。半日ほどかかった。

こんな顔付き

nose.jpg

The nose may crinkle in response to a foul smell or when someone disagrees with a particular point of view.

次より:
Body Language
Read My Nose by Shelly Hagen
http://www.netplaces.com/body-language/nosing-around/read-my-nose.htm
posted by Kose at 16:45| 日記