2017年07月17日

制度的事実と、意図せざる影響力

社会学がつぶれたのは、前者をおろそかにして(合理的行為)、後者(非合理的間接的影響)に夢中になったせいだ。あるいは両者を混同して同じ間主観的幻想にしたことで、そこには社会学者の思い上がった理性主義がある。

サール先生の社会哲学は前者の集合的志向的行為が、個人主義的にせよ社会実在論(たとえば法律は非個人的に実在する)にせよ、物理的でも心理的でもない社会的実在であることを明らかにした点である。

これは所与の社会的現象が至高の計画者がおらず、自立的に社会的行為が可能である基礎的な分析である。
これは乳児の発達段階での他者の意図法海からコミュニケーションに発達する事実に裏付けられてる。

さて、非合理的影響力は、再帰的に、社会制度で合理的行為に吸収される。これが莫大な社会の構築の仕組みである。

この非合理的影響力にアホ社会学者は、自らの理性で勝利していると思っているのだ。

そうではなく、たとえば実物貨幣が、紙幣に移行するとき、合理性は継承され、偽札という非合理的効果が出るが、それも社会的制度に繰り込まれるのだ。

デリダがバカなのはここら辺のダイナミクスが理解できない静的なものだと考える点である。

もし「社会的現実」という言葉が与えられたとき何をイメージするかわからん。少なくとも近代社会は非常に硬質の社会制度の網で構成されているが、それは現象学的意識に社会的に構成されているというわけではない。

そのとき現象学的社会学者が「社会のイメージ」を先に社会的実在に投影して、「構成されている部分の社会」が社会のすべてだと主張したのである。

サール先生の厳しい分析は、社会的制度には物理的xを社会的yとみなすという構造が見いださなければ、それは実在ではないということだ。これにより単なるメタファーが徹底して排除される。

この方法をギターピックアップや材に適用してみた。それが何学なのか知らないが。ギターのディスコースから物理的xの検討のないメタファーは完全に「ウソ」「売り文句」とみなしていいと評価した。

非常にクラシックからのメタファーが多く、ついで黎明期の希少時代のメタファーだ。

だが、しょうもない事実をいえば、音楽関係者が思うほど、ベニヤだろうがマホガニーだろうが大差はないと予想する。
それは音楽関係者だからという莫大な芸術的形而上学の物理的xがマホガニーであったり、ローズウッドだったりするだけである。
たとえばライ・クーダーが使用したゴールドフォイルというものもメタファーである。わかっている。
ただ中華ピックアップが、まあゴールドフォイルだからある程度売れるだろうという商算で。中身はモダンなハイパフォーマンスのピックアップでありそうな感じするので面白いのである。ゴールドフォイルはメタファーだが、そのモダンな中身は制度的実在である。もちろんライクーダー好きだからゴールドフォイルを好んだというのはメタファーが、その実力はライクダーとは関係がない。
ピックアップアー単純なので、磁力、コイル、ノイズ、周波数特性で物理的に測定できる。
材とピックアップの関係はなかなか合理的でないが、ピックアップ完全に合理的である。
将来は、ピックアップ至上主義で、ベニヤにネックつけてギター作り作りたいほどである。たぶんあるタイプの音色では上手く行くと思う。材なんでどうでもいいのだという実証実験である。
マ失敗すればご愛敬である。

社会的実在には物質的基礎があり、なければメタファーでしかない。

これが今のところ格率である。
posted by Kose at 22:45| 評論