2017年01月06日

「小保方晴子日記」婦人公論なんと近所のセブンイレブンでゲット

5冊はあったかな?普通セブンイレブンにあったとしてもそんなにないでしょう。

うつとPTSDだそうである。食欲と睡眠が最低だったらしい。今回の日記の連載(本当に日記である)がよいきっかけになってほしいと思う。あほな朝日新聞系列のブログとかが、あほで表面的でゲスな評論まがいをまた出すんだろうけれど。名前忘れたがWEBRONZAの編集委員の一人が反小保方シンジケートの片割れであることはつかんでいる。反小保方シンジケートというのはさえない中年女性フェミニストのことなんだが、論点は「女が女を使って地位を得ようとするのはけしからん」という一点につきる。だが若山清香が、女を使って、亭主に博士号をおねだりしたのはほぼ確実だ。それは片手落ちだろう。おい、朝日新聞!!!

この数ヶ月で、博論をどうかしたり、何か訴訟を起こしたり、もっとたいへんなことに取りかかれる自発的意思は感じられない。だが、小保方さんは、やるとなったら全世界を敵に回してもやるだろう。

婦人公論は、確信を持ってBPO勧告前にこの連載を始める決意をしたと思う。

ほとんど文体は意識している気配がないけれど

「もはや引っ越しをせざるをえなかった。夜中に抜け出して車を何度も乗り換えて移動。なんとかこの家にたどり着いた」

「地震があったようだよ、テレビをつけてみて」と連絡を受け、久しぶりに日本語のテレビをつけた。アナウンサーの声が聞こえたとたん、眩暈、吐き気、頭痛に襲われ、慌てて消した」

「眠れなくて夜中まで生栗を剥いた。明日は雪が降るらしい」

「雪の降る中、外に出て雪だるまを作った。久しぶりに触った雪は記憶にあるより柔らかくて暖かかっ南天の代わりにコーヒー豆で目をつけたら、ラテン系の顔立ちの雪だるまになった」

などなど一部。後二者はほほえましい文彩が見られて嬉しい。

編集の言葉で
「次号からは、退職直後の日記をお届けします」
だそうである。
ほぼ「あの日」のその後である。早稲田の博論については書かれていたが。どう書かれるかは楽しみである。情報筋では、彼女の親友たちがなんとか擁護する活動をして、なんだかんだあって、講談社にたどり着いたらしい。さてどうなるんでしょうか。

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posted by Kose at 22:07| STAP

驚愕!『婦人公論』1月24日号 小保方晴子日記「あの日」からの記録

新連載
小保方晴子日記 「あの日」からの記録
昨年本誌で瀬戸内寂聴さんと対談し、再び世間の注目を集めた小保方晴子さん。彼女は理研を退職した2014年12月から、身の回りに起きた出来事と心情を日記に書き留めていました。このたびその記録の連載が実現。初回は特別編として、近況報告を兼ね、連載を始めるまでの経緯が綴られた2週間の記録をお届けします
(『婦人公論』2017年1月24日号より一部抜粋)

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posted by Kose at 21:09| STAP

エディターATOMのWinsdows10のインストール先のフォルダーと日本語化の件

いやATOMを使うと便利とか言うことはない。流行っているみたいなので格好をつけてインストールしてみたのだ。だが、メニューにも表示されないし、デスクトップにショートカットができるわけでもない。最初の起動時に「タスクバーにピン留めをする」でもいいんだが、どこにインストールされているのかわからないのはひどく不安である。困っている人はそう多くないらしい。Windowsユーザーはあまり使っていないみたいだ。あるいはATOMがWindowsを嫌っているのか?

解答
C:\Users\(User名)\AppData\Local\atom\app-1.12.9\atom.exe
*(ユーザー名)はそれぞれで、バージョンの数字は違うかもしれない。

そうなんだけど、AppDataは「隠しファイル」なので
エクスプローラー>表示>隠しファイル
にチェックをしないとみえない。Windows10で隠しファイルを扱ったのは初めてであった。

日本語化は
Help>WelcomGuide>Install Package>Open Installer
左の「Search Package」に「japanese」とタイプして、「Package」ボタンをクリック>冒頭に出てくる「japanese-menu」をインストール
である。

まだPythonをATOMから使うとか高級なことはわからない。
posted by Kose at 19:03| Python&AI

母が突如お話、伊丹の掘抜帽体株式会社をネットで調べた

母がさっき、突然お話を初めて、「兵庫県の伊丹で、16〜17歳の時、掘抜帽体株式会社で働いて楽しかった」と語った。フェルトと帽子の会社らしいがいまいちはっきりしないのはしょうがない、93歳だからな。

調べてみた。
地域研究いたみ一覧
http://www.city.itami.lg.jp/SOSIKI/EDSHOGAI/EDMUSEUM/1392452269467.html
なんと地方史に次なる記事のタイトルがあった
地域研究いたみ22号
目次
近世伊丹における興行と町政の成熟−在郷町の大衆芸能の展開と自治への関心から−(大国正美)
調査報告 伊丹市域の行者講−北河原を中心に−(三枝芳美)
史料紹介 湊町天王講永代帳(2)(下久保恵子)
いたみ随想 三重県名賀郡青山町と伊丹市掘抜帽子製作所社長掘抜義太郎 (越山邦夫)
平成5年3月発売
260円


また「伊丹今昔」というPDFに次の記述があった。
http://www.itami-bunkazai.jp/itamity/pdf2/itamity31_02.pdf
(伊丹市行基町は)大正二年に、現在伊丹高校があるところに旧制の伊丹高等女学校が建てられたり、現フジコーの前進である「掘抜帽子会社」が設立されたことなどから開発が進み、住宅地として発展した。

中学校教科等研修講座(美術科)
http://www.itami.ed.jp/h25/shuroku/h25_no54/pdf/3kensyuu/2ippann-kensyuu/1kyoukatou-kensyuu/1kyoukatou-kensyuu-kouza/1-1-16j-bijyutsu.pdf
また、昭和のはじめ設立された掘抜帽子製作所. は東洋一の帽子工業を伊丹に出現させた。

掘抜帽子株式会社なのか製作所なのか地方史でも統一されてないので、母の記憶がごっちゃなのかというとそうでもない可能性がある。文の切れ目がわからないが、「ワイヤーロッド株式会社掘抜帽子製作所フェルト帽体」という会社の「フェルト帽体」を掘抜帽体と通称していたかもしれないからである。

神戸大学図書館システム
大阪朝日新聞 1938.9.6(昭和13)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00205481&TYPE=HTML_FILE&POS=1
輸出貿易の振興へ 続々と特殊取扱の保税工場税関積極的に乗出す為替管理法と輸入制限法によって原料に払底を来し、輸入原料による加工輸出貿易に障碍を来しているので、大蔵省では特殊取扱保税工場制度によって輸出貿易の振興をはかろうとしている。
これによると保税工場以外の輸出を建前とする町工場でも、輸入原料を内地消費に向けないという約束のもとに特殊取扱をうけると、原料の輸入に当って為替管理や輸入制限が緩和されるのでこの便法が制定されてからは業者の利用するものが漸次増加しつつあり、本年三月以降この特殊取扱を申請していま特殊取扱保税工場として承認せられ着々その実績を収めているもの全国で三十余工場に上っている、これらの工場が輸入する原料は一年間に四千万円、この原料によって製造せられ後日輸出向きとなる製品は約八千万円見当でその結果はかなり注目されている。
兵庫県下でも既にその承認をうけている工場は日本鉄線鋼策株式会社(武庫郡大庄村)亜鉛鍍鉄線、鉄条網撚合線 中山半(同上)亜鉛鍍鉄板、薄鉄板 日本亜鉛鍍鋼業株式会社(同上)、亜鉛鍍鉄板、棟板があり、さらに神戸税関にこの扱いを申請中のものに王子修一(神戸灘区味泥町)ワイヤーヘルド 株式会社神戸製鋼所(神戸葺合区脇浜町一丁目)ワイヤーロッド 株式会社堀抜帽子製造所(川辺郡伊丹町)フエルト帽体
などがあり、これに関する照会も同税関宛に続々あらわれているが一般にまだその主旨が徹底せず、期待していたほどにも申請がないというので神戸税関では積極的にこれに乗出し、海外収支のバランス修正を助成することとなった。
保税工場とは
輸入原料による加工品の輸出貿易の伸張をはかるために許されているものでその許可があれば原料の輸入に際して徴税せられることなく、たとえそれが輸出に当って戻税せらるべき原料であっても複雑な手続をはぶくことが出来る。


母は大正12年(1923年)生まれなので、16歳の頃は1939、年昭和14年でまだ戦前である。
あれ?以前の話では戦時中ということになっていたんだが、そうではなかったことがこの期に及んで判明した。裁縫学校修了後正式に就職したらしい。なんだか、その会社の中にコーヒー店が出店していて、ハイカラな生活をしていたらしい。母はどうも女性用のフェルト帽を作っていたようだ。伊丹に一人でいたので寂しくて18の頃に故郷の福井に戻ったということになる。それは昭和16年。つまり開戦の年ということになる。

なんとか整合性がとれたと思われる。だからどうしたと言うことだが、ぼくが覚えていられないのでブログに残しておくことにする。
posted by Kose at 15:54| 日記

新年ブルース2017



なんか小難しいことばかりで、睡眠が少し悪い感じがするため、ギター弾いてみた。
弦を張り替えたし。
posted by Kose at 12:56| My Music

【神戸新聞NEXT】脳梗塞で死んだ細胞再生 兵庫医科大、定説覆す発見

生物学の本を読んでいると脳の神経細胞は誕生直後が最大で、その後死ぬまで再生されず、たぶん学習とともにいらない細胞が除去されると言われている。
なので、幹細胞なのかはわからないが(記事では多能性は低いと書いているが)、たとえば毎日再生している肌の細胞などとは異なり、「脳の神経細胞が再生しない」という定説を覆している。
これが骨髄の血液幹細胞のような(不活性の)生体幹細胞なのか、脳神経のダメージで起きるSTAP細胞に類似の現象なのかどちらかというと、不活性生体幹細胞の刺激惹起性幹細胞というグレーな感じの形容になっちゃうんだろうか?「血管の周囲の細胞が脳の一大事を受け、神経細胞などに変化できる「多能性」を獲得している」というんだからね。
だから定説を覆すのは二段階で、脳細胞は再生しないことと、脳に多能性細胞が生じることである。幹細胞だと次の理由でそれはそれで困る。脳神経細胞が再生しないのは、脳の安定性が重大だからだろうとされているからである。
脳神経細胞は、ダメージを受けた部分の機能を他の部位が肩代わりする形で機能を修復するという可塑性の話はよく知られている。ぼくの母も一昨年、脳梗塞で、左半身とろれつがダメージを受けたが、なんとなく直ってしまった。痴呆は治らないんだけどね。
今後の研究を待ちたい。

脳梗塞で死んだ細胞再生 兵庫医科大、定説覆す発見
神戸新聞NEXT 1/5(木) 7:30配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170105-00000002-kobenext-sctch
 兵庫医科大(兵庫県西宮市)のグループが、脳梗塞の組織の中に神経細胞を作る細胞があることを発見し、それを採取、培養して移植することで、脳梗塞で死んでしまった脳細胞を再生させる研究を始めた。死んだ神経細胞は再生しないという定説を覆す発見で、グループは「今後2年余りで、臨床試験の前段階まで持っていきたい」と話す。(武藤邦生)
 脳梗塞は脳の血管が詰まり、脳の神経細胞が死んでしまう病気で、後遺症が出ることも多い。その組織の中に神経細胞を作る細胞があることを、同大先端医学研究所の松山知弘教授、中込隆之准教授らが2009年、マウスの実験で発見。15年には、血管の周囲の細胞が脳の一大事を受け、神経細胞などに変化できる「多能性」を獲得していることが分かった
 体のさまざまな細胞を作れる多能性幹細胞といえばiPS細胞が有名で、それに比べると発見された細胞は多能性が低いと考えられるが、体内で自然に生まれる。グループは重症の脳梗塞を起こしたヒトの脳でも存在を確認し、「iSC細胞(虚血誘導性多能性幹細胞)」と名付けた
 この細胞の移植によって脳の再生も期待できることから、既に培養したマウスのiSC細胞をマウスの脳に移植し、ある程度、正常に機能している状態を確認。さらに昨年11月、日本医療研究開発機構(AMED)の支援を受けて始めた研究では、ヒトのiSC細胞をマウスに移植した場合の効果を確かめる。
 マウスで効果があれば、ヒトへの応用の可能性も開けるといい、「iSC細胞はもともと体内で作られるもので、移植しても、がんなどの危険性は低い」と中込准教授。研究責任者で、脳神経外科の高木俊範助教は「脳梗塞の脳には再生させようとする働きがある。そのメカニズムを生かした治療につなげたい」と話す。
posted by Kose at 10:22| 日記