2017年01月01日

サール始めた:ニック・フォション『ジョン・サール』

ジョン・サールの発話行為から、心の哲学、社会の哲学を1998年の『心、言語、社会』後、クロノロジックにまとめた本である。他にはテーマ別の論集というものもあるけれど、ぼくが別に哲学を勉強したことがないアマチュアなので、こういうのを読んでおくといいだろうと思ってこれに取りかかる。
サールが正しいことは、まずディープラーニングでもAIが意味を理解できないことを東ロボ君の研究者が認めたことで再評価されるべきである。「中国語の部屋」は再三非難され、否定されてきたが、研究者が認めたということである。言語哲学者坂本百代はホフスタッター&デネットの『マインズ・アイ』で、サールを否定した。Google翻訳は、チョムスキーの生成文法の破産である。文法は表面的なパターンでしかない。そして意味はない。AIが評判になるにしたがって、心の哲学におけるサールの超頑固な立場が証明されていくのが楽しい。

東ロボ君とGoogle翻訳で復活したサール先生を読んでいただきたく、序文の一部を訳したのでご紹介する。だが、ディープラーニングというのが何かよく知らないので勉強すると言うことだ。サール先生はAIは一言「行列だろう」といって切って捨てていたが・・・

必要ならFree Speech Actのサイトによって頂戴。中国語の部屋の議論は、岩波が再刊した連続講座『心・脳・社会』をご覧いただきたい。だいたい先入観をもっていると、そもそも理解できないようになるらしい。単純化して、「&%$」というカードを受け取ったら「<#<?<*」というカードを出す位に単純化する。なまじ英語はわかるとしているから引っかかる。そういうものとして「中国語の部屋」は読んでいただきたい。これが直感的に「意味がわからない」という意味である。
John Searle

Nick Fotion

Philosophy Now

Routledge

2014
(First Published 2000 by Acumen)
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目次

序文
第1部 言語哲学
1 サールの発話行為理論
2 サールの分類学理論
3 非標準的発話行為と発話活動
4 メタファーとフィクション
第2部 心の哲学
5 心の志向性と言語
6 心の状態と言語におけるネットワークとバックグラウンド
7 心の再発見
8 認知心理学と無意識
第3部 社会の哲学と他の問題
9 社会的現実
10 制度
11 存在論
12 真理、表象、認識論
13 総括
文献
索引
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序文

ジョン・サールは分析哲学の伝統の中で育ったが、彼はその伝統を越えている。ひとつの理由はたとえば、分析哲学の伝統がひとつやふたつの主題のある側面に狭く焦点を当てるようフォロワーに奨励するとしても、彼は様々な主題について核と言うことである。長いキャリアの中でサールは言語哲学、心の哲学、社会制度の本性や構造、コンテキスト(彼はネットワークとバックグラウンドと呼ぶ)、科学、因果関係のような主題について幅広く書いてきた。
 だがそれを越えて、彼は全てのこれらの主題をひとつにまとめてきた―彼は単一の「大きな絵」の哲学の立場を形成するようそれらを総合してきた。この本で後でわかるように、彼の立場は大部分論駁的である。それは視野にあるすべて―とくに何が現実化についての私たちの感覚―について脱構築することにぼうっ等する、実際喜々としているようにみえる強力で広範に根付いた現代のポストモダニズムの伝統に対して論駁する。サールの立場はまた、意識を完全に無視したり、心の現象を説明するとき意識をま軽んじたりする点で、ひどく意識の価値を下げる心理学や心の哲学の支配的主張に対してもまた論駁する。興味深いことに現実、意味、そして彼の大きな絵の立場を有意味にする彼の感覚を擁護するとき、サールは彼が論駁する主張の多くと協力する。そう、彼は言う。私たちはある視点化のみ事物を見ることを知っているが、しかしなお私たちが有意味に現実世界と接する存在であると考えることができる。そう、彼はまた言う。科学は私たちの頭の中で無意識的に進行するものの言葉で意識を説明できる。だが、それは意識の重要性を無価値にする必要はないと付け加える。そしてそう。分析哲学の細部へのこだわりは重要だか、それは大きな絵、ないし「総合的」分析哲学に取り組むことをはばむものではない。サールの対立する主張のうわべの非全体的なまぜものは、すべての論的からの攻撃を招きやすくする。同時に、そのまぜものはその主張をおもしろくし、オリジナルにする。そのまぜものはまた彼をオリジナルにする。現代哲学シーンで起きていることに興味をもつ誰もか遅かれ早かれ折り合いをつけなければならないものである。
 サールが分析哲学を超越する別の理由は、彼が言語について言うことは、哲学者だけでなく、言語学者もまた興味を引かせる。彼が心について言うことは、哲学者だけでなく心理学者の興味をも引かせる。彼が社会的世界について言うことは、哲学者だけでなく、社会科学者の興味をも引かせる。そして彼が因果関係と科学的説明について言うことは哲学者だけでなく、科学者の興味をも引かせる。その場合、彼の著作は少数より、むしろ多数のとって興味深いものなのである。
 さらに、別の理由は彼が書くスタイルに関係する。彼が育った欧米のジャーゴンで、サールはストレートシューターである。彼が何か言うとき、はっきりずけずけものを言う。彼は完全にジャーゴンを避けるわけではないが、控えめにしか使わない。彼の態度は直接的に明確に述べられないなら、それはかれが言おうとしていることを知らない印である。しかしときどきサールはあからさまにあけすけすぎる。自分と同意しない人に対処する場合、彼の攻撃はしばしば真正面から、対立する。その結果、サールの読者、とくに彼に共感していない人は、彼が言っているないように対してより、彼の敵対的なスタイルに目を奪われがちになる。私はサールが論敵の多くの攻撃を指摘するが、彼らに対してわずかな議論しかしないというような哲学者と哲学者ではない人両方からの非難をどれだけ多く聞いたか思い出さずにはいられない。この問題のため、その非難は―とくに主題が心の本性の場合―彼自身の主張のためでさえどんな議論でも彼がわずか述べないとしばしばなされる。確かに、彼の論敵にはサールが議論を欠いた人のようにみえるのである。それらは感情的で人身攻撃の訴えと呼ばれやすいと言われる。結果として生じるあちこちの乱闘は、驚くことではないが、サール、そのすべての嫌疑をかけられた原因に注意を引くことになるたくさんのちりを舞い上げる。
 その場合、サールについての、より少なくその論的についてのひとつのゴールは、ちりを沈めることである。いったんこうなれば、読者はたぶんサールのスタンスが様々な個々の哲学的問題についていかに適切か理解する立場にいるだろう。第二のゴールはサールが書く様々な主題についての彼の主張がひとつの総合を形成するようにどの様に結びついているかを示すことである。彼自身1998年の著書、『心、言語、社会:現実世界における哲学』でそれをどの様に行っているかを示す。実際、彼はそれを哲学教授のために行うが、特に教養ある一般読者のためにそれを行う。彼は哲学者としての彼の任務が幅広い読者が彼の主張に親しみやすくすることだと考えているようにみえ、彼は明らかにその任務を楽しんでいるのである。それでも、馬の口からだけでなく、馬からわずかに離れており、馬が客観的に言っていることを聞くことができる人にとって、良いニュースを知ることは時には役に立つ。
 サールの1998年の本は、彼の全体的哲学的立場の三つの主要な主題に対応する三部に分かれている。彼が取り上げる第一の主題は心である。論争のちりがもっとも分厚いのがここであり、おそらく彼がこの本の初めで心をなぜ取り上げるか、そして実際なぜ彼が他の主題よりこの主題により時間を割く理由である。だが、もっとありそうな理由は私たちが他の二つの主題について彼が言いたいことをよりよく評価できるということである。すなわち心がどのように働くかをいったん理解するなら、私たちは社会的現実をあつかうのに、現実が心の構成物であるため、よりよい立場にいるのである。次いで、いったん社会的現実を理解するなら、私たちは、彼の著作の第三の主題である言語がいかに働くか理解することができるのである。サールは三つは互いに密接に結びついていると主張する。現実は多数ではなく、ひとつである。
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posted by Kose at 19:38| 日記

A HAPPY NEW YEAR!

chicken.png

綴り間違えたので訂正ついでに背景変えて、玉子加え、ブルーナ配色にした。
posted by Kose at 15:57| 日記

今年の抱負

うむ、昨年のSTAP大戦争は、全く予定外だった。

今年は終戦にしたい。

まずPythonを学んで、AIプログラミングを試してみる。

それができないで、サール的に論じてもなんかウソっぽいからである。いろいろ意見はあるがこれをやったら再び論じたい。
Phython専用の「JetBrains PyCharm Community Edition」というのがPhyton3.6同時インストールされて、混乱しないのでとりあえず使いやすい。EclipaeにもPhythonプラグインあるので、それでもいいのかもしれない。

小保方さんの画像の扱いは問題だったが、本当になんかプロ用のソフトでもないと似たようなろくでもない画像管理ソフトしかないなと少し調べて思った。
Sony PlayMemory
が最高だなと思った(無料である)。これでも画像の重複は回避できないな(フォルダーが異なる場合)。
生物学は、どうしても興味がわかない。あと少し、1月中は読書するけれど。

「生物学の哲学」という科学哲学のジャンルが成立しているのを知った。すでに読んだ物にはエリオット・ソーバー、ジャン・ドーシュを読んだ。多数出る前に関係書籍を読んでしまいたい。進化理論の「概念」が主に対象なんだが。手元には森元良太『生物学の哲学入門』勁草書房、2016というのがある。生物学者、哲学者でこのジャンルを知らないのはもぐりだと思う。

これら読んだら生物学からおさらばしたい。生物学にはやはり何の興味も持てない。

そしてジョン・サールに戻る予定。今度は、サールについての本の翻訳を中心にしたい。
posted by Kose at 11:57| 日記