2016年10月13日

慶応や東大のバカがレイプをすると男一般はレイプをするのか

慶応広告学研究会は女子学生を集団レイプしたそうだ。

東大の誕生日研究会も集団レイプした

多くのレイプ事件がある

よって帰納的に、すべての男はレイプ犯である。

う〜ん、ぼくがセックスした限りにおいて、明確にホテルに行こうとか誘われた事案がないわけではないが、なんか「いいかんじ」だと思うから、「とまってこう」とか言って、断らないからセックスすると言うパターンが多かった気がする。フェミニストのバカどもが考えるように誰でもセックスすると言うことはない。女が勝手に「いいかんじ」になっているのはわかったり、ホテル行こうと言われても、ぼくが全然その気がないので置いてきぼりにすることも同じくらい多かったような気がする。ぼくは「いいかんじ」になった女の「気持ちを優先するフェミニスト」として振る舞って「必ず」セックススすべきだったのか?

上の事例をジョン・サールの行為の合理性の分析と比べて、男女の集合的志向性について論じても面白いかもしれない。

要するに社会学は適当な分析装置をもっていないと確信する。
posted by Kose at 07:49| 日記

あ、やっぱり誤変換ひどい

やっぱり睡眠薬効いているときは書かない方がいいかもしれないが、睡眠薬が効いていて自暴自棄にでもならないとなんか慎重すぎて何も書けないため、面白いから、眠れないシリーズをやっているのである。
*翌朝書いたのか覚えていない。あらため見て誤変換がひどくて焦る。

昨日の主張は

1)少なくとも日本の「女性」は共同行為をしていない(社会集団ではない)。フェミニズムは単に「女」だったら「共同行為」をすべきだという中身のない理論である。
2)客観的アンケート調査は、あたかも日本の「女性」が集団的意識をもっているかのような根拠ない前提をもっている

目が覚めちゃったので、これ以上論じる気力というか気の緩みはないので展開しない。
上野千鶴子のようなマルクス主義者がこういう分析的レベルを何も学術的に考えることすらできないのは自明である。

「女」は何か支配的実体(彼女は男だと言うが、貧乏であくせく働く非インテリの男と東大医学部教授が同じ男なんだかも考えることができない)に対してアンチ実体だというものの考え方である。

ニーチェは観念論の内部でこういう愚劣さに文句を言ったかもしれないが、観念論が間違っているので、問題はもっと簡単である。

インテリが社会に介入でき、それが現実の「よい状態」(政治的か、社会的か、文学的かさっぱりわからないが)をもたらしうるという信念自体が誤っているのである。

あ、朝なのでこれ以上書くことができない。

これからぼくはやはり年をとるが、上野千鶴子のような考えによると「高齢者」という実体になるが、そんなものはないのである。放っておけばかやろう。
posted by Kose at 07:26| 日記