2016年10月07日

眠れない、腰が痛い、母が乱調だ、気晴らしに歌うと歌がへただ、ますます頭にくる

何も言うことはない。

気分的には厭世的である。

本当に50過ぎてから、なんとか病気が良くなったため、復職の努力をしたが、なかなか門戸はかたく、めげていたら、母が痴呆で寝たきりになってしまった。だいぶ葛藤はあった。というのもこのままではぼくがこの世に存在した証というのはなくなったまま、いつとはしれない母の他界まで、ひとつ屋根の下で介護をするだけだからだ。
ぼくが介護に専念するようになって、少なくとも二度母の体調の変化に気づいて入院させた。一度は固形食が食べれなくなり極端な栄養失調にかかったとき、もう一度は軽い脳梗塞を起こしたときだ。だいたい数ヶ月で母の状態は何程か悪くなり、先の知れない先が見えるような気がして気が滅入る。

やはりぼくは基本的に躁鬱病が良くなっているだけで、劣悪な人間関係に入るとダメだということがビジネスジャーナル事件でわかった。もう復職を希望することはないであろう。なんか「高齢者」として何かする機会はあるかもしれないが。59歳で自分が高齢者だと考えるのは厳しいが、病気でキャリアが途絶えちゃっている上、楽観的でも再起したとしたらそのときは高齢者になっているにちがいない。

ぼくは20世紀後半に社会学や一部の哲学を勉強したけれど、もう40年は経つだろうか。

だが、社会学の劣悪さは古市憲寿をみるまでもなく、何処かたてを付けていいのかさっぱりわからない。方法論的なエセ客観性があレバ、客観的で普遍的だと簡単に主張する。もっとひどいのはジェンダー論である。色眼鏡で見ているのは社会の方ではなくジェンダー論者の方であるのは一般読者が感じるとおりである。

哲学はひどい。なんで西欧近代哲学を日本人がやる普遍性があるのか理解ができない。また諸科学が着実な進歩を遂げている中、経験的問題は哲学の思弁的問題とは違うから参照するに至らないという態度はいかがなものか?いい例が脳科学や人工知能で、これにまともに応えられる哲学者はいない。サール先生を除くが。

サール先生はたまたまで、あまりAI論争に関わる部分は関心がないから深追いをしない。おおくのAIとマスコミで呼ばれるものはパターン認識とセンサー技術の組み合わせだけであると思う。知能とは何の関係もない。この場合アホ哲学者はアリストテレス以来知能とは特権的に神から人に与えられた能力と理解する傾向がある。どん詰まりが「自由意志」の問題である。

あまり認知心理学でも心の哲学でも取り上げられないから行っておくが、成人男女は、すでにほぼすべての欲求の因果性を少年期に「発現しない」ように訓練されている。だから自由意志の一部はそのような因果的原因を抑止することを「やめる」ことである。

リベットの実験などはこの観点が欠如しているのでバカバカしい。札を上げないことについて、殆どの人間は高いスキルをもっている。その場合リベットの観測した遅れは存在しないはずである。

まあサール先生いろんなことに首突っ込むので、マスメディアで話題になるようなことはバカバカしいだけので特に発言しない。特定の目的で規則化された領域に特化されたAI以外は無能である。
「特定の目的で規則化された領域に特化されたAI」を成功させることはいいことであるが、たとえば小説を書くことを目的にするのはいいとして、その規則がパターンとして認知させるかというと全然場当たり的である。小説家は良い、面白い、小説を書こうと努力しているのに、あたかも小説のような出来損ないをAIの成果として線でするマスコミは馬鹿げている。

音楽は別である。非常に規則が多い。多くの凡庸な作曲家は、その規則を適当にアレンジしているだけなので、まあそれはAIでできると思う。いいかどうかは別とするが、ポップスくらいならAIで作れる公算は高いと思う。

要するに対象や目的の性質によってAIに向き不向きがあるのであり、それはあらかじめわからないのである。

政府が予算を出すからって派手にプロモーションばかりやっている日本企業に未来一切ないと思うよ。

おれの歌は声がひどいのでうんざりするが、これをデジタル処理で美声にして何が面白い。
そういうことではなくてこれまで生ギターで弾き語りって全然やったことがほぼないので試しているだけだ。なんか望みなさそうのはわかってきたが。

母は今日乱調だったな。何を話しても怒る。おれだって怒りの真っ最中なので、小一時間フテって、また気を取り直して介護する。
介護は母の安らかな他界の必定条件だが十分条件ではない。
ではぼくは母の安らかな他界のために介護をしているのか???

アホか?

いろいろニュースなどを見てたわけた意見を言いたくなるときもある。
だが一応自分で哲学的訓練をしたので、ものすごく抑制がかかる。

たとえば憲法だが、憲法学者は解釈改憲に反対だという。これはマスコミはどう捉えているのか?
通常法律学者は実定法主義であって、規定の法源と解釈の演繹的結論を述べるだけである。
だから法源の根源とその解釈である、憲法の解釈改憲について、そもそも意見が言える法律学的地位を担保していないのであるというのがぼく見解である。
憲法は立憲主義だというのが本当か調べてない。モンテスキューくらい遡らないとそれは言えないのではないか?
むしろアメリカ憲法はほとんどが構成的規則である。政府を規制するというより政府を作る規則集である。
それはどうなのか?
最後の問いはどんな憲法も、自然権のキリスト教的解釈の尻尾がついた基本的実験が、戦後の国連憲章に関する合意によって十分克服されたのか全く議論がない。
自然権として人権なんかはファンタジーであるが、国連憲章は国際社会規範を合意によって真とするものである。「真理」と言う観点からすると両者には文字通り天と地ほどの違いがある。
日本が国際人権規約の一部を受け入れていない以上、人権がどうのと言う前にその点についてでかいことを言うやつは詳らかにすべき義務があると思う。

国際社会との関係ないし主権だ人権だとかいう主張はそもそも一国法律主義に陥っている。
なにも西欧がいいからそうすべきだというあさし新聞的論調には一切賛成しがたがいが、それに対してアメリカの謀略だとか、国連の陰謀だとか言う産経新聞には付き合いきれない。

以上は、いい大人がわめき合う大前提の部分なので、そこに及ばない議論は雲霞のようなものである。

とにかく何を目にしても頭にくる。
posted by Kose at 23:05| 日記

ツイッター身売り連日報道

ツイッター社が身売りするという観測が流れていて、ツイッター社の株価が上昇していた。
だが、このニュースのとおり主要な売却先の撤退が報じられ、一気に株価が下がったという気ぜわしいニュースである。
ツイッター社が窮地なのは本当らしい。140字制限をなくすかどうか報道があったが、結果として画像部分を除いて140字という小さな改変で終わったようだ。インスタグラムに妥協した極めて保守的な改変であるとしか評価できない。
要するにビジュアル的に訴えるものがあるユーザーはインスタグラムを、それもないユーザーはわけの分からないたわごとを書いたりリツイしたりしいて、無限に暇つぶしをしているわけだ。
ぼくはアカウント削除したのでその世界は「存在しない」。
ツイッターが身売りしないとなるとどうなるんだろう?よく知らない?

ツイッターの身売りバブル崩壊 グーグルなど入札見送り報道で株価急落
Forbes JAPAN 10月7日(金)10時8分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161007-00013842-forbes-bus_all

身売り報道により上昇していた米ツイッター株が6日朝、一転して急落した。
ITニュースサイト「リコード(Recode)」は5日夜、これまでツイッター売却先の候補とされてきたグーグルとウォルト・ディズニーが入札を見送った他、アップルも消極的な姿勢を見せていると伝えた。
24.87ドルで同日の取引を終了していたツイッター株はこの報道を受け、時間外取引で17%下落、6日朝には21ドルを下回る水準で取引を開始した。
リコードの報道が事実ならば、高額売却先としてはセールスフォース・ドットコムが最有力かつ最後の候補となるのはほぼ確実だ(セールスフォースの株主は高額買収を不安視しているようだが)。
セールスフォースのマーク・ベニオフCEOは現在、この件に関し沈黙を続けているが、フォーブスが今夏に行ったインタビューでは、ツイッターの経営立て直しを実現する具体的なアイデアが自身にはあると豪語していた。
今後予想される熾烈な入札合戦に加え、今月27日に予定される四半期決算発表も、ツイッターの身売りに対する大きな試練となるだろう。
Steve Schaefer
posted by Kose at 12:14| 日記