2016年10月01日

最後のFACEBOOKアカウントを削除した

アカウントの削除方式は前に書いた。

問題は今度、FACEBOOKグループへのリンクを削除することだ。
記事のバナー代わりにかなり貼ってある。おいおい始末する。リンク欄のFACEBOOKグループは削除します。

だからブログやブログのコメ欄の時代は終わっており、したがってFACEBOOKも終わっており、このブログのSTAP記事も8月移行のものを除けば終わっているということだ。まだ8月以降のものはアホなBJ以外では扱われていない。

もとを正せば、ジョン・サールの論文を1月までなんとか翻訳していて、たまたま小保方さんの『あの日』が出て読んで面白かったの一言に尽きる。ジョン・サールをこれ以上続けるには、彼の卒論である『固有名』という論文まで遡って、彼がラッセルやフレーゲをどのように批判する意図があり、どうしてそこから発話行為論が出てくるかまで自分で確かめなくてはいけないという地味すぎるところまで追い詰められていたので、良い息抜きになった。

なんかお楽しみで作ったSTAP HOPE PAGEのSTAP細胞のOCT4マーカー発現の画像を、モノクロ化した上で、白黒を逆転し、フォトショップでホームページではっきりと分かるくらい拡大したものを掲載した。これはただ元の画像に陰影のようなものが見えたのでそれをはっきりさせる目的のためだけだった。そしたら頭のパーな自称STAP批判派自警団の嫌がらせにあったので、もはや意地である。彼らがゴキブリほどの実在性もないことを示すことが大いなる目的になった。そこで馬鹿みたいに彼らに粘着するのではなく、海外の研究動向を体系的に見ることにした。STAP擁護派の馬鹿もいちいち一つ一つの研究になどにすぐ評価を下そうとする傾向があって、ビジネスジャーナル紙のぼくが取材された記事も、オースティン・スミスの価値評価が重点に置き、しかも文脈上間違っていたため記事としての体をなさなくなってしまっていた。だがその後F1000Researchという科学誌の評価を踏まえ、それがいったん忘れられた相沢検証実験論文を、あらためてレビューするという手の込んだ仕掛けであることがわかった。彼らは小保方氏がどのような状況で検証実験をさせられたか確実に知っている。もっと多く知っているかもしれない。たとえば日本の留学生に『あの日』を翻訳してもらうくらいの時間は十分あっただろうからである。

オースティン・スミス博士は、幹細胞の基礎論の権威で、幹細胞で一発儲けてやろうという若山博士のような人物ではなかったということだ。スミス博士の研究は京大の先生も協調して行っていると思う。

そうではなく重要なのはセントルイス・ワシントン大学の研究である。
あれこそSTAP HOPE PAGEが存在した意義であり、その研究の成功で同サイトは役目を終えたのだと思っている。
さらに重要なのはセントルイス・ワシントン大のアクセプトの1週間後にSTAP特許の実体審査入りがなされたということである。どうかんがえても撤回されたネイチャー論文だけでは弱い。何か実体が望まれていたのである。当時。STAP擁護派は、あるはずだだとか自分に都合のいいことしか言わんし。待つこと3ヶ月、セントルイス・ワシントン大の論文がキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!なのである。
ひとつにセントルイスワシントン大がベンチャーとの連携が盛んであり(BJに書いた)、ブリガム&ウィミンズ・ホスピタルから特許が一部または全部VCell Therapiutics社に譲渡された、また頭の固いSTAP擁護派の連中は、住所からあるベンチャー支援企業を譲渡先だと思い込んでもう話を放棄したのだが、Vの取れたCell Therapeutics社(旧社名)は血液癌を中心とした製薬企業であるから、多少の推論の余地はあるけれど、ひとつの焦点が結ばれているということにSTAP擁護派の誰も同意しないのである。

もうどうでもいいという気分になっていたら、STAP細胞のように東大の研究不正を騒がないのはおかしいとか言い出す。もうやる気ないね。気に入らない奴がいたらお前らみな噛みつく野良犬か!STAP擁護派!

まだSTAP批判派の方が主張は理解できる。だってそれは公式見解なんだからさ。

もうぼくはSTAP細胞も小保方さんも知らん。ぼくは20年くらい大半はうつ状態の両極性気分障害に陥って結局事実上社会復帰できなかった。最初の医者が10年くらい間違えて統合失調の薬飲み続けさせたんだ。何ら普通の人でも10年強い薬飲まされたら病気であるかのように見えるさ。10年くらいしてから、医者の言うこと聞かないで、『ジャコ・パストリアスの肖像』(遺族の希望もあり絶版)で、晩年炭酸リチウム治療でずいぶんよくなったという話を読み、ジャコの立ち回りを見る限り、なんか似ていると思ったので、医者にとにかく炭酸リチウムの治療しろこの野郎といって、フラフラのその状態から、関係妄想のような症状や癇癪が出やすいところが治まって2010年代にはだいたいまともになった。

そうしたら、母に完全に痴ほうの症状がでて、次第に足腰が衰え、すぐに100%介護が必要になった。

ぼくが町田のアパートで、布団にうっつぷしてこの世の終わりを毎日経験してころ、ただ一人見舞ってくれたのは母だけだった。

だから母が安らかに他界するまで、母の相手をする生活だ。

BPOが出て、海外の動向が知られるようになれば、日本の情勢はあっという間に逆転するかもしれない。悶着はあるかもしれないが。それすら小保方さんが静養するよい期間になるであろう。

ぼくは一応希望としてはすぐにジョン・サールの社会的存在論の周辺の本を読めたらいいなと思う。

「固有名」については、よっぽど暇になったらやるかもしれない。

さて、小保方さん元気でねえ!

その他の皆さんとっとと帰れ!バ〜カ!


posted by Kose at 21:25| 日記