2016年09月07日

小保方晴子さんネイチャー論文また正式に引用される(Nature Communications 2016/7/7) 追加:私訳

阿塁未央児さんの記事で紹介済みですが、独立した記事で。
これもワシントン大同様受付(昨年10月20日)からかなり時間がかかり、あきらかにSTAP HOPE PAGE参照可能後にそれでもまだ時間が経って、6月4日付でアクセプトとなっている。公刊は7月7日である。
これもまたワシントン大のネイチャー姉妹誌菜園ティフック・リポーツにつづき、ネイチャー・コミュニケーションズである。
勘ぐれば、理研ないし文科省にSTAP論文撤回は邪魔だからなんとかしろという意思表示かもしれないし、実際ネイチャーから理研に要請が出ているかもしれない。
過去のことは過去のこととして、科学は科学で評価すべきだ。

さて論文の内容はさっぱりわからない。明日にでもアブストラクトくらい追加で掲載するかもしれない。

ATURE COMMUNICATIONS
Analysis of chromosomal aberrations and recombination by allelic bias in RNA-Seq
(RNA-Seqにおける対立遺伝子のバイアスによる染色体異常と再結合の解析)
http://www.nature.com/ncomms/2016/160707/ncomms12144/full/ncomms12144.html#ref-link-37
Uri Weissbein, Maya Schachter, Dieter Egli & Nissim Benvenisty
*Nissim Benvenistyclose
The Azrieli Center for Stem Cells and Genetic Research, Department of Genetics, Silberman Institute of Life Sciences, The Hebrew University, Jerusalem 91904, Israel

Nature Communications 7, Article number: 12144 doi:10.1038/ncomms12144
Received 20 October 2015 Accepted 04 June 2016 Published 07 July 2016

[Abstract]
Genomic instability has profound effects on cellular phenotypes. Studies have shown that pluripotent cells with abnormal karyotypes may grow faster, differentiate less and become more resistance to apoptosis. Previously, we showed that microarray gene expression profiles can be utilized for the analysis of chromosomal aberrations by comparing gene expression levels between normal and aneuploid samples. Here we adopted this method for RNA-Seq data and present eSNP-Karyotyping for the detection of chromosomal aberrations, based on measuring the ratio of expression between the two alleles. We demonstrate its ability to detect chromosomal gains and losses in pluripotent cells and their derivatives, as well as meiotic recombination patterns. This method is advantageous since it does not require matched diploid samples for comparison, is less sensitive to global expression changes caused by the aberration and utilizes already available gene expression profiles to determine chromosomal aberrations.
(参考、素人の私訳)
ゲノム不安定性は、細胞の表現型に大きな影響を持つ。諸研究は、異常核型を持つ多能性細胞は、成長がより速く、分化がより少なく、アポトーシスに対しより耐性をもつ可能性があることを示している。以前、我々は、マイクロアレイ遺伝子発現プロファイルは、正常試料と異数性の試料間の遺伝子発現レベルを比較することによって、染色体異常の分析に利用することができることを示した。ここで我々はRNA-Seqデータの方法を採用し、二つの対立遺伝子間の発現の比率を測定することに基づきeSNP-核型分析を提示する。我々は、その多能性細胞およびそれらの誘導体とともに減数分裂期組換えパターンにおける染色体増加・欠損を検出する能力を示す。この方法は、それが比較のための適合した二倍体の試料を必要としないため、より有利であり、収差によるグローバル発現の変化の影響を受けにくく、染色体異常を決定するために、既に利用可能な遺伝子発現プロファイルを利用する。

・・・・・
引用元[Article]
Reports on stimulus-triggered acquisition of pluripotency[24] were re-evaluated by multiple analyses, including analysis of the genomic integrity of the mples using comparisons between the published CHIP-Seq data[25]
(私訳:刺激惹起性多能性獲得細胞上のレポート[24]は、複数の分析によって再評価されました。それには公開されたCHIP-Seqデータ間の比較を用いた、試料のゲノムの完全性の分析を含まれます。[25])

引用
・・・・・・
24. Obokata, H. et al. Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency. Nature 505, 641–647 (2014).
25. De Los Angeles, A. et al. Failure to replicate the STAP cell phenomenon. Nature 525, E6–E9 (2015).
http://www.nature.com/ncomms/2016/160707/ncomms12144/full/ncomms12144.html#ref-link-37
posted by Kose at 20:25| STAP

【ryobu-0123】Stap事件−和モガ氏が見事な解明! STAP細胞はちゃんとあります!!!+α

ryobu0123が和モガ氏の3月のツイートをまとめた秀逸なブログ。
和モガ氏の一連のツイートはryobu20123さんのブログでご覧いただきたい。
まだ僕ではわかりかねる部分があるのでryobu0123さんが、ものすごく丁寧で優しい解説を書いてくれると嬉しい。

今日和モガ氏が興味深いツイートをしたのでそれも掲載しておく





Stap事件−和モガ氏が見事な解明! STAP細胞はちゃんとあります!!!
ryobu-0123のブログ 2016/3/23
http://ryobu.hatenablog.com/entry/2016/03/23/004453
2015年7月22日から8か月に亘って、「和モガ」というブロガーがこの事件に関してFC2ブログで鋭く交錯する不自然な問題点を究明していたので注目していたが、見事に解明を完了した模様だ。
http://wamoga.blog.fc2.com/blog-entry-81.html#more
STAP幹細胞が作製されていて、キメラマウスなどのSTAP現象が存在したのは事実であることを彼は証明できた。
なぜなら、理研のいわゆる桂調査委員会の結論の「STAP細胞はES細胞の混入」とした結論に対して、
その根拠として示された試料履歴と科学的な解析データを、残された時系列的な資料や証言などと対比して整理すると、矛盾点が明白になった。
その矛盾点は「ES細胞の混入があったように偽装した」事件と仮定すれば解決でき、逆に「STAP幹細胞があった」とすれば全く矛盾は生じないことを立証したようだ。

和モガ氏を讃えるともに、私のブログに紹介させてもらいます。
ryobu0123のブログを見る・・・
posted by Kose at 15:14| STAP

ぼくはミステリを読まない

STAP細胞事件を題材にした講談社の安っぽいミステリ

「水鏡推理2 インパクトファクター」著:松岡圭祐

というものの紹介があったので一昨日夜中Kindle版で流し読みをした。「小保方晴子さんに声援を送ろう」で短く論評しているので繰り返さない。

〜の場合、〜だ。

というのは論理的のように見えるが、これは何の知識も増やさない。論理と言うのは既知の事態の関連の評価でしかない。

ある現象があり、それが単純な錯覚や、誤さではない場合、いったいそれはなぜどのように生じたのかというのが科学である。

馬鹿の一つ覚えで言えば、必要条件(結果)から十分条件(原因)を推測するのである。これは推測である。ひとつの原因がひとつの結果を生んでいるとは言えないからである。そのためある原因以外を推測できる他の結果をできる限り多く試して、確かにこの原因であるということを示す必要がある(錯覚や誤差の除去もそのうちである)。確立した法則や技術が確立している場合は、ほぼある諸結果からある原因を推測してかまわない。

熱が出て、ウィルスが検出されれば、ウィルス性の病気である。ウィルスが発見されたからと言って発病しないことも知られている云々。

STAP細胞についてやっていることは推論ではないし、まして科学でもない。

能力がない。高校生物も勉強してない。

そうじゃなくて人の評価がどれくらい妥当かとか、飛躍がないかとかはやる。

それより実際に世界の事態が動くことを待って知らせること(ニュース)の方が圧倒的にインパクトがあるのである。

なので過去の詮索にはあまり興味がないのである。それはミステリが過去の事件を詮索するに過ぎないのと同じように。ミステリであっても、人物や描写が素敵なら小説として素敵だ。トリックと真犯人なんかどうでもいいのである。

なのでSTAP細胞についてもトリックと真犯人に擁護派の皆さんが抱くほど関心がないのである。

ぼくのスタイルは、諸状況を踏まえて、賭けに勝つことである。これは現実がそのように動かない限り「勝つ」ことはないのである。

哲学も好きだが、それは、あほな前提で議論していないかを確かめるツールとしてである。

社会とはどの程度個人の集合以上のものであるか?

こういうのは気づかないだろうけど大きな不確かな前提を含んである。そういうことを分析するのはそれはそれで面白いというだけである。

Free Speech Act

「形而上学を社会化する」へ「神経科学と哲学」は中止
投稿日: 2016年9月7日 投稿者: gkosegnakamura
とてもではないが、現在の日本の知的レベルでは高級すぎる。

1980年代の心の哲学の議論も踏まえないで脳科学やら人工知能やらお話にならない。

基本的に脳は生物学の器官であり、生物学的な背景からの進化論的産物であるという単純な前提もわからないままだ。まあ論じても徒労感におそわれるので書かない。

それに代わり、ぜんぜんイケてない社会学のオルターナティブである社会の哲学についてやる。とうとうできそうな気がしてきた。サールの集合的志向性は、方法論的個人主義には有効だが、ほとんどの社会科学が扱うような一見客観的な事象をすべて派生的副次効果で片づけている気がする。

それを踏まえて議論が深まった、フレデリック・E・シュミット編「形而上学を社会化する:社会的現実の本性」(Socializing Metaphysics: The Nature of Social Reality)をゆっくりやるつもりだ。


この10年哲学は社会的世界 − 社会関係、社会的実体、社会性それ自体 − への伸展する関心を見てきた。社会規範、慣習、規則、役割についての形而上学において多くの議論があった。大量の注意が集合性 − 社会集団、アソシエーション、企業法人 − の本性に集まった。認識論者は、社会関係に関する知識の依存性に困惑してきた。そして倫理学者や政治哲学者たちは集団的責任や集団の権利を探求してきた。この本の各章は、社会の形而上学における問題を提起する。

 事実上、社会の形而上学におけるすべての議論は個人がどのように社会的関係や集合性に現れるかに変わった。カギとなる問題は社会的関係が非社会的関係や個人の特性以上の有意義な何かになるかどうか、集合性が非社会的関係にいるメンバー以上のものになるかどうかである。「個人主義者」は社会関係や集合性が個人の連合や非社会的関係以上のものになることを否定する一方、その敵対者 − 「全体論者」(holist)、「集合性主義者」 − は反対を肯定する。この本の一部は個人主義と全体論(holosim)間の議論に貢献する。個人主義者と全体論者間の議論の根底にあるのは、われわれが社会関係や集合性から独立して個人を理解できないというルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインによって影響された一部の哲学者たち − 著名なのはピーター・ウィンチ(1990) − によって古くから疑問に付された仮定である。この仮定は、単に個人が考え、行為し、言語を話すような特性をもつため、個人は社会関係や集合性にすでに拘束されているということを理由に否定されてきた。この本のふたつの章は思考、行為、言語の発話が、社会関係や集合性とは独立に理解しえるという仮定を解決する。

 個人主義者とその論敵の間の議論は、われわれの社会的か、でないかとしての共通の問題の素朴な分類に大ざっぱに後退することを仮定しがちであった。だが、「社会構成主義者」は人種、ジェンダーのような非社会的であると素朴に見なされる世界の諸側面が、社会的に構成されているという洞察に変えると論じた。どの程度社会性は明らかな非社会的世界におよぶのかという疑問がある。また社会構成主義者のこれらの現象の説明が本当に自然主義者の説明と相いれないかどうか疑問もある。この本のふたつの章が、社会構成主義について論じる

 この序論で、私は社会の形而上学における重要な問題の基本構造をレビューする。私は社会関係と集合性が個人とその非社会的関係の受けの世界に何かを付け加えるのかどうかの問題から始める。

posted by Kose at 12:28| 日記